化粧のりが良いように、と女のように手入れされた白い肌に指を伸ばす。目の下に付いた細い傷をつ、と撫でれば、痛むのかびくりと、山崎の身体が揺れた。それに構わず、今度はその傷の少し下を強く押す。抵抗するでなく文句を言うでなく、山崎はされるがままに大人しくしていた。大人しくしていろと言ったのは沖田で、それは命令。立場的に山崎が逆らうことができないわけではなかったが、そう強く言えば山崎が何もできなくなることを、沖田は知っていた。
傷口の下を強く押す。細く赤い傷口に血がぷくりと浮かび上がり、球になったそれは堪えきれずに下へ落ちた。細く、血の涙のような跡が山崎の頬に残る。
それに構わず、沖田は自分の指に付いた山崎の血を舐め取った。そこまでされても何も言わず、山崎は大人しくしている。
抵抗すればいいのに、と、舌打ちしたい思いで沖田は山崎を睨みつけた。
その視線にたじろいで、山崎は左右に視線を揺らす。何ですか、とも、やめてください、とも言わない。ただ、少し身体を強張らせて視線をさ迷わせて困惑しながらその場をやり過ごす。
「……痛い?」
「はぁ……ちょっと、ぴりぴりします」
沖田さんの所為で、と、ちょっと山崎は笑った。その笑顔に沖田も眉間の皺を取る。涙のように流れた血を指ですい、と拭えば、山崎の頬にその血が伸びた。傷口に触れないように、指でその血を拭っていく。
その沖田の行動に、山崎は何も言わなかった。目の下を掠める指にびくびくとしながら、目を閉じて静かに耐えている。
爪跡。
長い、長い、女の爪が、山崎を詰ってつけた跡。
「……うそつき、って」
「…………」
「最低、って、言われちまいました……」
何度も何度も、飽きずに目の下を撫ぜていく沖田の指を感じながら、山崎は目を閉じたままぽつりと言った。その言葉に耳を傾けるため、沖田は手を止める。
「うん、……」
「目が、怖くて、痛いとかより、怖くて、」
「うん……」
「女の人の爪って、凶器になりますね」
ふは、と笑って、俺も伸ばそうかな、と冗談を言う。
そんな山崎の、血に濡れた頬を沖田の指が優しく撫でる。
細く細く、目の下に付いた爪跡。
騙して、落として、情報を搾り取るだけ搾り取って、捨てたことで詰られて。手練手管と口先で男も女も追い詰めて、全てを奪って裏切り去る。それが、山崎の仕事だ。
それが山崎の、ここで生きていく証だ。
「……何度、」
苦々しげに、溜息を吐く。目を閉じたままの山崎の眉根がきゅう、と寄せられる。苦しいような泣き出しそうな顔を間近で覗き込んで、沖田の方こそ苦しくて堪らない。
「何度、言われても、……慣れませんね…」
泣き喚きながらうそつき、と詰った女は、その手で山崎の頬を打った。
避けられる速度だったが、山崎は避けなかった。
長く伸びてきれいに整えられた爪が、山崎の目の下を掠め、傷を作る。山崎の傷を抉る。
「ダメだなぁ……」
自嘲するように笑った山崎は、泣きそうな表情のまま固まる。
泣いてもいいよ、と言おうとして、沖田は口を噤んだ。
代わりに、あやすようにして山崎の頭を撫でる。子供にするように柔らかく、恋人にするように優しく、頭を撫でて、髪を梳いて、頭を撫でて。ぽんぽん、とあやすようにして。
「お疲れ様」
軽く力を入れれば、山崎の身体は躊躇いもなく沖田の腕の中に納まる。沖田の隊服をきつく掴んで、耐えるように息を詰めているのが分かる。
泣く行為は、自分の傷を癒す行為だから、山崎がそれをしないでいることを沖田は知っていた。何度か同じような状況で、何度か山崎を慰めて、頑なに泣かないようにと歯を食いしばる山崎をいつも見ていて沖田は知った。
裏切り者と呼ばれ、最低だと罵られ、一瞬でも情を交わした人間を、笑顔で喋った人間を、目の前で殺されていく光景に耐えて。その痛みを全て抱えたまま、山崎は仕事を繰り返していくつもりでいるのだろう。
痛みを忘れないようにしたまま。目の下についた傷跡さえも、手当てすることを良しとしないまま。
沖田は山崎の背中を撫でながら、天井を仰ぎ見る。
自分が抱きしめることで山崎が癒されればいいだなんて、そんな打算的なことをこの状況で、考えている自分が浅ましい。
傷ついて縋りつくのがこの先いつまでも自分であればいいだなんて、そんな甘美な考えに浸る自分の浅ましさが疎ましい。
抱きしめることで、声をかけることで、少しでも腕の中の愛しい人が、元気になって立ち直って、一瞬でも早く笑えるようになるのなら、それだけで自分はどれ程幸せか分からない。
「山崎……」
小さく名前を呼べば、強張らせていた身体の緊張を解き、ふっと顔を上げる。
泣き顔の方がどれだけマシだろうかと思うほど、苦しそうな顔をしている。
沖田は、血に汚れた頬を親指ですい、と撫でて、それから同じ指で傷口に触れた。走るぴりりとした痛みに山崎が一瞬身を竦ませる。
その隙を突くようにして、沖田は山崎の傷口に唇を寄せた。
「…っ……」
びくり、と山崎の身体が逃げようと動く。その肩を押さえて、沖田は傷口をゆっくりと舐めていく。
舌に広がる血の味。鉄臭い、不味い味。
唇を滑らせて、舌で舐め取って、吸い上げるようにして、飽きずに血を舐める沖田の後頭部をいつしか山崎は柔らかく抱いていた。
傷口に痛みが染みて山崎の身体が時折びくりと跳ねる。その反応を薄目を開けて窺いながら、沖田は血の味が舌に慣れるまで、山崎の傷口から唇を離さなかった。
このまま、一滴残らず吸い取って飲み干せたら、どれ程自分は幸せだろうか。
「山崎ィ」
「はい……」
「痛いですかィ?」
「ちょっと……染みますね…」
苦笑いをする山崎の瞳を、沖田が近い距離から覗き込む。血に濡れた唇で、にい、と笑って、再び傷口に唇を寄せた。
「痛かったら、泣いてもいいですぜ」
「……そう、…ですね……」
沖田の言葉に山崎は、泣き笑いのような顔をして、猫のように傷を舐める沖田の髪を柔らかく梳く。沖田はその手の感触に自分こそが泣きそうになりながら、優しく優しく、山崎の傷口を舐める。
このまま、一滴残らず吸い取って飲み干して、痛みを全部奪ってしまえれば。もう二度と、傷を癒さない愛しい人が苦しまずに済むのならば。
どれ程幸せだろうかと、沖田は思って、苦しさで、唇をゆっくりと離した。