土方は商売女が嫌いだ。
きれいに着飾り白粉を塗って紅を塗って男たちを騙している。笑んで媚びて金を使わせその金で新しい着物を買う。嘘ばかりで塗りたくられていて、落ち着かないし苛立たしい。あなただけは本気、などと、何人の男に同じ台詞を言っているか知れない。そのくせ、こちらが少し不実をはたらくと怒り狂って手に負えなくなる。あんたのことは信じていたのに、と平気でそんなことを言う。何のために稼ぐか、ということは、この際関係がない。貧困の為に仕方なくでも、病気の弟妹がいるのでも、個々に事情はあるだろうが、嘘をついて人を騙し笑顔を売って金を儲けているのには変わりがない。
あるいは昔、田舎から出てきてすぐ、商売女に散々にからかわれたことを根に持っているだけかも知れないが。とにかく、土方は商売女が嫌いだ。
けれどこれも要は同じものじゃねえのか、という気持ちで、土方は山崎の横顔を見つめている。
薄くはたかれた白粉で肌の色を白く整え、厚めの唇にはやけにきらめく紅が塗られている。睫は濃く、長く、上向きに弧を描き、目元には淡い色が光の粒のように乗っている。
今は真剣な目で手元の紙に視線を落としながら、低く落とした声でなにやら、早口に喋っているようだ。動く唇の動きからなかなかに視線をはずしがたい。そうやわらかくもないはずの体つきは、上手く着物に隠されていて、袖から覗く手首だけ妙に細く可憐に見え、指の先に光る爪まで入念に彩られているものだから、目眩すら覚えそうだ。
「……って、副長、聞いてます?」
「……あ?」
よく動いていた唇が動きを止めたと思ったら、今度は細い線で囲まれたやけに目力のある瞳が、くるりと土方の方を向いた。唇は不機嫌そうに下向きの弧を描き、目には呆れたような色を含んでいる。
「聞いてなかったんですか」
「あ、悪ィ」
「悪ぃ、じゃないですよ、ちょっと。これしくじったら、どやされるのは俺じゃなくてあんたなんですからね」
しっかりしてくださいよ、と平手で軽く腕を叩かれて、思いの外強い力に少し目が覚めた。いてえよ、とすごめば、山崎は少し笑って、目が覚めました? と首を傾げる。
そうだ、これは、山崎なのだ。土方は思わずため息をつき、上から下までまじまじと山崎を見つめた。
そうだ、これは、山崎だ。そしてここは料亭の一室で、ふたつ隣の部屋には浪人たちが集まっている。あと少しすれば真選組の隊士たちも到着し、いざ討ち入りとなるはずだ。
先に潜入していた山崎は、宴席を抜け出し土方に内部情報を説明しているところ、という状況。
とどのつまりは仕事中で、しかもなかなかに集中力を要する場面であり、山崎の女装姿になど目を奪われている場合では、ないのである。
「まったく、もう。とりあえず、注意すべきなのは三人だけですから。一番奥に座ってる奴と、その右側に控えてる奴。後は一番手前に座ってる奴です。最後の奴が本当は一番厄介なんですが、俺が事前に使いものにならなくしておくので、まあ、大丈夫でしょう」
「どうやって?」
「薬をね、こう、ちょろっと」
小瓶を傾けるような真似をして、山崎が小さく肩を竦める。仕草や声は、それほど女っぽく見えないのに、そんな所作がどうしてこうも目を奪うのか、土方にはわからない。
「お前、この後戻るのか」
「ええ、まあ一応。無駄に警戒されても面倒ですしね。討ち入りの時間には上手く抜け出しておくので、ご心配なく」
「心配なんてしてねえよ、別に」
「あ、そう。別にいいですけどね。あと何分くらい?」
「三十分」
「ああ、ちょうどいい頃合ですね。酔いも回って」
「山崎」
「はい」
「よく化けてんな」
