ひどい血の匂いだ。慣れている土方でさえ思わず口元を覆ってしまう程だ。現場は存外きれいだった。あまり散らばっていない、という意味で。
おそらく大きな抵抗をする暇もなかったのだろう。一太刀で息絶えたのかも知れない。が、それにしては太刀筋が多い。
 土方は眉間の皺を一層深くさせ、背後の控えた下手人を振り返った。うっとうしい髪で顔を隠すように俯き黙っている彼の手には、まだ血に汚れた刀が握られている。
「誰が殺していいっつった」
 低い声で聞けば、下手人はわずかに肩を揺らした。が、口は開かない。
「山崎」
 名前を呼べば、今度は頭がわずかに動いた。恐る恐るといった様子で顔が上がり、ちらっと土方に向けて視線が動く。怯えているというよりは、拗ねているような目。
「だって」
 そして開口一番出てくるのがそんな言葉だ。
「だってじゃねえよ」
「だって土方さんの悪口言ったから」
 ぱん、と頬を張れば山崎は反抗的な目で土方を見上げてきた。まだなお言い募ろうとするので、反対側の頬を先ほどよりも強めに叩く。
「誰が、殺していいっつった」
「……証拠は回収しましたよ」
「てめぇはそれをどうやって、どこに出すつもりだ? 証拠があるので罪人ですから殺しても罪になりませんとでも言うつもりか?」
「……」
「山崎くんよォ」
 ぐい、と髪を掴んで無理やり顔を上向かせれば、山崎はさっと目を逸らした。それが腹立たしくて膝で軽く腹を蹴る。
「残念ながらこの国は、法治国家なんだよ山崎くん。俺たちが人を斬っても許されるのは相手が悪いやつだからだ。悪いやつだと法で決まったから殺しても咎められねえ。俺たちは、人殺しじゃねえんだ」
「詭弁です」
「わァってんだよそんなこたァ」
 掴んだ髪を乱暴に揺さぶり、ついでに頬を殴る。殴られなれている山崎はとっさに歯を食いしばったので、血を吐き出したりはしなかった。そもそもそれほど強い力で殴ってはいない。
「……何て言われた」
「…………」
「悪口ってぇのはどんなだ。何て言われてここまでやった」
「……お教えできません」
「言え」
「言えません」
「言いつけも守れねえ駄犬の分際で口答えしてんじゃねえよ。さっさと答えろ」
「……主人の言いつけも守れねえほどだった、ということで、ご推察ください」
 低い声で言って山崎は目を伏せた。唇を硬く引き結んで、殴っても蹴ってもきっと答えはしないだろう。
 土方は山崎の髪を掴んでいた手を離し、血溜まりに沈んだ死骸を見やる。
 正確な一振りでもって一息に逝ったのだろうと思われた。やたらと多い太刀筋は、きっとそれが息絶えたあと与えられたものだろう。

(面倒くせえ。駄犬が、余計な仕事を増やしやがって。躾を誤ったな)
(……だが、)

 山崎は黙して俯いたままでいるので、何を考えているかわからない。
 あるいは山崎にとって理不尽な理由で叱り飛ばした主人を罵っているのかも知れない。
 黒い隊服は血を吸ってますます重たく、暗くなっている。血の匂いをさほど感じないのは、 土方の嗅覚が麻痺してきたからだろう。
 だらんと力なくぶら下がった腕にはいまだ、刀が握られている。

(……俺たちは、人殺しであってはならねえ)
(が、こいつは人殺しだ)
(端っから、そうだったのだ。善良な振りをして、無害な振りをして、平気で人を殺せるのだ。法だァなんだ、こいつには一切の関係がねえ)
(わかっている。が、)

「……それでも欲しがったのは、俺だな」
「副長?」
 声になって零れた思考に、山崎が怪訝そうに首を傾げた。
 これが、主人への暴言に激昂し刀を振るう様はきっと美しかったろう。

(……どうかしてるな。だが、悪くはねえ)

 きっと美しく斬ったろう。
 それは偏に主人のためなのだという。

 それはなかなか、悪くないことのように、土方には思われた。
 顔をじっと見つめたまま黙り込んだ土方に、山崎はやっと叱られた犬のようなおどおどとした態度を見せはじめている。
 土方はその目元に飛び散っていた血を指で乱暴に拭った。涙を拭く動作に似ていた。

      (10.12.15)