すぱぁん、と漫画だったら書き文字が大きく書かれるだろう。そんな勢いで突然開いた障子の向こうに、荒い息をついている山崎がいた。
「……どったの?」
 畳に寝そべってだらだらと漫画を読んでいた沖田は驚いた顔でそれを見上げ、聞く。
「お、きたさん! かくまって!」
 呼吸を整えながら言って、山崎は沖田の返事を待たず勝手に沖田の部屋へ入り込んだ。ぴったりと障子を閉めて、廊下の音に耳を澄ましている。
「……おい、お前多分それじゃバレるぜ。押入れン中でも入っとけば」
「ありがとう! そうする!」
 沖田の言葉に山崎は大きく頷いて、ものすごい勢いで押入れへ駆け寄る。下の段はダンボールや収納ケースやらでいっぱいで、上の段は布団が一組しまわれているだけだ。山崎は躊躇わず上の段へよじ登り、内側からぴしゃっと襖を閉めた。
 山崎の姿が沖田の視界から消えて4秒後に、今度もまたすぱぁん、という勢いで障子が開く。
「おい総悟、山崎見なかったか?」
「山崎ですかィ? 見てませんぜ」
 しれっと答えると、土方は苛々と舌打ちをして、あたりをぐるりと見回した。
 多分山崎は自分の能力を限界まで使って押入れの中で気配を殺しているだろう。
「どうしたんですかィ? 珍しいですね」
「何が」
「普段だったら追いかけて殴って終わりなのに、屯所中追いかけっこ?」
 何で? と重ねて聞けば、土方は眉間の皺を一層深くする。
「あいつがなァ」
「うん」
「俺の書類にコーヒーぶちまけやがったんだよ! メモじゃねーんだよ、明日までに上に出さなきゃいけねー書類なんだよ! ふざけんなよあの駄犬がアアアアアアア!」
 あ、それは怒るよね。と沖田は頷いた。
 真選組は荒っぽいし悪名高いが一応公務員なので、事務作業というものがあって、公務員なのに隊士は基本的に頭まで筋肉な奴が多いから、そういう頭を使う仕事はだいたい土方の元へ行く。そもそも、リーダーが一番頭が悪くてゴリラなのだから、人様にしかできない仕事はリーダーの補佐役がするようになるのは、当たり前だ。
 沖田も一応刀の腕だけでのこととは言え一番隊の隊長などという幹部職についているので、事務作業の面倒くささは分かる。
「それは、ご愁傷さまです」
「アイツ、見つけたら叩っ切ってやる!」
 あからさまな殺気を振りまきながら土方は言って、くるりと踵を返した。
 あー作り直しかよありえねーだろマジ死ね山崎、と口汚く罵っている。
 これはまあ、山崎が悪いけれど、ここで引き渡して殺されちゃあかなわねぇなァ、と沖田が顔色を変えないまま考えていると、土方が肩越しにちらっと振り向いて、言った。
「おい、総悟。お前な、山崎見つけたら言っとけ」
「何を?」
「俺ァしばらく室に篭って仕事するから、夜になったら晩飯にマヨぶっかけて持って来いってな!」
 次は絶対零すんじゃねぇぞ! という土方の言葉は、明らかに押入れに向けられていた。
 沖田は神経を研ぎ澄ましてみるが、山崎の気配は漏れていない。自分のせいで悟られたとも思えない。
 思わず土方を睨みつけてしまった沖田に、土方は少し笑った。ふふん、というような笑い方だった。
 沖田が傍に投げていた刀を引き寄せるより先に、土方はそのまま障子を閉めて行ってしまう。その気配が完全に消えてしまってから、沖田は刀から手を離し、押入れに向かって声をかけた。
「もう大丈夫ですぜ」
 沖田の呼びかけから少しの間を置いて、するすると襖が開く。
 狭い隙間からきょろきょろと辺りを見回して、山崎はやっと安心したような顔をした。
「はぁー……マジで殺されるかと思った」
「あれァ逃げて正解だな。殴られるだけじゃ済みませんぜ」
「わざとじゃないんですよう」
 当たり前だ。わざとだったらさすがにひどい。
 よっと声をかけて押入れから飛び降りた山崎は、そのまま四つんばいで沖田の元へと擦り寄る。
「かくまってくれて、ありがとうございました」
 上目遣いで沖田を見て、にこりと笑って言う。やったことは悪ィし最悪だけど別に被害被ったの俺じゃなくて土方だし俺は可愛い山崎に頼られて気分がいいや、と沖田は口の端を引き上げた。
「ん。でもバレてたぜ」
「あ、やっぱり?」
「お前密偵失格じゃね?」
 冷や汗か逃げ回ったせいか、山崎の額がうっすらと汗ばんでいて、長い前髪が張り付いている。沖田はそれをそっと掻き分けてやりながら、からかうように言った。自分じゃあ絶対に見つけられなかった、とは、悔しいので言わないでおく。
「違うんですよう。ダメなんです、あの人は。副長が本気になったら、俺がどこに居てもバレるんですよねぇ……」
