カタカタと、音がする。
窓の外では、蝉がうるさく鳴いている。
夏の日差しが真っ直ぐと入り込んで、畳を静かに焼いている。
エアコンから流れ出した人口の風が、体温を静かに奪って行く。
手が、冷たい。指先を暖めるように握り込んだ俺の動きに気付いたのか、沖田さんの手が俺の手に伸びて、内側に隠していた指を奪った。俺の手の代わりに自分の手で指先を握りこんで、暖めるようにしてくれる。握られていない部分が、風に当たって冷えていく。握られた指先が、温かい。
その間も、口吻けが止まない。
「んっ……ぁ……」
息継ぎに離された唇は、一瞬の間を置いて再び塞がれる。唾液で濡れた唇が、人工的に冷やされた外気に触れてひどく冷たい。寒さに身体を震わせれば、次の瞬間再び唇は熱を与えられている。舌を差し込まれた口内が、熱い。
もう、どれくらい、こうしているのか。
「…ぁ……ん…ぁ……」
口吻けより他、することもなく、どれくらいこうしているのか、分からない。
部屋に入ってきてからこちら、沖田さんは一言も喋らないままだった。俺を静かに見下ろして、俺を静かに抱きしめて、俺に静かにキスをして、それだけだ。何があったのか、どうしたのか、聞く隙すらも貰えない。
エアコンの風が丁度当たるので、寒さで体が震える。それなのに、耳には蝉の鳴き声が届き続ける違和感。せめて温度を上げたいなぁ、と思っている間に、塞がれた唇にぐっと体重をかけられた。
握られていた手が離されて、俺の後頭部と背中に回る。仕方なく俺は腕を伸ばして沖田さんの背中へ回し、冷えた指先で、着物を掴んだ。
とさり、と倒された畳が、太陽の熱で暖められて心地良い。背中からじんわりと伝わる熱にうっとりしていると、唇がやっと離された。
自分の吐く息の熱と、至近距離で沖田さんの吐く熱と、エアコンの風で冷やされていく唇の対比。窓から真っ直ぐ差し込んでくる太陽の光の所為で、逆光になった沖田さんの表情が見えない。
重力に従ってさらりと落ちてくる沖田さんの髪の毛が、風に揺られて俺の頬に触れる。くすぐったい。唇を離してもまだ尚、沖田さんは何も言わない。
「どうか……しましたか……?」
どうかしましたか、だなんて。どうかしているに決まっているのに、そんな聞き方しか出来ない自分が不甲斐なく情けない。そんな俺の言葉に首を横に振った沖田さんの表情がよく見えなくてもどかしい。
「沖田さん?」
名前を呼べば答えもなく、再び唇が降りてきた。唇でなく、首筋に落ちたそれがゆっくりと肌の上を滑っていく。沖田さんの髪の毛がくすぐったい。焦らすような動きでゆっくり唇が動くので、体温が上昇していく。火照った頬に、冷たい風。
外では蝉が、鳴いている。
エアコンがカタカタ音を立てている。
「ん、……おきたさ……っ」
当然のように足を割られて、太ももの内側をなで上げられる。着物が肌蹴て、むき出しになった足が、寒い。首筋を何度も何度も吸い上げていた沖田さんが顔をあげ、一度、俺の頬を撫でた。頬を撫でて、前髪を払って、思わず閉じた俺の瞼の上に唇が落ちる。一瞬、掠めるように。
気配が離れた、と思って目を開ければ、今度はやはり当然のように、俺の足元へ移動をしていた沖田さんが、やはり、何も言わず、俺の足を持ち上げて、その甲に口吻けをするのが見えた。
「……沖田さん?」
何も、言わない。聞こえない。
蝉の声が、耳に煩い。
甲にくちづけて足首にくちづけて、脛の内側の柔らかい肉に一度だけ軽く歯を立てられる。歯を立てたところを丹念に舐めて、それからまた、するりと唇はすべり、太ももの内側を一度噛む。
噛んで、舐めての繰り返し。
「やっ……は、…ぁ……」
食われていくような錯覚。歯を立てられる痛みが舐められて快感に変わり、背筋を駆け上がってくる。体が熱い。あんなに寒かったのに、息が上がっていく。指先だけが、ずっと冷たい。
蝉の鳴き声が煩くて、エアコンが音を立てていて、心臓がドキドキ鳴っている。
