ちょっと仕事で、とか何とか行き先を誤魔化して潜入捜査で一週間留守にした。
 どうにか情報も無事に手に入れることが出来たので、なるべく屯所に人のいない時間帯を狙って裏口からこっそりと帰り、副長室へ報告するより先に居室に戻って変装を解くのが先だなと計画していた。
 からり、と部屋の戸を開ければ、畳の上にちょこんと沖田が座っていたので、山崎は赤くきれいに色づけされた女の目を丸くした。

「……何でいるんですか」
「おかえり」
「ああ、はい、ただいま戻りました」
「お疲れ」
「……何でいるんですか?」
「そろそろ帰って来る頃合だと思ったから」
「はぁ」
「うそ」
「は?」
「山崎がいねェんでつまんなくって、お前が帰って来るの毎日待ってた」
 暇なときは、ここで、と。
 勝手なことをさらりと言って沖田は立ったままの山崎に「座れば?」と平然と言った。
 はぁ、と曖昧に頷いて、とりあえず部屋に入り戸を閉める。見上げたままの沖田の前に律儀に膝を揃えて座った山崎の動作一つ一つを、沖田は覚えこもうとでもいうようにしっかりと見つめていた。
「化けたな」
「副長にも言われました」
「きれいだなァ」
 沖田の手が伸びて、山崎の髪に挿された簪を抜き取った。まとめられていた黒髪がさらりと零れるかと思ったが、ヘアスプレーで丁寧に固められていたそれは、流れずただ不恰好にぐしゃりと乱れただけだった。
 手に取った簪を興味津々というように暫く眺め、それからそれを丁寧に畳の上に置く。投げ捨てられるのではないかと内心ひやひやしていた山崎は、そっと胸を撫で下ろした。
「何安心してるんでィ」
「いや、投げ捨てられたらヤダなぁと思ったもので」
「投げ捨てる? 何で?」
「なんとなく」
「なんとなく、でお前は俺をそんなひどい人間に想像したんですかィ。心外だなァ」
「ごめんなさい」
「俺はね、」
 再び沖田の手が伸びて、紅を塗った唇にふにと指が触れた。
「山崎が困ることなんか、しねェよ」
 唇を押さえられているせいで、うそつき、とは言えなかった。
 叩き落せず山崎が眉根を寄せる。もうこれで、困るようなことをしているのだと、言ってやりたいがやはり言えない。沖田は何がそんなに楽しいのか、山崎の唇をふにふにと触って、それから、離した自分の指についた紅を興味深そうにじっと見つめた。
「これ」
「はい」
「自分で化粧してんの?」
「はぁ、そうですね」
「すげェな」
「そうですか?」
「うん、よく似合ってる」
「沖田さんも、きっと似合いますよ」
 へ、と口を歪めて沖田はちょっと嫌そうな顔をする。
「似合ったって嬉しかねェや」
「そらそうですね」
 ふは、と山崎は笑う。女装が似合って嬉しいなどと男が心の底から思うことは、まあまずないと言っていい。山崎だって最初の最初に褒められたときは、やはり少し抵抗があった。今ではもう、仕事の手段の一つとして使いこなしていることだから、褒められれば少し気分が良い。
 それでも沖田はきっと女装が似合うだろうな、と思って、今度は山崎が手を伸ばし沖田の頬に少し触れた。年の割には少し幼いその肌は白い。大きな目が真っ直ぐ山崎を見ているので少し微笑んで見せる。
「元のお顔立ちが綺麗だから、俺なんかよりもずっと似合うのに」
「似合ったとして、綺麗なだけでさァ」
 お前は、と頬に触れていた山崎の手を沖田が取る。くい、と引くに従って大人しく近づいた山崎の色づいた唇に、自分の味気ない唇をそっと合わせた。
「妙な色気があるから、俺なんかじゃ敵わねェ」
「はあ」
