周りに人がいないのをちらりと確認してから、くるり、と傘を回した。ふわっと傘から雨が散って、それからまた傘に雨が落ちてくる。しっとり優しく、音もなく降る。ぱしゃん、と足元で雨水が散って、水溜りに気付く。大きな水溜りでもなかったがわざと大きく飛んで避けた。ばしゃん、と、着地点で水が撥ねた。おもしろくなって笑う。
左手に持っていた、畳まれたままの傘をぐるりと回した。
沖田は滅多にメールをしない。少なくとも、山崎は数えるほどしか受信したことはない。それが今日、珍しいことに沖田からメールが来た。今日の山崎は非番だが沖田は勤務中のはずで、またサボってるのかなぁ、と思って来たメールを見てみれば
【むかえにきて】
と、書いてあった。ひらがなで。
それが妙に可愛くて、自分にメールが来たことが何故だか嬉しくて、山崎はひどく機嫌がいい。
沖田が屯所を出たときには雨の降らない曇り空で、傘を持たずに出かけたから今立ち往生しているのだろうけれど、傘を差しても音のしないくらいの雨なら駆けて帰ることもできるだろうし、それ以前に一緒に見回りに行った人は? と思うのである。誰か一人くらい傘を持っているだろうし、頼んで入れてもらえばいい。コンビニで買ってもいい。今沖田が仕事をサボって一人でいるとして、屯所でだらだらしていた山崎を呼び出して傘を持って来させるよりもそれらの手段の方がずっと手軽でずっと早いはずだった。
けれど沖田がメールを寄越した。そのことが、山崎にはたまらなく嬉しい。にこにことしながら、跳ねるような足取りで沖田がいる場所に向かう。
どこそこにいるから迎えに来い、と最初から電話をかけてくればいいものを、むかえにきて、とメールを寄越した。どこですか? と返信すれば、そこでようやく場所を教えてくれた。
自分がメールに気付かなかったらどうするつもり。そのときはきっと、誰かの傘を借りるなり奪うなりビニール傘を買うなり濡れて帰るなり、しただろう。
むかえにきて。それは、沖田の小さなワガママで、珍しく遠慮がちなそれがひどくおかしくて、楽しい。ああもう好きだなあ、と、本人の顔を見てはなかなか言えないことをするりと思う。ああ、もう。いつも顔を見て苦しくなるような泣きたくなるような、戸惑ってしまうような「好き」ではなくて、溢れるように楽しいくらいの気持ちで、好きだなあと思う。
ふわふわと笑いながら、曲がり角。駄菓子屋の軒下で膝を抱えて、その人は待っていた。
「沖田さん!」
「おお、山崎ィ。待ちくたびれたぜィ」
「はは、すみません」
顔をあげて、こちらを見て、沖田が嬉しそうに笑ったのが分かって山崎の頬は更に緩む。立ち上がった沖田に持っていた傘を渡した。ら、
「…………」
「……あれ?」
「…………」
「…え、沖田さん?」
「…………はぁ」
深い溜息を吐かれて、わけがわからず山崎は慌てた。
「え、え、何で? これ沖田さんの傘ですよね?」
「そうです、そうです、合ってまさァ。……じゃあ、帰りましょうかね」
「え、あ、はい。…えーと……」
帰りましょう、と言っておきながらなかなか傘を開こうとしない沖田を山崎は戸惑いながら見つめる。傘。持ってきた傘は確かに沖田の傘で、間違いがなくて、迎えに来いと言われたから傘を持ってきて、それで。
そこまで考えて、ぴんと思い至った。
「あ、ああ!」
「……何」
「いや、……うん。沖田さん、よかったら、俺の傘に入りますか?」
笑いを噛み殺しながら聞けば、沖田は少し拗ねたような顔をする。それから軽く溜息を吐いて、狭いけど我慢してあげまさァ、と言いながら、山崎の傘をするりと奪った。
最初からこの人、それがしたかったんだなぁ、と気付いておかしい。今日の沖田は何から何まで珍しくて、それが山崎には嬉しくてたまらない。
軽くなりそうな足取りを懸命に抑えて、こちら側に傘を差し出す沖田の肩がなるべく濡れないようにと、距離を縮める。
「沖田さん」
「何ですかィ」
「大好きです」
口にしたくてたまらず、へへ、と笑いながら言えば、帰ってくるのは絶句。それもまた、嬉しくて、勝ったような気分で山崎はくすくすと笑った。
雨の日は、嬉しくても悲しくても楽しくても寂しくても、いつもと違う不思議な感じ。
隣の人が片手に持った閉じられたままの傘を見て、もう一度山崎は、だいすきです、と呟いた。