声を一度も聞かないまま抱かれるのは怖いな、と思って、しかし抵抗をしてはいけない気がして、俺はゆると目を閉じた。瞼を透かして届く光が血管を通しての赤。
飽きるほどの口吻けをあらゆる所へ繰り返していた沖田さんが身体を起こす気配がした。
「…………?」
目を開ければ、身体を起こした沖田さんが俺の足元に座り込んだまま両手で顔を覆っている。泣いているように見えて慌てた。身体を起こして沖田さんの顔を覗き込む。両手で隠されていることが不安で、その手をどけようかどうしようかと迷いながら少し触れた指先が、恐ろしく冷たかった。
さっきまで、あんなに、熱かったのに。
なんで。
慌ててエアコンのリモコンを探す。畳の上に転がっていたそれを拾い上げて、エアコンの電源を切った。ピ、という音がして、カタカタという音が止む。部屋を冷やしていた冷たい空気がふつりと途切れて、静寂。
窓の外で、蝉が、ずっと鳴いている。
「おきた、さん」
呼んで、そうして、躊躇いながらも顔を覆っている手を退けた。そして表情を窺うより先に沖田さんが俺に抱きつく。顔を肩にうずめられて、やはり、顔が見えない。
「やまざき」
小さな、小さな、小さな声が、耳元でやっと聞こえた。
抱きつかれていなければ聞き逃してしまうくらいの、小さな。
「すき」
小さな、小さな、声がして、腕にぎゅっと力が篭る。
「どうしよう壊しそう」
冷えた空気が、多分、障子の隙間とか天井の隙間とかそういうところからどんどん逃げていって、部屋の気温がゆっくりゆっくり上がっていく。ぴたりと閉めた窓の外には夏の気配が濃厚に広がっている。蝉が、大きく鳴いている。太陽が熱く、畳を静かに焦がしている。
抱き合った隙間から、じんわりと熱が生まれていく。冷たかった指先がいつの間にか体温を取り戻していて、肌蹴かかった着物が、妙に足にまとわり付いて鬱陶しい。
抱き合った隙間から、じんわり熱が生まれていく。
「どうして?」
抱きつく沖田さんの背中に手を回す。抱きしめるように力を込める。
いつもいつも、俺が抱きしめてもらうばかりで、沖田さんを抱きしめるなんてこと、甘やかすなんてこと、滅多にできることじゃない。
耳に、沖田さんの呼吸の音が届く。
触れた部分から、沖田さんの心臓の音が響く。
今日、沖田さんの顔を見てから、ずっとずっと聞きたかった沖田さんの生きている音だ。
「壊していいのに。あなたなら」
回された腕が一瞬強張ったのが分かった。躊躇うように、一度離れかけて、それから再び首に回る。きつく、力を込められて、これで呼吸が止まればそれは結構間抜けな死に方だなあ、と思った。
だんだん苦しくなって、苦しさを誤魔化すために俺も回していた腕に力を込める。これではどちらが抱きついて、どちらが抱きしめて、どちらが甘えているのか甘やかしているのか、分からなかった。じんわり熱が溶け合って、どんどん気温の上がる部屋で、うっとうしいくらいにまとわり付く。汗が、じわりと滲んでいく。熱を持った指先から溶けて、そのまま、どろどろになって混ざり合えばいいのになぁ、と考える。蝉の声。
沖田さんは、それ以上何も言わずに、俺の名前も呼ばずに、ただ、首に回していた腕を緩めて、今度はいつものように腰から腕を回して、やっぱり強く力を入れて、うずめた俺の肩口に、柔らかい力で歯を立てた。
呼吸をする音が、して、心臓の音が聞こえて、熱が、生まれて溶け合う感覚に、俺は静かに目を閉じる。
きちんと生きて、俺を見て、そうして壊してくれるのなら、別にいいのに。あなたなら。
あなたのためには死ねないけれど、あなたになら、壊されても殺されても、文句の一つも言わないのに。
あなたのためには死ねないから、命を捨てる意思以外は、全部あげようと思っているのに。
沖田さん、と小さく呼んだ。少しの間を置いて、退、と呼ばれた。総悟さん、と呼びなおした。
少し、総悟さんは笑って、そして、やはり、柔らかく、俺の肌へ噛み付いた。