冷房を入れれば寒すぎるし冷房を入れなければ暑い。じゃあ設定温度を上げればいいじゃないかと思うけれど、それでわざわざ電気代を使うのは勿体無い気がして、結局古い扇風機で暑さをしのぐ夏。
背中から伝わる熱が、言っちゃ悪いがひたすら鬱陶しい。
「沖田さん」
「…………」
「沖田さんっ」
「…………」
俺の背中を背もたれ代わりにして眠っている沖田さんに声をかける。すやすやと規則的に聞こえる寝息は、本当に眠っているのかそれとも狸寝入りなのか判断できない微妙なところだ。こんな近くでこんなにしっかり呼びかけて起きない人でもないと思うが、昨夜、というか今日の明け方近くまで一番隊はいろいろ大変だったみたいだから、もしかしたら疲れて本当に眠っているのかも知れない。
疲れて眠るのなら、自分の部屋を涼しくしてそこで横になって眠ればいいのに。
何故好き好んで寝づらい寝方をするのか、分からない。
「沖田さん〜、お願いだから起きてくださいよ〜」
凭れかかっている方は良いのかも知れないが、凭れかかられているほうは正直辛い。預けられる体重に背骨が少し悲鳴を上げる。決して俺がひ弱だからとかそういうことではないはずだ。同じような身長の、同じような体重の人間に完全に寄りかかられて、その状態で机に向かって書類整理を悠々としていられるほど、俺は見かけによらずマッチョな人間じゃなかった。
書類の整理をするためにはどうしても前かがみになるから、そこに後ろから思いっきり力をかけられて、正直辛い。書類整理を諦めようにも、これは今日中に副長に回さなければ確実に怒鳴られて殴られるので、できれば諦めたくはない。
だからと言って、たとえ狸寝入りだったとしても穏やかに呼吸をして安心して体重を預けてくる沖田さんを、実力行使で引き剥がせるかと言えば、それもできなかった。
古い扇風機が時折ガガっと不穏な音を立てる。引っ付いた背中にじとりと広がる熱は、扇風機では解消できない。やっぱり冷房つけようかと今更思ってみても、エアコンのリモコンはお行儀よく壁にかかってしまっていて取りにもいけない。
開け放した窓からも開けた廊下からも、風はちっとも入ってこない。
この国の伝統家屋が暑さに強い作りだなんて嘘だ。とりあえず、天人の持ち込んだ温暖化現象の前には家屋の作りなど何の意味もなさなかった。
あーもうどうしようかなー、と半ばいろんなことを諦めながら、俺は背中側にぐっと力を入れた。このまま机に向かって前傾姿勢を保とうとしたら、暑さと重さでつぶれて立ち直れなくなるような気がした。沖田さんのかける体重と俺のかける体重が均一になって、丁度並行が保たれる。じとりとした暑さは相変わらずだし、その中で背中がぴたりとくっついているというのはあまり嬉しい状況ではないが、それでも少し楽になった。
もう少ししたら本格的に起こそう、と筆を置く。凭れかかる沖田さんの背に同じように凭れかかって、両手をだらりと投げ出した。
途端、投げ出した手を繋がれて、予想外のことに思わず息を呑んでその拍子に舌を噛む。
「ッ〜……」
後ろに向かって投げ出された俺の左手を、沖田さんの右手が握っている。正確に言えば、指を絡められて、いた。
甘えるようなその動きに愛しいなあと思いながらも、やっぱり狸寝入りだったのかと項垂れる。もう本当に、仕事したいんだけどなぁ……。
そうやって俺を翻弄している沖田さんと言えば、やはり何も言わないままで眠った振りをしている。俺の溜息など聞こえているだろうのに笑う気配もないのは、もしかしたら本当に眠っているのだろうか。眠っていて、無意識に手を繋がれたのだったら、嬉しいやら恥ずかしいやらでどうしようもない。ついでに、怒って払いのけて仕事をすることもできやしない。
どこまでいってもずるすぎる。
仕方なく、絡めとられた指に力を入れた。返る力はなかったので、やはり本当に眠っているようだった。
ぴたりと触れ合う背中に加えて、手まで暑くなるなぁ、と思って、それでも、背中よりかなり簡単に引き離せるであろうそれを手放せなかった俺は、どうしようもないくらい、頭が悪いのかも知れなかった。
じわりと汗が滲んでいく。暑い。扇風機ではとても冷ませないくらいに暑い。こうも暑いと呼吸をするのも億劫になるな、と思いながら、浅い呼吸を繰り返す。穏やかに眠っている沖田さんが羨ましかった。あと10分したら、起こそう。そう思い始めてからもう15分も経っていることに俺は気付いていた。気付いていて、けれどまだ、声をかけることはできなかった。
背中に、じとりと汗が滲んでいく。触れ合った部分から熱が伝わるとかそんなかわいらしいもんでなくて、ただ暑い。塞がれた背中が苦しくて、風が通らず熱が逃げなくて、じとりと汗をかいていくのがわかって気持ちが悪い。
あと、10分したら。もう一度時間を設定した。きっと、10分経っても起こせないことは、俺が一番よく知っていた。
同じ力を背中にかけて、苦もなく釣り合っているその状態が嬉しくないと言えば嘘になった。鬱陶しいのも限りなく本当だが、それでもやはり、嬉しいなあと思う気持ちがないわけではなかった。
背中を預けて簡単に、安心してしまえる沖田さんが愛おしくて、暑ささえなければずっとこのままでもいいのになぁと非現実的なことをこっそり思っている。
繋がれた左手とは別に、右手をそっと後ろに回した。後ろに回して、だらりと投げ出されている沖田さんの左手を探った。探り当てたその指に、わずかな力で触れた。
あと、もう少しだけ。
何度目かの甘えを自分に許して、時計も見ずに目を閉じる。背中と、繋いだ手が、じわりと暑い。ガガ、と不自然な音を立てながら扇風機がぬるい風をかき回す。
不自然に、背中を預けあって、不自然に手を繋いで、ぬるい、ぬるい風の中、じとりと滲む汗の中、鬱陶しいなと思いながら幸せだなと思っている俺こそひどく不自然で、不自然ついでに愛していますなどとこの場にそぐわない言葉を、ぬるい風に混ぜてみた。