「…………人の話、聞いてました?」
呆れたように笑って、山崎はひらひらと土方の目の前で手を振った。光が爪の先でちらりと反射する。思わずその手首を掴んでから、土方は「あ」小さく声をこぼした。
それに山崎が噴き出す。隣の隣の部屋に聞こえないよう、という配慮だろうが、押し頃すくすくすという笑い方は、少し女のようにも見えた。
「お前、あれだ、キャバクラにいる女にそっくり」
「え、どのへんが?」
「嘘が上手いとこ。知ってる俺でも騙されそうだ」
「あは、それ、褒め言葉だと思っていいんスか?」
土方の掌からするりと手首を逃がした山崎は、そのまま指を土方の指に絡める。一歩、土方に近づいて、いつの間にか小さく折り畳んでいた紙をそっと土方の懐にねじ込んだ。
「何」
「さっきのメモ。全然頭に入ってなかったようだから、三十分のうちに見返しておいてくださいね」
「お前、そういうのどこで覚えてくんの?」
「は?」
「動きとか」
「……さあ? 町中でいろいろ観察したりとか、本読んだり」
「本?」
「男を喜ばせる百の方法、とかね、そういう類の指南書が、あるんですよ」
「……こええな、女って」
「本当にねえ。それで本当に引っかかる男も、それはそれでどうかと思いますけど」
単純ですよねえ、と言いながら、山崎は絡めていた指をほどく。
それが少し名残惜しく、土方は山崎の腰を抱き寄せようと動いた手をぎりぎりのところで押しとどめた。
「まあ、俺は女性のそういうところ、嫌いじゃありませんけどね。向上心があってよくないですか?」
「そりゃあ、お前は、半分女みてえなもんだからな」
「誰がそうしたと思ってんですか。勝手なことばっか言って」
ぽすん、と再び平手で軽く、今度は土方の胸を叩いた山崎は、鮮やかな色をした唇できゅっときれいな弧を描き、軽く目を伏せ背伸びをした。寄せられた唇を、土方は軽く背を屈めて受け入れる。
軽く触れた唇は、柔らかな感触を直接伝え、わずかに芳しい香りを残しながらゆっくりと離れた。きれいに塗られていたはずの山崎の紅が、少しよれてしまっている。気になって指を伸ばせば、同じように指を伸ばした山崎が、そっと土方の唇に触れた。
「紅、付いちまいました。ごめんなさい」
「お前こそ、剥げてるぞ」
「直してから、戻ります」
「そうか」
「ええ。……では、そろそろ」
名残惜しそうな速度で、山崎の指が土方から離れる。残念そうに目を伏せて口元だけで微笑むので、抱きしめてしまいそうになる。
あと三十分かそこらで、他の隊士が駆けつけて、討ち入りの後は山崎だって屯所に戻って合流するのに、何を寂しがることがあるのか、とは思うが、これは、いけない。どうも、騙されているとわかっているのに、騙されてしまいたくなる。
呼び止めたい、と馬鹿げたことを考える土方に背を向け、山崎は部屋の襖を開けた。二つ隣の部屋からは酔っぱらいの喧噪が聞こえてくる。土方と山崎は、あれを最後の晩餐に仕立てあげるためにここにいる。
「ね、土方さん」
襖に手をかけたまま、少しだけ振り向いて山崎は笑った。
「土方さんが商売女嫌いなことは知ってますけど、忘れないでくださいね。俺のこれは、嘘は、全部全部、あなたのためにするんですよ」
だからよく似合うでしょう?
艶やかな笑みを残して、山崎は土方の言葉を待たず部屋を出ていった。今から、紅を直して宴席に戻り、一番手前に座った男の杯に薬を落とすのだろう。
土方は大きく溜息をついて、片手で目元を覆い俯いた。
「これだから、嫌なんだ」
呻き声は喉の奥、土方以外に聞こえない。
お前にだったら騙されてもいい、だなんて、山崎には絶対聞かせない。