何が悲しくて大晦日から元旦にかけて、外で酒飲みの相手をせねばならないのだ。
はあ、と重たい息を吐いて、山崎は足を踏み出した。
東の空が白々と明けている。足元でさく、と雪が鳴った。積もったのか、と少し驚いて吐いた息が白い。
(しかも女装で……俺の一年見えたな……)
がっくりと肩を落とす。眠たい。前日から働き通しで、瞼がくっついてしまいそうだ。一刻も早く屯所に戻って眠りたい。
(あ……でも戻ってももしかして酔っ払いだらけか……)
そんなところにこんな格好で帰ったら何を言われるかわかったもんじゃない。うんざりしながら、乱れた髪を軽く撫で付ける。仕事だ何だと言いながら、その仕草がもう女だと、事情を知るものが見ていたら笑っただろう。
だってプロだもの、と山崎は思っている。
(……しかし寒いな。とりあえず炬燵だな)
首元に巻いた毛皮のストールを巻きなおしてさくさく、と雪を鳴らして歩き出した山崎の背に、
「やーまざき」
と聞きなれた声がかかった。
「……え、沖田さん何やってんですか」
驚き振り向いた山崎の頬に冷たい風が突き刺さるように吹く。
視線を向けた先には、雪の積もる上にしゃがみこんで指先に白い息を吐きかけている沖田の姿があった。
「え、ちょっと本当に、なんで?」
慌てて駆け寄る。さく、と雪が鳴って白い部分が茶色く滲む。
沖田と目線を合わせるようにしゃがみこんだ山崎に沖田は少し笑って、「着物汚れるぜ」とからかうように言った。
山崎は自分の纏ったいつもより少し豪華な女物の着物を見下ろして、
「まあ、もうこれで最後ですから」
と肩を竦めてみせる。
「え、そうなの? 勿体ねー」
「何がですか。だってもうこんな着物、着る機会もあんまないですよ」
「でも、言っても高いんだろ?」
「どうせ上の金です。俺たちの懐はちっとも痛まないんだから、別にいいんですよ」
山崎は少し拗ねたようにそう言って、爪の先まできれいに色づけられた手を沖田に伸ばした。
はあ、と白い息を吐きかけ続けられていたその手をぎゅっと握りこむ。
「冷た……。いつからいたんですか?」
「んー、いつからだろ」
「宴会は?」
「抜けてきた。おっさんたちに付き合ってられねェや」
今度は沖田が肩を竦める晩だった。うんざり、といった表情の、鼻の頭が赤くなっている。
「あっけましておめでとー、山崎」
「あ、はい、あけましておめでとうございます」
沖田の手を温めるように握ってやったまま律儀に頭を下げた山崎に、はは、と楽しそうな笑い声が振る。握った手は、そう簡単には温まらないくらいに冷えている。
「でも本当に、どうかしたんですか?」
「お店の可愛いお姉ちゃんとアフター楽しもうかと思って」
「だったらお店に入ってくればよかったのに」
「さすがに俺じゃ止められらァ。残念だけどな」
年齢より少し幼く見える顔を沖田は顰めて見せて、
「だってお前、せっかくの年越しに仕事だなんて、可哀想だろーがよ」
と、少し真剣な表情になって言った。
「……でも、俺だけじゃないでしょ、出てるの。監察何人かは出払ってるはずですよ」
俺も何人か動かしてますもん、と山崎が言えば、沖田は少し嫌そうな顔をする。
「知らね、そんなの。俺はお前が可哀想なのがイヤなだけでィ」
山崎が握っていた手はまだ冷たいままだったが、沖田はそれをやんわり解いて立ち上がった。ズボンについた雪を払って、ん、と山崎に手を伸ばす。
山崎はその手を素直に取って立ち上がった。
+++
寒いから、と言い訳のように言って、手を繋いで歩く。東の空から徐々に顔を見せた太陽が、ところどころ汚れている雪をきらきらと輝かせはじめる。
山崎は眠気で閉じてしまいそうな目をしぱしぱと瞬きさせながら歩いていて、沖田は時折それを見て、柔らかな笑みを浮かべた。
さくさくと足元で雪が鳴る。
「変なおっさんに何にもされなかった?」
ぎゅう、と握る手に力を込めて聞けば、山崎がふふ、と笑いを零す。
相変わらず、本当の女にも負けないくらいに女に見える。小さく開かれる唇に塗られた紅が、わずかに剥げているのが気になった。
「ちょっと足とか触られました。いつも不思議なんですけど、触ってわっかんないもんですかねえ? わかられても困りますけど」
