大切な人ができたら、生きることすら怖くなった。
「俺が死んだら、忘れてくださいね」
隣で横たわっている沖田さんの指に、好き勝手に触れたり撫でたり指を絡めたりしながら一言零せば、好き勝手指を弄ぶ俺を優しい目で見ていた沖田さんが眉を寄せた。
「は?」
「俺が死んだら、忘れてくださいね」
まったく同じ言葉をまったく同じリズムで零せば、絡めていた指にぐっと力が入る。
「それはどういう意味でィ」
眉を寄せながらじっとこちらを見る沖田さんの様子が少し子供染みていて思わず笑ってしまう。ふ、と笑い声を出せば、不機嫌そうに絡んだままの指を引っ張られた。それでも答えず笑う俺に、沖田さんが呆れたようにか諦めたようにか、指に込めていた力を抜く。俺はまた、さっきまでと同じようにその指に触れたり、指を撫でたり、指を絡ませたりして遊んだ。
その様子をさっきまでと同じように優しい目で見ながら、沖田さんが代わりのように俺の髪を撫でる。撫でて、首筋にかかる髪を指にくるくると巻きつけたりするのでくすぐったさに肩を竦ませた。
「俺はね」
はしゃぐように笑いながら身を引けば、あっさりと手が離される。
それを少し残念に思いながら、俺は引いたはずの身体をまた沖田さんに近づけた。
「沖田さんよりも、先に死ぬから」
言えば、また沖田さんの眉が寄った。ああ、そんな深刻な話でもないのにな。ただのたとえ話なのに。寄った眉間の皺を指で押さえて見せれば、手首を掴まれてその手首に唇を落とされる。唇を落とす寸前で、それでもこちらの様子をうかがうようにちらりと視線を寄越すので、また笑ってしまった。
「何で、お前が俺より先に死ぬって言い切れるんでィ」
「言い切れるんじゃなくて、俺の希望です。希望のたとえ話です」
「希望? お前、俺より先に死ぬつもりなんですかィ」
「そうです。だって俺、沖田さんが死ぬの見たくないですから」
「俺だって山崎が死ぬとこなんざ見たくないや」
「死ぬとこなんて見たくないから、沖田さんが死にそうになったら助けてあげますね」
「お前の力量で? それは無理ってもんですぜ」
「いや、意外といけます多分。火事場のなんとかで」
「じゃあ、俺も山崎が死にそうになったら颯爽と助けてあげまさァ」
「いや無理でしょ。沖田さん死ぬなら多分討ち入りのときでしょうけど、俺死ぬなら密偵中にバレて拷問とかですよ。どうやって助けるんですか」
「愛の力に決まってらァ」
「じゃあ、期待しないで待っておきますね」
今度は沖田さんが、俺の手首に唇を当てたり舌先でくすぐったり、軽く歯を立てたりと好き勝手に遊ぶ。歯を立てられてびくりとした俺を見て、おかしそうに沖田さんの目が細められた。
「うん、でも、やっぱりね」
好き勝手に遊ぶ沖田さんの髪を、今度は俺が梳くようにする。さらりと指の間を零れ落ちる細い髪が、薄い茶色。
「俺が死んだら、忘れてくださいね」
三度目。俺の言葉に、沖田さんが息を吐いて、強めに手首に噛み付いた。
「まだ言うか」
「だってこんな我侭、今じゃないと言えませんもん」
「なんで我侭?」
「だって沖田さん、忘れてくれないでしょう?」
「つーか俺より先に死ぬのがない」
「それも込みで我侭です」
笑いながら言う俺に、やっぱり沖田さんは呆れたのか諦めたのか、掴んでいた俺の手首から手を離した。
忘れてください、と言ってみたところで、はいそうですかなんて簡単に聞き入れてもらえるとは思っていなかった。
でも、言っておきたいなあと思っていて、今しか言えないなあと思ったら、口に出さずにはいられなかった。
俺が死んだら、忘れてください。
俺があなたを好きでいたことも、俺があなたのそばにいたことも、あなたが俺を好きでいてくれたことも、全部。
「約束してくれないと、安心して死ねないんですよね」
「……じゃあ、死ななきゃいいじゃねェか」
「そうなんですけど」
「余計なことばっか、考えてんじゃねェや、こんなときに」
小さく呟くように言った沖田さんは、するりと俺の首に手を伸ばす。半身を起こして、横たわったままの俺にまずは右手を、次いで左手を伸ばして、するりと這わせた。一瞬、その両手が俺の首を絞めるかのように動いて、それに対してゆるりと目を閉じた俺をどう思ったのか、手を這わせた首筋に、暖かい、多分唇が落ちて来た。
手首と同じように、口吻けたり、舐めたり、歯を立てたりと好き勝手。
急所に歯を立てられて、ぞわりと背中が泡立った。
一言、いいよ忘れる、と言ってもらえさえしたら、安心して死ねるような気がしている。
何があるか分からない人生で、人よりも死に近い場所で生きている俺たちは、いつだって死ぬことを覚悟して誰かを殺している。
死ぬのは怖いし、多分、今死ねば心残りもあるんだろうけど、それでもただ一言、俺をとてもとても好きでいてくれているこの人が、俺のことを忘れてくれるとそれだけ約束してくれたら。
それだけでもう、他の心残りは全部いいやって思える程度には、安心できるとそう思う。
「俺が忘れたら、山崎が寂しがるからダメでさァ」
優しい、優しい人だから、決して忘れてくれはしないと、そう知っていて。
首筋を這っていた唇が、柔らかく俺の唇に押し当てられる。
押し当てて、離れて、押し当てての繰り返し。
薄く目を開けると、至近距離で沖田さんが優しい目をしていて、やっぱり忘れて欲しいなあ、と思った。
だって、そうでないと、俺が辛いのだ。
だって。
「俺が死んだら、沖田さん、泣くでしょう?」
優しい目が、すうっと細められた。そのまま一度、唇を押し当てられて、うん、と小さく肯定の返事。
「だから、だめです」
沖田さんがいない世界でもきっと俺は生きていけるから、生きていける自分に俺はきっと耐えられない。だから、できることなら先に死んでしまいたい。
けれど先にいなくなれば泣くんだろう、この人は。
だから、泣かないように、苦しまないように、きちんと生きていけるように、俺が好きでいたことも俺がそばにいたことも、俺のことを好きでいてくれたことも、こうしてキスをして一緒に眠ることがあったなんてことも。忘れて。
全部が全部、俺の我侭。
「好きです」
そんな一言で、
「……うん、」
こんな、迷子の子供が親を見つけたみたいに、泣きそうに笑う人がいたことは、
「……でもやっぱり、俺が先に死んでも、忘れてなんてあげませんぜ」
俺がきちんと独り占めにして覚えておくのに。
「だって、忘れたら山崎が泣くでしょう」
いくら山崎のわがままでも、こればかりは聞いてあげない。
そう言って沖田さんは、俺の頬を優しく撫でて、だからもうおやすみ、と優しく言った。
ああ、こんな優しい人に置いていかれるなんて、到底耐えられそうにもないのに。