 間の抜けた声を出した山崎は、色気ね、と嫌そうな顔をした。
「それ、ダメですね」
「何が」
「色気とか、ないとは思いますけど。もしあったら、ダメですねェ」
「何で」
「あんまりね、目立たず印象残さずっていうのを目標に動いてるんで」
「ああ」
「ダメですねェ。でも、」
 そこで不自然に言葉を切って、不自然なくらい真っ直ぐ山崎は沖田を見つめた。何だと問うこともなく見つめ返す沖田の頬に、再び手を滑らせる。不思議そうな顔をする沖田に山崎の方から唇を合わせれば、大きな目が更に大きく開かれた。
「……でも、俺を色っぽいなんて言う酔狂な人間は、沖田さんくらいだから大丈夫ですね」
「……何でィ、それ」
「フィルターかかってるって言ってるんです」
 近い距離のまま艶やかに笑った山崎は、すっと身体を引いてそれから立ち上がった。ぼんやりとした沖田をそのまま構わず、「俺報告があるんで」とばさばさ着物を脱いでいく。
 綺麗な作り帯を外して、帯を解いて、着物を脱いで、しゅるしゅると着物が色っぽい音を立てるが、その音の元になる所作が全く女性らしくなく、いっそ豪快な男の脱ぎ方だったので沖田は、ああなるほどなぁ、と少し納得した。
 ばさばさと着物を脱ぎ捨てていく粗暴な所作でさえ、可愛らしいと思ってしまった。
 なるほどこれは、自分だけフィルターがかかっている。
「なぁ山崎ィ」
「はい、なんでしょう」
 いつも通りの隊服に身を包んで、顔に塗った化粧を化粧落としで拭いながら山崎は振り向いた。山崎の脱ぎ捨てた着物を手繰り寄せて膝に乗せた沖田が、中途半端に女の顔をしたままの山崎をじっと見ている。
「今度、これ着て遊びに行きましょうや」
「はあ?」
「山崎のこと綺麗だって言うのが俺だけかどうか、調査してあげまさァ」
「……はぁ」
「つって、本当は」
 にやり、と唇の端を引き上げる。
「もう一回、ちゃんと見てェな。山崎の女装」
「……はぁ」
 呆れたように答えて、山崎は化粧を拭っていく。肌色と赤と黒と茶色に汚れた化粧落としのシートを3枚くらい消費して、やっとすっかり男の顔に戻った山崎は、楽しそうに着物を眺めている沖田に静かに声をかけた。
「沖田さん」
「何でィ」
「やっぱり女性がいいですか?」
 連れ歩くには。
 そう問うた山崎に、沖田は不思議そうに顔を上げた。
 不思議そうに首を傾げて、きっと化粧が映えるであろう大きな目でじっと山崎を見て、それからふふ、と小さく笑う。
「何でそんなこと思ったんですかィ?」
「いつもより機嫌がよろしいようなんで。やっぱり、女の姿を傍に置いておいた方が気分がいいのかなァと」
 特に、悲しそうでもなく怒っているわけでもなく淡々とそう言った山崎に、もう一度ふふ、と沖田は笑う。笑って、それからやはりまっすぐ山崎を見つめたまま言った。
「山崎だったら、どっちもでいいや、俺ァ」
 男でも女でも、色気があっても色気がなくても、地味でも派手でも、きれいでもきれいでなくても。
 その答えに、山崎は面食らったかのように一瞬動きを止めて、それから困ったような笑いを堪えるような照れているような、妙な顔をした。
「やっぱり、フィルターかかってんですよ、それ」
 うん、そうかも。考えて沖田は山崎をちょいと近くに招き、本日三度目の口吻けを軽くして、まだぐしゃぐしゃなままの髪を指で梳いてやった。
 整えるように丁寧に、ゆっくり慎重に梳いていく。
 そろそろ報告に行かなきゃ怒られるかもなァ、と思いながら山崎は、ゆるりと目を閉じてされるがままになっている。

      (08.08.20)