人を殺した後はどうにも血が騒いで落ち着かないので、山崎が居るのなら抱きてぇなと思って居室のからかみを開けたらば、そこに山崎が居ることはいたが勝手に人の布団の上に横になってそれはもう安心しきったように穏やかな寝息を立てていたので、すっかり気が削がれてしまって沖田はがっかりした。
「おいおい、勝手に何してんですかィ」
声を掛けるが、当然返る答えはない。
眠るなら布団の中に入ればいいのに、中途半端に遠慮をしたのかそれとも寝るつもりはなかったのか、山崎の身体が寒そうに冷たい布団の上で丸まっている。
そっと近づいて足に触れれば、ひやりと冷たかった。
「風邪ひくぜ」
ぺち、と軽くその足を叩けば、もぞもぞと足が動いて着物の裾が無駄に乱れる。これは目の毒だねぇ、と溜息を吐いて、沖田は仕方なく山崎の身体を横抱きに抱えた。
身長の変わらないその身体は、眠っているのですっかり力を抜いてしまっている。抱き上げて、布団を足で蹴って寄せ、布団の上にその身体を寝かすというのはかなりの重労働だ。疲れているし気も昂ぶっているから癒されたい、と思っていたはずなのに、余計に疲れた気がするし、余計に気が昂ぶった。
何を考えて人の部屋で無防備に寝てるんだ、と苛々して、沖田はすやすやと眠っている山崎の額を叩く。うう、と唸った山崎は、少し眉根を寄せてから、すぐに穏やかな寝顔に戻った。
(……キスしてぇな)
仰向けに横たわる山崎の白い額に前髪が散っていて、白い枕に黒髪が散っていて、薄い色の唇はわずかに開いていて、その唇の隙間から穏やかな呼吸だけが聞こえている。
(……キスくらいなら、)
構わねぇだろ。誰にか、恐らくは自分に心の中でそう言って、沖田はそっと山崎の上に屈みこむ。
目は、閉じない。伏せもしない。見開いたまま、顔を近づけて唇をそっと触れ合わせる。最初は触れたか触れないか分からない程度に。続いてすこし強く。一度離して柔らかく。山崎の吐息と沖田の呼吸が狭い隙間で混ざり合って熱い。薄く開いた山崎の唇から、「ん」と小さく声が漏れて沖田は目を細めた。
目を開けたままキスをすると、大抵の場合山崎は怒る。
沖田が聞かないでいると、泣きそうな顔をすることもある。
山崎の方から沖田の目を手で覆って隠してしまうこともある。
「あんたは何もかも見透かす目を、してるから」
怖いんですよ。と、少しおどけたように言ってみせる。
まっすぐに見ないでくださいよ、と恥らうように言ってみせる。
何が怖いものか、と沖田は思うのだ。
何もかも見透かす目だなんて、それは山崎の勘違いでしかない、と思う。
だって、自分が本当に何もかも見透かしてしまえる目を持っているのなら、不安になどならないはずだ。
山崎の心が自分から切り離されている仕事の瞬間、それが永遠になってしまうのではないかという恐怖だって、無駄におぼえることはないはずだ。
好きの言葉を重ねなくたって、そんな言葉で確認をしなくたって、すむはずだ。
心を見透かせるような目があるのなら、欲しいくらいなのに。
「山崎」
少しだけ唇を離して名前を呼んだ。山崎の睫がかすかに震える。
「……退」
今起きたら、怒られるのかなぁ。と思いながら口吻けを繰り返す。
飽きず繰り返される何度目かのキスの後で、山崎の瞼がゆっくりと持ち上がった。
充血している目でぼんやりと沖田を見て、近い距離で視線が絡む。起きちまった、と少しだけ寂しいような、嬉しいような気持ちで沖田はその距離のまま「おはよう」と声をかけた。
「……はよ、ございます」
「つって、夜だけど」
「んー……」
「お前、何で俺の部屋にいるんでィ。寝るんなら自分の部屋で寝ろよ。そんで、どうしても俺の部屋がいいんなら、きちんと布団に入りなせェな。風邪ひくぜ」
「はい……」
「起してごめんな。いいよ。寝な」
山崎は焦点の定まらないようなぼんやりとした表情のまま、眠たそうに沖田の言葉に頷いたり唸ったりする。かわいいなぁ、と思いながら沖田はその髪を一度柔らかく梳いた。
「……おきたさん」
その手を、山崎の手が力なく取る。沖田の手に自分の頬を甘えるように摺り寄せるので、沖田は思わずその唇を再び柔らかく塞ぐ。
「ん、……ぅ……」
小さく吐息を零す山崎をぎりぎりの近い距離で沖田は見つめる。
目を、開けているので怒られるかなぁ。バレないだろうか。考えていると山崎の目が開いて、ぎりぎりの近い距離で視線がかち合った。
眠たそうな目で沖田の目を覗き込んで、一瞬笑った。ような気がした。
「目、あけたまま、キスしないでくださいよ」
唇をほどいた山崎が舌足らずに言って、言いながら、キスをするのと変わらないような距離で沖田の目を覗き込む。
「何で」
「だって、こわいんですもん」
「怖い?」
何が? と聞きながら、やはり目を開けたまま、唇を触れあわせる。山崎は怒らない。余程眠たいのだろう。懸命に開けようとしている瞼が引っ付いている時間が少しずつ長くなっている。言葉もだんだん、不明瞭だ。
「こわいんですよう」
「だから、何が」
すっかり目を閉じてしまった山崎が、聞き取れるか聞き取れないか微妙なくらい小さな声で、
「おれ、あんたの目の中にとじこめられたら、どうしよう」
と言った。笑いの混じった声でそう言って、それからすっかりまた穏やかな寝息を零し始めてしまった。
「……馬鹿じゃねぇの」
沖田は眠ってしまった山崎の頬に手を当てて呟く。
「……怖いことが、あるもんか」
白い額に前髪が散っていて、白い枕に黒髪が散っていて、薄い色の唇が僅かに開いていて、そこから穏やかな呼吸が聞こえて、胸は規則正しく上下している。
(怖いことが、あるわけ、ねぇだろ)
近い距離で目に映せば閉じ込められるというのなら、とっくの昔にそうしているのだ。
痛むくらいに目を開けてそれで焼き付けられるのなら、いくらでも試すのに。
閉じ込められたい、と思うから、そんなことを考えてそれで勝手に怖がるんだ。決まっている。だったら素直に、さっさと、閉じ込められてくれたらいいのに。
素直にさっさと、永遠に、なってくれたらいいのに。
(まったく本当に馬鹿だな、俺はお前をむちゃくちゃにでも抱きてぇと思って帰って来て、それでもお前が眠っているのなら起さずにいておこうと思うくらい優しいのに、何を怖いことが、あるものか)
見透かせも、閉じ込められもしないのに。