「いつも不思議に思うほど頻繁に触らせてんの?」
「触らせてるんじゃありません。拒んでも触られるんですぅ」
言いながら、今度は山崎の方から握った手に力を込める。
ぎゅっ、と子供のようにただ繋いだだけの手から、じわじわと熱が伝染してくる。
「へえ。じゃあ俺にも触らせてくれよ」
「いつも好きに触るくせに、何言ってんですか」
「いや、その格好のまんまで」
割と真剣に言った沖田に、山崎が少し嫌そうな顔を向ける。
「えー……なんかやだ」
「いいじゃねーか。年も明けたことだし、新しい自分を再発見のチャンスだぜ」
「えー……」
意味わかんないし、と山崎は軽く顔を顰めて自分の姿を見下ろす。
「沖田さん前に、男でも女でも俺だったら別にどっちでもいいみたいなこと言ってませんでしたっけ」
うそつき! と山崎が詰るように、しかし少し笑いながら言うのに沖田は笑って首を傾げてみせる。
「女の姿だからいいな、と思ったんじゃねェよ? 今の山崎がそりゃあもう可愛いから、その可愛い山崎とヤりてェなあ! て思っただけでさァ」
「足触るっていう話が何でそんな露骨な話になってんですか」
「だってお前もそのつもりで嫌がってんだろ?」
足触るだけで嫌がられたら割りに合わねェぜ、と沖田が理屈の通ったような通らぬようなことを言うのに、山崎は少し呆れたような顔をして、手に入れていた力を少し緩めた。
沖田はそれをぐい、と自分の方へ引っ張る。逃がさないと伝えるように山崎の顔をじっと見れば、山崎は降参したように溜息を吐いて項垂れた。
「……いいですけどね。よくないけど。つーか俺眠いんですよ」
うん知ってる、と心の中で沖田は頷く。山崎はそんなことは気づかないで、うー、とかあー、とか、往生際悪く唸っている。
(知ってっけどさーつぅかヤりたいわけじゃねーんだけどなァ、ヤりたいけど)
どうせ今から屯所に帰れば、酔っ払いどもがそこここに寝転がっていて、それだけならまだいいけれど、その中でも元気な奴が何人か起き出して、やれおせちだ、やれ餅つきだ、と騒ぎ出すに決まっているのだ。
そして絶対に、沖田も山崎も巻き込まれるに決まっている。なんたって騒ぎの筆頭が近藤なのだから。
新年なんてそんなものだ。ゆっくり二人でなんて過ごせやしない。
だからこそ、こんな寒い中迎えに来たのだ。せめて、
(……せめて、お年玉だけでもいいんだけどなァ)
どうしようか、と頃合を見計らっている沖田のことなど山崎は知らない。
太陽がきらきらと雪を反射させる中で、少しくたびれた化粧で顔色を隠して、眠たそうな顔をしている。
その足取りが少しのろのろとしているのは眠たいからなのか、それとも。
自分とおんなじ理由だったらいいのになあ! と沖田は思う。でも山崎は案外そういうことまで可愛らしく神経が届かないことがあるので、やっぱりただ、眠たいだけなのかも知れない。
「なぁ、山崎」
「何ですか?」
山崎はいよいよ眠そうな顔をして、とろんと沖田に目を向ける。やっぱ諦めてくれました? などと検討違いのことを言って、ちょっと笑った。
眠いなら寝ればいいのだ。いくらでも寝かせてあげる。だからこれだけは。
繋いだ手から力を抜いて、指を絡めて繋ぎなおした。今年一番最初の朝日の光がきらきらと、山崎の付けた髪飾りに反射する。
すう、と沖田は息を吸った。
やっべ、なに俺緊張してんの、と内心焦る。
「お年玉くれよ。キスでいいから」
帰ってからもらったら止まんなくなっちまうから、ここでちょうだい。
本気の言葉は拒まれたらへこむから怖いなあ、と少し心臓の速度を速めて沖田が言えば、山崎は眠そうにしていた目を少し見開いた。それから、ふは、と噴出すようにして笑う。
何だよ、と沖田がちょっと拗ねるようにするのを見て、山崎は更に笑みを深くした。けれど、ぎゅう、と繋いだ手に力が籠っただけで、そのまま歩き出してしまう。
二、三歩引きずられるようにして歩いた後沖田は、抗議の意味を込めて繋いだ手をぐいと引いた。「山崎」と少し鋭く名前を呼べば、やっと足を止めた山崎が沖田へと振り返る。
にっこりと、唇に笑みが刻まれている。はは、と小さく笑って山崎は、楽しそうに首を傾げてみせた。
「帰ってからあげます。止まんなくても、いいですよ」