肌を滑る手が冷たい。寒い季節になるなぁ、と思って少し身体を震わせれば、肌を柔らかく撫ぜていた手がぴたりと止まってしまって、山崎は閉じていた目を薄く開いた。
「……どうしました?」
沖田は黙ったままじっと山崎を見つめ、それから重たい溜息を吐いた。戸惑う山崎の首筋に顔を埋め、そこでまた溜息を吐くので、山崎としては堪らない。
「沖田さん?」
声をかけるが、沖田は答えず顔も上げない。熱くて少し湿った吐息だけが首元に触れている。
(……ああ、またか)
山崎は溜息を吐くのを堪えて、肌に触れる柔らかい栗色の髪を緩くかき回した。
「山崎ィ。俺はさ」
苦しそうな声で言って、沖田は冷たい手で山崎の耳元をするりと撫でる。
「時々お前を、いじめたくていじめたくてめちゃくちゃに泣かしたくてどうしようもなくなるときが、あるんでさァ」
言葉の合間、沖田の指がふにゃふにゃと山崎の耳たぶで遊ぶ。触れる指先が、掌がひどく冷たくて、触れられる部分に鳥肌が立つようなのに、どうしても頬ばかり熱くなる。
時折、沖田は山崎に触れる途中にこういうことを言うのだ。山崎が声を堪えるたびに、身体を震わす度に、痛みを告げる度に、突然手を止めてしまう。
「本気で泣く顔はまだ見たことねぇなぁ、とか、際限なくいじめたらどうなっちまうのかなぁ、とか、本気で俺を拒絶する顔ってどんなんだろうなぁ、とか」
ふふ、と沖田の赤い唇から笑いが零れた。顔を上げて山崎の熱くなった頬を冷たい掌で一撫でして、その手で肌蹴ていた山崎の着物を整える。
「沖田さん?」
「今日はもう、寝ましょうや。明日、早ぇんだろ?」
「そう、ですけど……勝手に布団にもぐりこんで来といて、今更そんなこと言うんですか?」
「何、その気になっちゃってた?」
「違、……わなくはないですけど」
ごにょごにょと語尾を誤魔化す山崎を、沖田が楽しそうに笑う。悪い、と少しも悪びれず言って、少し色づいている山崎の唇を一度啄ばんだ。
「……でも、もう夜は、寒ぃから。一緒に寝ましょうぜ」
「本当に我侭ですね」
一つ溜息を吐いて、山崎は自分の布団の半分を沖田へ譲ってやった。大きくはない布団だから、二人で横になればもうそれでいっぱいになってしまう。寒い夜だ。布団から落ちないようにくっつけば、触れた足が一瞬ひやりとして、それからじわじわと温かくなっていく。
沖田は身体を少し丸めて、山崎の胸元へ額を付けるようにした。仕方なく、山崎がそれを抱き込んでやると、楽しくなったのか沖田が笑う。この甘え方は常にないことだなぁ、と思って、山崎の頬の熱がなかなか引かない。
「山崎ィ」
声に笑いを滲ませたまま、沖田は甘えるように山崎を呼んだ。
山崎はまるで子供にするようにその背をぽんぽんと軽く叩きながら、何ですか、と短く答える。
「俺はね、お前をめちゃくちゃにしてやりてぇな、と思うときも、あるにはあるけれど、やっぱり本心はお前をすんごく甘やかしてやりたいと、そう思ってんでさァ」
甘えた声のままで言って、背を叩いている山崎の腕をぎゅっと掴む。僅かな痛みに腕を引いた山崎の手をぱしっと奪って、沖田はその指先に恭しく唇を付けた。
指先に口吻けて、掌に口吻けて、手首に口吻ける。動物が甘えて顔を摺り寄せてくるような仕草なのに、直接的な行為よりもずっと山崎の熱を高めていく。震える吐息をばれないようにそっと零せば、気付いた沖田が少し笑って、戯れに山崎の手首に緩く噛み付いた。
「お前を殺して、そんでお前が俺のもんになるんなら、俺はお前を殺すのになぁ」
甘い声のままで、酔ったようにそんな物騒なことを言う。
急所に緩く歯を立てられて、山崎は妙に居心地が悪い。
「お前を殺して、お前が永遠になるんなら、俺はお前を殺すのになぁ」
唇をそっと離されて、舌で一度舐められた。ぞくりと粟立つ山崎を無視して、今度は手首をぎゅっと握る。
「そうじゃねぇって知ってるから、俺は、お前を大事にするんでさァ。大事にして、いっぱい甘やかして、ずうっと俺にばっか縋ってりゃいいって、思ってんだ」
ごめんな、と小さく言って、沖田はふつりと黙る。
