この一月、山崎の顔を見ていない。

 土方の命令で動いているのは知っている。潜入捜査で屯所にいないことは知っている。たまに帰って来たと思っても真っ直ぐ副長室に報告に行って、とんぼ返りのように現場に戻っていることも知っている。監察方の部屋にも食堂にもどこにも寄らず、真っ直ぐ副長室だけに顔を出し、真っ直ぐ現場へ。それは知っている。いつものことだ。
 この一月、山崎の顔を見ていない。
「テロリストなんか死んじまえ」
 言って、足元に落ちていた大き目の石を遠くへ投げた。思ったよりも結構遠くへ飛んだ。誰かに当たらないかとちょっと心配したが、ちょっとだけで、当たってもまぁいいかと思った。土方に当たればいい、と思って、いっそ副長室に石を投げ込もうかと思って、やめた。
 屯所の中はいつものようにざわざわしている。
 山崎が具体的にどこに何を捜査しに行っているのかを知っているのはその命令を下している土方だけで、それ以外の人間は同じ監察でさえ多分知らない。近藤もおそらく知らないだろう。土方と、山崎、二人しか知らない。
 沖田はイライラと髪をかき回して、道場へと向かった。昼寝をする気にもなれない。というか、ここ最近眠れていない。頭痛がするのは寝不足のせいだ。毎夜の眠りが浅すぎる。いつも以上に、どんな物音でも目が覚めた。
 山崎がいないからだ。イライラと舌打ちをする。山崎がいないから、だから、いつ帰ってくるかいつ帰ってくるかと思って眠れない。もしかしたら自分が眠っている間に帰って来るのではないかと、ほんの一瞬顔を見せるのではないかと思って眠れない。
 いつ帰ってくるのか。誰も知らない。土方と山崎、二人しか。
 イライラと道場へ上がりこみ、すぱん、と音をさせて襖を開いた。中で稽古をしていた平隊士が二人、ひっ、と息を呑むのが分かった。
「稽古かい? 殊勝だねェ」
 沖田の言葉に、怯えたように二人の隊士はこくこくと頷いた。沖田は一歩、じり、と近づく。
「俺も最近剣を使ってないんで、腕が鈍っちまってんじゃねェかと思ってんだ。よかったら相手してくれよ」
 壁に立てかけてある竹刀を一本取って、近づく。隊士二人は視線をさ迷わせ、どう答えようかと迷っているようだった。一発で逃げない心意気は褒めてやろう。
「どっちからでもいい。なんならいっそ、二人がかりでもいいぜ?」
 道場の真ん中に立って、竹刀で二度床を打つ。ごくり、と唾を飲み込んだ左側の隊士が、では是非、と申し出た。右側の隊士がそれを受けて、自分も、と言った。
「じゃあ、立ちな」



 道場の床に座り込んで、沖田はぼんやり天井を見上げた。結構衝撃があったから、骨くらいは折れたかな、と先程までここにいた隊士のことを少しだけ気にする。まあ、あれくらいでどうにかなって耐えられないようでは、到底実戦に出せまい。
 ずるずると壁に沿って倒れこむ。床が冷たい。
「山崎のせいでさァ」
 ゆるりと目を閉じる。眠れない。
 山崎は、と考える。
 山崎は、きっと、土方が死ねと言ったら死ぬのだろう。土方の命じたことで命を落とす危険があっても躊躇いなく従うのだろう。死ぬ最期の最後まで、忠実に自分に与えられた任務を全うしようとするのだろう。
 きっと、それは、理屈ではない。
 平時はふざけたようにへらへら笑って、仕事をサボってミントンなんかで遊んでいるくせに、一度本気で声をかけられれば途端に忠実な姿勢を取る。当たり前のように、土方の斜め後ろに付きしたがっている。右後ろ。抜き打ちで切り捨てられる位置に。
 自分が近藤に命を賭けているのと同じように、山崎はきっと、土方に命を賭けている。それはもう理屈ではない。自分もそうだから沖田には分かる。理屈じゃない。好きだとか嫌いだとか、一番だとか二番だとか、そういう低俗な次元の話じゃない。
 自分の命の在るべき場所が、ただそこだというだけの話だ。
 わかっている。
 イライラする。


 ぎしり、と廊下の床が鳴った。からり、と控えめな音を立てて襖が開いた。
 沖田は目を閉じたまま、イライラと唇を噛んだ。
「沖田さん」
「遅い」
「はい」
 少し笑ったよう。空気が揺れる。ふわり、と横にしゃがみ込んだ気配。
「ただいま」
 今度はもう少し大きく、笑ったよう。ふは、という笑い声が聞こえる。
 沖田はゆっくり目を開き、のそりと起き上がった。しゃがみ込む山崎と同じ視線だ。一月ぶりの、山崎の笑う顔だ。おかしそうに、仕方ないなと笑う顔だ。一月前より少し痩せた。髪がぼさぼさと広がっている。
「報告は?」
「終わらせました。報告書は書かなくちゃいけないんですが、とりあえずこれで、一旦の任務は終了です」
「そうかい」
「はい」
 じっと瞳を見つめれば、山崎はいつものように少しうろたえた。
「山崎」
「はい」
 あやすように笑う顔が、気に入らない。まるで自分が拗ねているみたいだ。沖田は目を細める。拗ねているわけじゃない。そんな低俗な次元の話じゃない。絶対に。
「殴らせろ」
 沖田の言葉に、山崎は両目を見開いた。え、と小さく言ってから、やはりあやすように、仕方ないなと言うように、笑う。
「はい」
 腫れない程度でお願いします、とそれだけ言って目を閉じる。殴られなれているように奥歯に力を入れている。沖田はそれをじっと見つめて、ゆっくりと腕を上げた。
 一月前より少しだけ細くなった身体に腕を回して抱きしめる。沖田の背中に山崎の腕が回って、息を吐いた。泣きそうだ。拗ねているわけではない。そんな、低俗な次元の話では、断じてない。

 この細いようで弱いようで強い人が自分の言葉一つで命を落とす覚悟すらすればいいのに。
 死ねと言っても死なないのなら、この骨を、このまま折ってしまえればいいのに。

「山崎」
「はい」
「おかえりなさい」
 ぎゅう、と抱きしめたのは山崎で、抱きしめられたのは沖田だった。
「ただいま」
 仕方ないでしょう、というように、沖田を抱きしめて山崎は笑った。

      (08.06.13)