山崎は生来淡白な質で、愛や恋といったものをおよそ信じていない。
 馬鹿らしいと強く否定するほどの興味も抱いていない。いわゆる言葉遊びか、そうでなければ幻想か、とにかくそんなものだと思っていて、自分には関係のないものだと思っている。
 恋しい愛しい触れたい抱きたい守りたい。それらはすべてヒトという種を守るための本能的なそれであって、それを人は、脳内物質の作用によって何かことさら素敵な、唯一のような感動を勝手におぼえているにすぎないのだ、というのが持論。
 種の保存のためにそうするので、当然そういった感情は子を成すことができるよう異性に対して向けられるべきもので、そうでなければ意味がない。けれど世間でもそれなりに、同性愛者、が多いのは、結局のところ人間界というものがひどくやっかいで、子どもを生むにも育てるにも動物的にはいかないからだろう、と考えている。
 ある程度種としての数も増えて、保存について深刻に考えなくてもいい状態だから、脳内物質が妙な方向に作用しているのかも知れない、とも。
 だからこれは、ようは、そういうことなのだ。
 自分の首筋にやわらかく吸い付く土方の唇を感じながら、山崎はぼんやりと天井を見上げた。
 つまりは、そういうことなのだ。
 愛とか恋なんて、ただでさえ幻想なのに、この人と自分の間にそんなものが芽生えるはずがないじゃないか、とか。
 脳内物質の誤作用にしたってタチが悪いな、とか。
 そもそもそんな物質すら出てないのかもしれない。人間は万年発情期で、けれど動物的に本能に従うには世間の柵がうるさい。出さなければいけないものは適当なところに吐き出してすっきりしてしまうが吉。
 そしてどうせ吐き出すなら少しでも快楽は多いほうがいい。
(……ああ、ということは、土方さんは少しでも、気持ちいいんだろうか)
 自分の右手を使ってそうするのと、山崎の体を使うのと、どちらがより快感が強くてどちらがより自尊心を傷つけないのか、山崎には分からない。
 どっちもどっち、のような気もする。
「……土方さん程の男前なら、許してくれる女もいるでしょうに」
 思ったらうっかり口にしていた。
 あ、と口を押さえた山崎を、顔をあげた土方はきつく睨みつけるようにする。瞳には熱が篭っていて、尖った空気をまとっているが、別に殺気立っているわけではなくて発情しているだけなのだ。
 証拠に、はあ、と熱っぽい息を吐き出しながら、土方は山崎のこめかみに唇を押し当てた。軽く啄ばむように、こめかみから頬へ、唇へ。
「……何か不満があんのか」
「いえ、別に」
「言いてえことあんなら、言っとけ。聞くだけ聞いてやっから」
「不満はないです。ただ疑問」
「何だよ」
「怒られるから言わない」
「言わなきゃ怒んぞ」
 ちゅ、ちゅ、と軽い音を立てながら、土方の唇は山崎の顎を通って首筋へ戻る。無遠慮に着物を乱されて、山崎は喉の奥から吐息を吐き出した。はあ、と零れた熱の篭るそれに、土方が低く笑う。
「何ですか」
「いや、別に? そんでなんだよ、おら、言え」
 一度だけきつく、痕を残すように吸いついて土方は山崎を促した。ちり、と走った痛みに一瞬呼吸を止めてから、山崎は息を細く吐き出す。熱が混ざっているのだと感づかれないように注意深くそうしたが、土方には意味がないのかも知れない。おもしろそうに口の端を引き上げている。
「…………子どもがね」
「あ?」
「……子どもが、できても、許してくれる女はいるでしょうよ、って話、です。認知しなくてもいい、みたいなさあ。十四郎さんの子どもが手に入るならそれだけでいい、みたいな」
「……おい」
「ほら怒る」
「怒らねえよ」
 言いながら、土方は強張った顔で首を傾いだ。眉間にきつく皺が寄っているので、やはり怒るんじゃあないかと山崎は小さく唇をつきだす。
 そんな山崎をじっと見つめ、難しい顔で暫く黙っていた土方は、はあ、と今度は熱のこもらないただの溜息を吐きだして、何かをやり過ごすように山崎の髪を撫で、頬を撫で、ついで、その手を探り当て指を、絡ませた。
「……なんですか」
「くそ、お前な……もっかい、言え」
「はあ? だからね、子どもができても」
「そこじゃねえよ」
「どこだよ」
 今度は、山崎から目を逸らすようにして、その両目を瞑り、また暫くの沈黙。
 思い出したように再び山崎の着物を乱し、肌を少し弄って、それから小さな声で、
「名前」
 ぽつりと言った。
「……はあ?」
「呼べ。もっかい」
 着物を乱し肌を弄っていた手を止めて、土方が顔を上げる。やはり熱っぽい、気配の尖った、真剣な目をしている。
 山崎は小さく息を吐いて、目を伏せた。あまりこの目で射抜かれるのが得意ではないのだ。心臓がざわざわして、落ち着かない。
「……なんでですか、もう」
「好きだから」
「は、なにそれ……」
「お前のことが、好きだから。こういうこともしてえし、名前も呼んで欲しいし、お前じゃなきゃだめなんだろ」
「…………」
「鳥頭か。脳ミソ生きてっか? 何回言わすんだ」
 呆れたように言いながら、土方は絡めたままだった山崎の手を持ち上げ、その指先に唇を押し当てる。
 熱い吐息が山崎の皮膚を刺激して、神経を高ぶらせた。ぴくりと動いて逃げようとするその手を、土方が優しい、けれど有無を言わせない力で握る。
「退」
「……、」
「他の誰が許さなくても、おめえが許せばそれでいい」
 嫌か、と問いながら、土方の指が山崎の肌を滑った。背筋を駆け上がった快感に、山崎はきつく眉根を寄せる。
「……嫌、では、ないです」
「だろうな。お前はそれが、答えだっていい加減気づけ」
 苦笑をこぼして、土方は再び山崎の肌に唇を滑らせる。熱く、優しく、山崎の神経を刺激して、乱して、山崎の理性的な思考を少しずつ、けれど確実に剥ぎ取っていく。
 快楽は多いに越したことはないし、世間的な柵を気にする必要がないのなら上々。脳内物質の誤作用で心臓が高鳴っているだけで、愛だの恋だのそんなもの、少なくとも自分たちの間で発生するわけないじゃないか。
 思うのに、それらは少しも言葉にならず、山崎は深呼吸を繰り返しながら両手で火照った顔を覆った。
 名前を呼ばれるだけで金縛りにあったようで、好きの言葉ひとつで呼吸も止まってしまう、だなんて、脳内麻薬の所為にしたってタチが悪いにも程がある。

      (10.07.09)