ざわざわと屯所内は騒がしい。明るく焚かれた火に照らされた庭を、忙しなくばたばたと隊士が走っている。
その喧噪を遠くに聞きながら、山崎はそっと沖田に手を伸ばした。
「……何」
「いや……血、拭かなくていいのかな、と……」
触れた沖田の頬にはべったりと血が付いている。頬にだけではなく、髪や隊服にも。衣服についた血は乾くと取りにくくなるし、肌や髪に付いた物はひどく不快だろうに。どこかぼんやりとした目で、沖田は笑った。
「自分でできまさァ」
だから触れるなと。
そういう拒絶に受け取って、山崎は大人しく手を下ろした。けれど去ることはせずに、正座したままじっと沖田を見つめる。
沖田はそれには何も言わずに、ただ少し、先ほどとは違う笑い方をした。
「何を泣きそうな顔をしてるんですかィ?」
「泣きそうな顔を、してますか?」
「転んで泣くのを堪える子供みたいでさァ」
「……そうかもしれません」
「どこぞ痛みますかィ?」
「俺じゃなくて、沖田さんが」
山崎の言葉に沖田はまた笑った。
「まさか。怪我人は別部屋ですぜ」
そんなことは知っている、と山崎は視線を逸らした。ここから少し離れた部屋に怪我人は集められて手当を受けているはずだ。そこにいないということは、怪我がないということであって。
それでも痛そうだと思ってしまうんだから、仕方ないじゃないか。
「……痛そうですよ」
「しつこいですぜ」
それでも沖田は笑ったままだった。それも山崎には気に食わない。
綺麗な肌に髪に、こびりついた赤い血。白のスカーフを染め上げる赤。袖などはもう乾いた血でもとの布地が見えない。
その全てが返り血。
切って棄てた者たちの吹き出した返り血。
それがひどく、痛々しい。
「……やっぱり血、拭きましょう」
「自分でできるって……」
「そうやって任せてたら、結局あなたはいつまで経ってもそこで笑って座ってるでしょう?」
少しきつい語調で山崎が言えば、沖田はまた楽しそうに笑った。笑って、じっと山崎を見る。静かな瞳だ。刀を握っていたときの、鬼すら殺せそうな瞳ではない。
「……じゃあ、任せまさァ」
山崎はほっとして、水で濡らしてあった手ぬぐいを沖田の頬に当てた。そっとこすって血糊を落とす。
「沖田さん、服はもう無理かも知れませんね……髪は水を浴びて落とさないとどうしようも……」
「それもやってくれんですかィ?」
「ご自分でどうぞ」
血を拭って落とすと、白い肌が現れた。強くこすったせいで少し赤くなっている。続いて手。それはさすがに戻ってきたときに洗ったようだったが、指の間や爪の先に、まだ生々しく血が残っている。
「……山崎」
ぽつり、と沖田が名前を呼んだ。
山崎は顔を上げずにただ、何ですか、と問う。
「……俺は別に、痛くなんかねェんですよ」
「………」
「痛くなんかねェが………痛かったらいいなァとは思うんでさァ」
「………そうですか」
「痛かったら、その痛みに集中していられる。痛みがなかったら、現実を見るしかない。血は落としても落ちねぇし、剣に響いた衝撃はしばらく腕が覚えてる。断末魔の叫び声なんざ、もう、聞き飽きたや」
「…………」
沖田は、山崎が血を拭っているのとは逆の手を目の前に挙げ、しげしげと眺めた。
「それでも俺は笑って人を斬れるんですぜ」
「…………そうですね」
他に返す言葉を思いつかずにそう相槌を打った山崎に、沖田はおかしそうに笑った。
剣を握り敵の前に立てば、斬ることに躊躇いなどなくなる。躊躇いは隙を生み出し、隙を見せれば命を失う。口元にうっすらと笑みさえ浮かべながら、敵を斬り、斬っては棄て。
敵、とは何だ。
そう問うことすらもうしなくなった。
剣を握って立っていられればそれで良かった。この手から、剣が滑り落ちなければ。
沖田の両手を拭い終わって、山崎は手ぬぐいを置いた。
真っ直ぐに、沖田を見つめる。
沖田は手を伸ばして、山崎の頬に触れた。そっと撫でる。山崎は微かに目を細めて、笑った。
「沖田さん」
「……何ですかィ?」
何かを言おうとして口を開きかけ、山崎は首を振った。
視線を絡ませ唇が触れた。
「………山崎」
「はい?」
「………やっぱり髪も洗い流してくだせェ。気持ち悪くて仕方ねぇ」
ふざけたように笑う沖田に肩を竦めて見せて、山崎は、困ったように笑った。
「仕方ないですね」
外はまだ騒がしく、その喧噪は明け方まで続いた。
一眠りして目を覚ませば、またいつもの一見のどかな毎日が始まる。