人殺しは四人いる。前には五人だったが四人に減った。減った一人は死んだのだったが、生きていても二度と刀は握れなかっただろうから、死ねてよかっただろう。人を斬ることと生きることが同義のような男であった。
残った四人のうち、一人は女である。これは刀でなく拳銃を使う。人を何人殺しても、自分の手を汚さずにすむ道具だ。早撃ちをする。赤い着物を着てひらひら飛び回るように軽やかに人を殺すので、赤い弾丸と呼ばれている。しかしこちらとして見れば、彼女は弾丸などではなく、どちらかと言えば蝶に似ていた。花から花へと飛び回るように、人を殺した。時にそれはうつくしかった。けれど彼女は、まだまっとうな心を持っているのだろう。殺さずにすむときには、殺さないようにしているようだった。それは甘えだ、と思う。が、女なので、仕方がないこともあるだろう。
もう一人人を殺すのを嫌がる人殺しがいた。嫌がるというよりは、単に技術が不足しているだけなのかも知れない。殺せないことはないが、技巧が稚拙で、人を一人殺すのにたくさんの時間を要する。構えた刀がみっともなく震えたりもする。フェミニストを気取っている幼女趣味だが、たとえ幼女でなくとも、この男は、刀を向けたがらなかった。臆病者なのだ。その代わり頭を使った。妙に凝った作戦を考えて悦に入っていることがあった。刀ではなく頭を使って人をたくさん殺した。この男の考えた作戦で人が何人も死んだ。なので彼も人殺しには違いない。
もう一人は生粋の人殺しだった。せんに死んだ男と同じように、生きることと人を斬ることに違いがなかった。耳を塞ぐ大きなヘッドフォンは断末魔を聞かないようにするためかと思っていたが、どうも、単に歌が好きなだけのようである。時に歌を口ずさみながら人を殺した。刀に付いた血を拭ったその手で曲を作った。妙な男だったが、腕はよかった。頭もよかった。時に酔狂で敵に情けをかけたりもしたが、思想があって人を斬っているわけではないので、仕方がないことだろう。人を殺すことが単純にすきなのか、鉄線を使って人を殺すことも好むようだった。じわじわと嬲り殺しにするようであまり好ましくはないが、それを薄い笑みを浮かべてやってのけるので、見ている側としては、さして悪いことでもないような気がしてくるのである。不思議な男だった。
人殺しは四人いる。前には五人だったが、今は四人である。三人について語ったが、最後の一人とは俺のことだ。昔は志士と呼ばれ、今ではテロリストと呼ばれている。つくづく、人の価値などというのは他人からの相対的な評価によって決まるのだな、と呆れる思いがする。志士と呼ばれていたときと、今とで、やっていることは何一つ変わってはいない。変わったとすれば周囲が変わったのだ。かつて同士だと息巻いていた人間も、今ではすっかりいなくなった。三人の人殺しと、その下についている人間たちは、テロリストと呼ばれるようになってから付いて来た人間である。きっと少し前の時代であったら、彼らも志士と呼ばれただろう。やっていることは何一つ変わっていないからだ。
そもそも最初に志士と呼ばれたときだって違和感があった。鼻で笑い飛ばした記憶がある。これがそんなに高尚なことか、と思った。ただ単に周りが息巻いているので乗っかっただけで、そこに思想も何もありはしなかった。ただそれが時流だった。それに乗った。多くの者がそうだったろう。俺もきっと、そうだった。
それがすり変わったのはいつからだったろうか。もう覚えてはいないが、仲間と呼んでいた人間が、何度目か散り散りになったときだったように思う。作戦であったり逃げるためであったりと、何度か離れることはあったが、そのときは誰もが、これが最後だと、思っただろう。ここで散れば、同じようには刀を持てないだろう、という確信があった。敗残兵というのが正しかった。俺たちは、負けたのだった。
もとより確固たる思想があったわけではなく、ただ、時流に乗っただけだった。なので多くの者はそこで刀を捨てた。折って埋めて溶かして捨てた。
けれど俺はそうできなかった。手から刀が離れなかった。もう戻れない、と思ったのは、失った左目のせいであるかも知れないし、失った光のせいであるかも知れない。俺は世界を憎んでいたのだ。世界を壊したかったのだ、と、そこで初めて気が付いた。天人に刀を向け幕府に反逆してきたが、敵はそんなものではなかった。
敵は世界そのものだった。
時流に乗ったのでもなく思想を持っていたのでもなく、俺は世界を壊してしまいたかったのだと、情けないことにそこで気が付いた。いや、時流に乗る、という理由がなくなったから、初めてそこで理由を作ったのかも知れない。わからないが、どうでもいい。
ただ刀が手から離れなかった。離すことはできなかった。俺の唯一の光を奪った世界をどうして許しておけるだろう。あの人を殺すことで成り立っている世界など、どうして享受できるだろう。
俺はテロリストになった。
つまらなさそうにしている人斬りに声をかけた。人の命を監察対象としか見ていない学者を誘った。戦争で親を焼かれ人を殺して生きている子供を拾った。罪のない人間をいたぶるように殺しては満足できぬように肩で息をしている人間を呼び込んだ。
人殺しは五人になり、一人減って、四人になった。その下には刀を持った人間が多くいた。思想があるのかないのか、理由があるのか、ないのか、どうでもいいことだが、一様に彼らは刀を捨てられないようだったので、飼った。
刀を捨てないために、世界を壊すことを選び、世界を壊すと決めたので、手段はどうでもよくなった。幕府の中に駒を送り、天人にさえ媚びを売った。最初にはじめた頃のように、理由などなくなった。きっかけなどどうでもよくなった。
左目も光も、失ったものは皆、帰ってはこないということは、わかっていた。取り戻すために戦っているのではなかった。そんな高尚なものではなかった。どんなに人殺しを連れても、どんなに鬼の名を与えても、それは過去とはまったく違うものなのだ。わかっている。どうでもよいことだ。感傷に浸っているわけではないのだ。昔の名前を利用しているだけだ。
あの人は因果応報という言葉が好きだった。よく口にした。人に刀を向けるなら人に刀を向けられる覚悟をしなさいと、うんざりするほど教え込まれた。あの人は多くのことを俺に教えた。刀の握り方だけではなかった。この世の生き方、愛し方、楽しみ方を教えた。教えるだけ教えて消えた。卑怯な人だ。かわいそうな人だった。唯一の光だった。心が真っ直ぐでうつくしかった。目を瞑ってもどこにいるかわかるようだった。光だった。
刀を向けるならば、向けられる覚悟をしろ、と言われ教えを受けたので、死ぬことは怖くなかった。人をたくさん殺しているので、いつかひどい死に方をするだろうなと思っている。
人殺しは四人だが、いずれ、三人になり二人になり、一人になって、死ぬだろう。
誰にも悲しまれずに死ぬだろう。
そう思いながら今夜も刀や拳銃の手入れをする。人を殺すために準備をする。そうして酒を酌み交わし、人を殺すための話をする。おもしろいことを言っては笑い、からかわれては怒る。まっとうな人間のように酒に酔い、夜は武器を抱いて眠る。
人を殺さないでいることが、狂気を外に向けずにいることが、死ぬよりも苦しいことだとわかっているのでそのようにする。
規則正しく呼吸をするためには世界を壊すより他に道はないのだと、ただ、信じているのだ。