 山崎は、沖田に柔らかく髪を梳かれてうっとりしながら、「前ね、土蔵の奥にいたときにバレて超びびりましたもん」と続けた。
「へぇ……」
「でも今日は完全殺されると思った。ビビったぁー」
「後でちゃんと謝れよ」
 書類仕事の面倒くささは沖田だって知っている。知っているから少し土方に同情して叱れば、山崎はわざとらしく唇を尖らせて、「わかってますよう」と拗ねたように言った。
 けれど、その尖った唇に沖田がちょん、と唇を付ければ、ふふ、と楽しそうに笑うので、本当に拗ねているわけではなさそうだ。
 じゃれるように何度か唇を触れ合わせると、とろんとした目で山崎が「もっと、」とねだる。あまりに珍しくて沖田が目を丸くすると、それが恥ずかしかったのか山崎がやはり拗ねたような顔をして、勝手に沖田の唇に自分の唇を押し付けた。
 沖田だって別に嫌なわけではないのだけれど。少しびっくりしただけで。
(あ、でもヤベェな……)
 嫌なわけではないのだけれど沖田はまだまだ若くて青いので、山崎はまだ仕事中だろうとか、今は真昼間だから、とか、いつ人が来るか分からないから、とか、そんなことがどうでもよくなってしまうのが早い。
 別に俺はいいけどさぁ、と沖田が考えている間、山崎の唇は沖田の唇を好きなように啄ばんでいる。別にいいけどさぁ、と考えながらするりと山崎の脇腹を撫でれば、「ん」と鼻にかかった声があがった。
(あー……やばいやばいやばいマジで)
 でも昨日もしたしなァ、というのは、沖田のギリギリの理性だ。
(俺ァ別にいいけどさぁ……)
 若いから別に、昨日したって今日したらいけないというわけではないけれど、それは山崎が辛いよなぁ、と背中を撫でながら考える。誘われているのだったら大歓迎なんだけど、と思いながら唇を割って舌を差し込もうとしたら、山崎が「やだ」と小さく言って顔を離してしまった。
「……やだって、何が?」
「やです。そうじゃない」
 甘えたように言って、ちゅ、と音を立てて沖田の唇を吸う。
「……これがいいの?」
 ちゅ、と同じように唇を啄ばめば、山崎が嬉しそうに笑った。
「うん」
 だって昨日できなかったから、と呟いて、山崎は再び沖田の唇に自分の唇を触れ合わせる。
 触れ合わせて、離して、啄ばんで、少し吸って。そういうキスを所望のようだ、と沖田は気づいて苦笑した。
 山崎はここのところずうっと外へ出ていて、昨日は久々に顔を合わせたのであって、何度も言うが沖田は若いので久々に会って甘えられると我慢もできず。
(昨日はこんなのしてやんなかったもんなァ)
 山崎もそれなりに若いので、気づけば空は白々と明けていて、可愛らしいキスを楽しむ余裕もあまりなかった、という事実。
 触れ合わせるだけのキスを十分に堪能したのか、山崎はやっと顔を離して、沖田の肩に凭れかかるように体重を預けた。沖田はそれを柔らかく抱きしめてやって、軽く耳元に口づける。
「何、お前、眠ィの?」
「うん……」
「寝不足でコーヒー零したの? それバレたら殺されるぜ」
「沖田さんのせいですもん……」
 とんとん、と背中を叩いてやれば、山崎の声がとろんとしたものになっていく。
「いやぁ、あれはどっちかってーと山崎のせいでしょう」
「だって……おれ2日くらい寝てないんですよう……」
 外に出て仕事をしている間、だ。
 けれどそんなに寝てないんだったらそもそも沖田の部屋になんか来なかったらよかったわけで、やっぱり山崎の自業自得だと思うんだけど。という言葉を沖田は飲み込む。
 山崎は完全に沖田に体重を預けてしまって、今にも眠りに沈みそうな気配だ。
「寝んの? サボんの?」
「うん……」
「布団敷く?」
「ううん……」
「このまま寝んの? しんどいだろ」
「んー……」
 沖田の服を緩く掴んで首を振った山崎は、肯定か否定か曖昧な声だけを零す。
 仕方ねぇな、と沖田は溜息を吐いて、自分に抱きついている山崎の体をそっと畳みに横たえた。
 山崎の手が自分の着物から離れないのが妙に嬉しくて、自分もその隣に横たわる。
「晩飯の時間になったら起こしてやらァ。マヨぶっかけて持ってくんだろ?」
「ん、……」
 よしよし、と子供にするように山崎の頭を撫でれば、すう、と寝息を零しながら沖田に擦り寄ってくる。
 こんなことだから、そりゃあ夜も眠れないんだよ、と沖田は少し笑って、暖房のスイッチに手を伸ばした。
 なんとなく土方にはバレている気がする。斬り殺したいくらいむかつくが、バレている気がする。
 ごめんなさい、と一緒に謝ったらやっぱり沖田も殴られるんだろうか。若いんだから、少しの失敗は見逃してくれないかなあ。

      (08.12.19)