上手に使えば胴体だって真っ二つ。
 魔法の刀が、これでござい。



 人殺したちの寝息だけゆっくり闇に溶ける深夜。
「何してやがるんだ」
 暗闇の中でいきなり声をかけられ、山崎は危うく刀で自分を斬りそうになった。が、土方の方こそ驚いたのだろう。珍しく目を丸めて、焦ったように眠っていたはずの半身を起している。不自然に空いた布団半分の場所は、山崎が先ほどまで丸まっていた場所だ。
「刀の手入れ」
「はあ? 馬鹿、こんな暗ぇ中でするもんじゃねえよ。しかもこんな時間に」
 焦ったような声のまま、土方は山崎を叱りつけ「人でも斬りにいくのか」次いで揶揄した。驚いて目が冴えたのか、完全に体を起こしてしまって布団の上で胡坐をかき、煙草と灰皿を引き寄せる。
「……いやぁ、まあ、なんつうか」
「何だ」
「自害の準備?」
 かちかちっ、と土方の手元でライターが慌ただしく二度鳴って、火を移さないまま音が途絶えた。土方の口にくわえられていたはずの煙草がぽとりと布団に落ちるのが、闇に慣れた山崎の目には見て取れた。
「落ちましたよ」
「ばっ、お前、」
 何考えてやがる。やはり焦ったように早口に土方は言う。
「人の部屋で、薄気味悪いことしてんじゃねえ」
「泊まれっつったのあんたでしょう」
「ここで死ねとか言ってねえだろ。何考えてんだ、お前」
「はあ、すみません」
「腹ならテメエの部屋で切れ」
「ああ、まあ、うん、腹っつうか、どっちかってえと、心臓かな」
「はあ?」
 土方は目を開いて眉を下げ、心底呆れた、というような顔を作った。落とした煙草を再び口に咥えて、カチカチ、とライターを鳴らす。今度は上手く火が灯る。
「なんだ、心臓って。はやってんのか」
 完全に馬鹿にするような口調。ゆらりと揺れる煙が、閉め切られた部屋の空気を濁して行く。まだ、夜は寒い。
「切腹じゃなくて自害だっつったでしょう」
「何が違うんだ」
「目的?」
「疑問形で返すんじゃねえ、うぜえ」
「いや、なんか、刀ってそういや何でも切れるっつわれてるなあと思って」
「誰に」
「天人」
「けっ」
「いや、実際、こんな刃物、よそにはないそうですよ。人斬り包丁っつうのがしっくりきますもんね」
「そうかよ」
「で、だから、試そうかと思って」
「わかんねえんだよ、さっきから。結論を言え、結論を」
「何でも切れるって、そういやそんなこと言われてんなあ、と思ったから、本当かどうか試そうと思って」
「おめえの体で? 何、お前、悪い薬でもやってんの? それとも働き過ぎでいよいよ頭がアレになったか。病院行け」
「俺の体っつうか、心をね」

 まだ、夜は寒い。誰かと眠るのに慣れてしまうと、一人で眠るのが困難な程だ。
 土方の指が煙草を挟み、土方の唇が煙草をくわえ、その口から白い煙が吐き出されるのを、山崎は刀を握ったままじっと見つめた。暗闇の中で明滅する煙草のあかり。ぎゅ、と心臓を掴まれて、そのまま握りつぶされるような心持。

 土方は怪訝そうな顔で、山崎を睨みつけるようにしている。山崎は少し笑って、持っていた刀の柄を、土方へ向けた。
「土方さん」
「あ? 何の真似だ」
「に、どうせなら、殺して欲しいな」
「……は?」
 ぽろり、と土方の口から火のついたままの煙草がこぼれ落ちた。あっ、と慌てて土方が手を伸ばし、布団に落ちる直前でそれを手の中に握り込む。熱ィっ、と唸る低い声。
「あのな、お前、いい加減にしろよ、マジで」
「俺はねえ、もう、しんどくってしんどくって死にそうなくらい土方さんが好きなんですよ、ね、実は」
「は、……」
「何でも切れるって言うからさあ、恋心、的なもんも斬れるか、と思って、でもやっぱそれって心臓にあんのか、とか考えてたんですけど。脳味噌にあるとしても心臓にあるとしても、斬ったら死ぬなあ、と思ってね。でも、どのみち、俺この恋心的なもんをなくしたら、死ぬような気もすっから、一緒かなって」
「……寝ぼけてんのか、お前」
「あは、そうかも。ねえ、土方さん」
「…………」
「斬れるもんなら斬りたいくらい好きでいるのが辛いんだ。どうしたら、いいですか」

 たすけてよ。

 震えるような声になったので土方の耳にはまるで泣いているように聞こえただろう。
 言葉を失ったように黙りこくった土方の手に無理矢理刀を握らせて、その背に指を添え、そ、と山崎はそれを動かした。ぴたり、自分の心臓に刃先を合わせて、止める。

「好きです、好きだ、どうしようもなく、あんたが、好きです。土方さん」
 土方の目が戸惑うように山崎を見つめ返す。山崎はそれだけで上手く息が出来なくなる。痛い、痛い、痛くて、苦しい。
 土方の手が、少し震えて、刃先がわずかに山崎の皮膚を傷つけた。
「っ、……」
「……誰が、そんなこと、してやるかよ」
 めんどくせえ。吐き捨てて、すい、と下ろされた刀の先。土方は目を逸らして、刀を引いて立ち上がる。
「馬鹿なこと言ってねえで、寝ろ。お前、もう、ほんっと、馬鹿」
 鞘に刀をおさめてしまって土方は、煙草の吸殻を捨て、ばさばさと機嫌悪げに埃を立てながら布団の中に再び潜り込んだ。半分残された場所は、山崎の場所なのだろう。当たり前のようにぽっかりと残っている。

 ぐ、と喉の奥からせり上がる何かを山崎は嚥下する。
 痛い、痛い、つらい、苦しい。うれしい。山崎はぎゅ、と硬く拳を握って、唇を痛いほど噛みしめた。

「……俺のものにはなってくれないくせに。ひどいひと」

 本当に、心だけでも斬れるのなら、それが一番いいのだ。他の誰でもなく、土方にとって。
(だって、ほら、)
 こんなことを、いつの間にか、口にするようになってしまった。薄気味悪いどろどろとしたものが忠誠心を覆い隠してしまう。歪んだ、汚い気持ちだ。甘ったれた女のような、女でなければ、許されない気持ちだ。
 土方は眠ったふりでじっとしている。そのくせきっと、山崎が隣に来るのを待っている。確信している、といっても、いいだろう。
 だって、そうでなければ、夜はまだ寒いのだ。布団を半分明け渡してしまって、冷たい布団の端っこで、寒くないわけが、ないのだ。
(……馬鹿なのは、あんたの方だ)
(俺のこんな気持ちなんて、あんたのことを、害するだけだ。俺はきっと、邪魔をするだろう。土方さんの、心、魂、生き方、信念、誓い、そんなものを)
 山崎は畳の上に無造作に放られた刀に目をやった。
(本当に何でも斬れるなら、……)



 何でも斬れる魔法の刀がここに一振りございます。
 恋する心に刃を向けて、この先お邪魔にならぬよう、


(どうか私を、殺しておくれ。)

      (10.03.03)