いつの間にかあの人を起こしに行くのは俺の役目だ。
別に寝起きが悪いわけでもないくせに、局長や副長、そして俺が起こさないと何故か不機嫌になる。入ってきたばかりの新人隊士の間では、沖田さんは寝起きが悪い、ということになっているらしい。
だから、いつの間にか俺があの人を起こしに行くことになっていた。
局長も副長も忙しい。そんなこと言ったら沖田さん本人も、もちろん俺だって忙しいのだけれど。
いつものように裏庭へ向かう。
沖田さんは猫のような人で、いつも決まった場所で眠るくせにしばらく経つとまた別の場所を居眠りの場所に定める。実際に猫を飼ったことなんてないから分からないけれど、その様子がまるで猫のようだと思う。
今の場所は裏庭。変わったばかりだから間違いがない。
桜はとうに散ってしまって、葉桜を楽しむ季節でもない。
湿ったような息苦しい空気と、汗ばむ肌を救うように時折吹く風。
散った桜の木の下で木陰にきちんと収まって、沖田さんは寝ていた。
眠っているのとは少し違う。目を閉じて、ぼんやりと浅い思考のなかをただよっているのだと思う。その証拠に、俺が声をかければきっとすぐに起きるのだろう。この人が眠るのは、就寝時か、俺や副長がいる前でだけだ。それは、刀を持つ物として当たり前のことなんだ、きっと。
「沖田さん」
軽く声をかける。
案の定沖田さんは、ふっと息を吐いて、視界を覆っていたアイマスクをはずした。いつ見てもふざけたアイマスクだ。副長の苛立ちが倍増するのも分かる気がする。
「…山崎ですかィ」
「俺じゃない方がよかったですか?」
「いやいや」
くくっと笑って、沖田さんは身体を起こした。服に付いた砂を軽く払う。
「……暑くないですか?」
「男共が騒いでる場所よりは数倍涼しいですぜ?」
「そりゃそうでしょうね……」
日差しの当たらない場所に座って俺を見上げる沖田さんは確かに涼しそうだ。いつも不思議に思うのだが、どうしてこの人はみんなと同じ隊服を着て汗一つかかないのだろう。
「山崎も座んなせェ」
ぽんぽんと促すように自分の横を叩いてそう言うので、断る理由も見つからずに俺はそこに腰を降ろした。そして、座ってから気付く。断る理由も何も、俺はこの人を副長のところに連れて行かなきゃいけないんじゃなかったか。
「沖田さん、副長が呼んでましたよ」
「そうですかィ」
「行きましょうよ。じゃないと俺が怒られるんスけど…」
「えー……」
「えー、じゃないですよ…」
何だか脱力してしまって、そのまま沖田さんと同じように背中を桜の幹に預けた。さわ、と風が吹く。確かにここは涼しいかも知れないなぁ。
そのまま暫く。どのくらい経ったのだろうか。ぼんやりしている内に、どうやら俺の方がうとうとしていたらしい。気付いて慌てて沖田さんを見れば、先ほどと変わらない様子でそこにいた。
「起きましたかィ?」
「あ……はい」
「さーて、土方さんに言いつけに行こうか」
「わ、ま、待ってくださいよ」
人の悪い笑みを浮かべて沖田さんは立ち上がると、俺に手を伸ばした。何のことかわからずにそれをじっと見ていると、笑みは苦笑に変わる。
「いい加減行かないと、本当に怒られますぜ?」
その言葉でやっと、伸ばされた手の意味を知る。躊躇いながら手を重ねると、よっとばかりに助け起こされた。
「ありがとうございます……」
「いやいや」
何故か楽しそうに笑って、俺より先にすたすたと歩く。どのくらい寝てしまったのかわからないが、副長に怒られるのは嫌だなぁと思った。起こしてくれればいいのに。
言葉もなく歩く。少し間を開けて。沖田さんは時々突然多立ち止まったりするので、真後ろを歩いていると危ないのだ。
そういえば俺は夕刻から市中見回りの当番だった、と今更ながらに思い出して少し焦る。
「山崎」
前を向いたままで足を止めずに、沖田さんが俺の名前を呼んだ。
「はい?」
立ち止まり、振り向く、その所作がすごく綺麗だと思った。
「好きですぜ」
まるで冗談みたいな口調で、そういえば今日の夕食は鰺だった、とでも言うような口調で。
三日に一度。
沖田さんはこうやって、俺に好きだと言葉を向ける。
俺はけれど慣れているはずなのに返す言葉を見つけられずに、黙ったまま沖田さんを見た。風が鳴るかと思ったけれど、そう都合良くは行かない。空気は湿って重く息苦しいままで、沖田さんはふっと笑った。
「……なーんてね」
いつものように人の悪い笑み。そのまま何事もなかったかのように再び前を向いて歩き出す。
立ち止まったままの俺に気付いて苦笑して、早くしないと叱られますぜ、と促した。
笑って受け流すことができないでいる。何度好きだと言われても、冗談のように笑われても。笑って受け流して反撃する術を考える時間ならあるはずなのに。
いつだって一瞬息が止まる。
きっとひどく、困った顔をしているのだろう。
「沖田さん」
「何ですかい?」
「……好きです」
返す言葉はこれしか知らずに、けれど言うのにはいくらかばかりの勇気が必要だった。冗談にしても本気にしても、好きだという言葉が、この人に向ける好きだと言う言葉が、ひどく、重い。
「……嬉しいねぇ…」
笑って沖田さんは空を仰いだ。
振り向くことも問い返すことも息を飲むこともしなかったけれど。
俺が好きだと告げたとき、真っ直ぐ前を向いたまま、少しだけでも目を見開いていればいいのに。