胸元に額を付けるようにして背を丸めている沖田の表情は、山崎からは上手く窺えない。
これはいつもの冗談なのか、それとも、と山崎が思案している間にも手首を掴む力はどんどん強くなっていく。血が塞き止められて、山崎の掌が死んだ色になっていく。
「……沖田さん、あのね、今更そんなこと言っても俺は、離れてなんてあげませんからね」
溜息を混ぜて、今まで黙って沖田の話を聞いていた山崎が口を開いた。
手首をぎりぎりと締め付けていた沖田の指が僅かに緩む。
「そんなこと言って、後悔させようとか、無理ですからね。あんたはいつも自分ばっかり好きなんですみたいな物言いをするけど、そんなに俺のことが好きなら、俺の気持ちもきちんと汲んでください」
「…………」
だんだんと、絡まっていた指の力が弱まっていく。
仕舞いにはするりと離れてしまって、触れられていたところが突然寒くなった。
「沖田さんが俺を殺して、それで沖田さんが満足するなら、それでもいいかぁって一瞬思っちまったじゃないですか。勘弁してくださいよ」
ぴたりと動かなくなってしまった沖田の髪を、開放された山崎の手が柔らかく乱していく。子供にするように頭を撫でて、恋人にするように髪を梳いて、聞いているのかいないのか黙ってしまった沖田に言い聞かせるようにしていく。
「殺したいとか、いじめたいとか、思うだけ思ったらいいじゃないですか。……俺はそれ全部に素直に答えてあげるほど可愛げはないけど、でも、それであんたを嫌いになることはありませんよ。俺はね、沖田さん」
腕の中に抱きしめるようにすれば、そこでやっと沖田が少し身じろいだ。
触れ合っている足先が、冷たいのからどんどんと温かくなって、半端な熱にじりじりと痺れるようになっていく。
「甘やかしたいなぁ、って思ってる気持ちは、多分あなたに負けてないです。本当ですよ」
殊更甘やかすように、甘ったるい声で囁いた。
沖田の腕がもぞもぞと動いて自分を抱きしめている山崎の二の腕を掴む。掴んで、それから優しく撫でた。触れる手は未だ冷たい。これからどんどん寒い季節になるのだ。意味なく悲しくなることもあるかも知れない。理由なく恐ろしくなることも、増えるかも知れない。触れていることに、後悔をするのかも知れない。
けれど、触れている足先は、痺れるように温かい。そこだけが、この戸惑いばかり含んだ会話の中で、絶えることなく甘かった。
「山崎」
「はい」
「山崎ィ」
「はい」
「…………明日の朝は、マヨの気配のない食卓が拝みてぇよぉ」
「はは、それは無理でしょう」
「なんでィ。甘やかしてくれんだろ。甘やかせよ」
「それは、あれです。無理です」
「嘘吐き山崎」
「すいません」
うそつき。と、もう一度、拗ねた子供のように呟いて、本当に子供が甘えるように山崎の肌をするりと撫でた。冷たい。
それきり沖田は黙ってしまったので、山崎も言葉を重ねずに、ただ触れられる感触だけを目を閉じて感じている。刀を握って出来た血豆が、肌をがさがさと引っかいていくので、時折痛いような感じもする。
大人のようなことをするくせに子供のようなことを言って、子供のように甘えるくせに、人を殺せる手をしている。
本当に、沖田が本気で山崎を殺そうと思ったら、恐らく山崎は逃げられないだろう。どう足掻いても殺されることに変わりはないだろう。
(だったら俺は、大人しく殺されてあげるのが、正解なのか)
逃げても逃げずとも変わりがないなら、最後の甘やかしとして大人しく斬られてやるのが正解なのだろうか。
どんどん温かくなる掌で肌をやんわり撫でられながら、山崎は考えている。
(……けれど、これから寒くなるんだ。暖めあうくらいは)
何かの理由にできるだろうか。腕の中の人が怖がらないでいいような慰めになるだろうか。
沖田はいつも手を止めてごめんと勝手に謝るから、山崎はそのたび考えている。
どういう理由があれば好きにしてもいいと言えるのだろうかと、考えている。
どうしたら自分は本当に沖田のものになれるだろうかと、きっとずっと答えの出ないことを、考え続けているのだけれど。