ずうっとひとりきりだったので、そばにいてくれるならだれでもよかった。
いじわるでも、ひねくれていても、ひとごろしでも、ただそばにちゃんといて、じぶんのことをすきになってくれるのだったら、それで、よかった。
沖田の肩に顎を乗せるようにしてその手元を覗きこんだ山崎は、沖田が握ったペンの綴る文字を見て、呆れたように小さく笑った。
「やっぱりそれですか」
「これしかねーだろィ。土方死ね」
油性マジックででかでかと書かれた文字を読み上げた沖田は、短冊を両手で持ち上げ透かし見た。後ろにぐっと体重をかけるようにしてそうするので、背後にいた山崎は沖田の体を不自然な体勢で支える羽目になる。
「沖田さーん、邪魔ですー」
「うっせ。だァってろ」
「横暴だ」
つうか本当重い、と支えていた腕を外し体の位置をずらせば、沖田はそのまま後ろへ倒れ込む。
山崎の動きを予想していたのか、腹筋の力だけで器用に頭を支え、沖田はしげしげと自分の書いた短冊を見つめ続けた。
「これってよ」
「うん、何です?」
「こんな時間に吊るしても効果あんの? もう日付変わるけど」
「さあ? つうかそもそも何で願い事なんですかね。織姫と彦星は自分たちがイチャつくのに精一杯で、下界のことなんか構ってられねえと思いますけど」
「ちげえねえ」
はは、と笑って沖田は、小さな短冊をぴらっと山崎に差し出した。
「くくっといて」
「結局?」
「叶うかも知れねえだろ」
「叶いませんよ、こんなの。つうか俺がくくったら俺が願ってるみたいじゃね? 沖田さん名前書いといてくださいよ。こわいから」
「土方さーん、山崎が死ねっつってましたー」
「やめてください!」
ふざける沖田の手から短冊を奪い、山崎は口の中でぶつぶつと小さく文句を言いながら立ちあがった。畳に仰向けに転がったままの沖田がにやにやと楽しそうにしているのが、少し腹立たしい。
縁の下に転がっている下駄を引っ張り出して、からからと軽い音を立てながら庭に立つ。ざわ、と緑の葉が風に鳴る。山崎は庭の端にひょろっと飾られている笹に近づいて、短冊に飾られたその姿をじっと見つめた。
おねがいごとがかなうんだって、というから、じゃあ、かなえてもらおうじゃないかと、おもった。
だれかにたよるねがいごとなんて、それくらいしか、おもいつかなかったのだ。
土方死ね、と派手に書かれた短冊を細い紐で笹に結び付け、そのまま笹を飾る色とりどりの紙を見つめたまま動かない山崎の背後で、からん、軽い音がした。
山崎が振り向くより先に、沖田の腕がするりと山崎の体に巻きつく。
「……外ですよ」
「構うかよ」
知ってるか、今日って恋人たちの日なんだぜ。およそキャラに似合わぬことを口にして、沖田がふふ、と小さく笑った。山崎の耳元にその吐息がかかる。あたたかくて、くすぐったい。
夏のじめっとした風に揺れる小さな紙には、腹いっぱい食いたい、だとか、給料あげろ、だとか、副長死ね、だとか、土方死ね、だとか、強くなりたい、だとか、こんなところに吊るしていても叶わないような、本気でないような願いがたくさん書いてある。
自分の短冊は、と山崎は視線を巡らせたが、見つからない。
忙しない中書けと渡された紙に書き殴った願いは、そもそも何だったのかもよく覚えていない。
「……沖田さんはさあ」
「ん?」
きゅ、と後ろから優しく抱きしめる腕に、山崎はそっと触れる。少し、腕の力が強くなった気がした。
「七夕に本気のお願いごとしたことってあります?」
「あー……ねえよ」
誤魔化すように言葉を濁し、「神様なんていねえもん」小さくつぶやいて、沖田は山崎の首筋に顔をうずめる。吐息が肌に触れてくすぐったい。体を抱きしめる腕が、甘えるようであたたかい。
「お前は?」
顔を隠すようにしたまま、聞き取れるかどうか曖昧なくらいの声で、沖田が言った。
山崎は少し目を伏せて、口元を緩ませる。
生きている間でたった一度だけ神頼みをしたことがあった。
たった一度だけのそれが叶ったから、神様だって信じてみてもいいかと思った。
かちん、と、時計の針が重なった。
「俺はねえ、沖田さんに会いたかったよ」
「……は?」
間抜けな声を出して、沖田が顔を上げる。体に回っていた腕を少し解いて、山崎はくるりと後ろを向いた。同じ目線の高さ。大きなまあるい目が、きょとんと見開かれている。
「何だそりゃ」
「沖田さんは、実は俺のために生まれてきたんですよ」
「はあ?」
わけがわからない、という風に沖田が苦笑するのを、山崎は目を細めて見つめる。
山崎の腕が首に回ったことに少し驚いて、今度は沖田が、「外だぜ」と少し慌てたように言った。折よく風が吹いて、抗議するようにざわ、と笹の葉が大きな音を立てた。
「構いませんよ」
「……構えよ」
「だって、誕生日だもん」
にい、と笑って、山崎はそのまま沖田に小さくキスをした。目を見開いたままそれを受け止めた沖田の手が、驚いたように一瞬宙に浮く。
その手が、ふわりと自分の背中に舞い戻ったことに少し安堵をして、山崎は嬉しそうに目を細めた。
「誰でもよかったけど、沖田さんでよかった」
「だから、さっきから、意味わかんねえって」
「好きですって言ってんです」
「……じゃ、もっかいちゅーして」
「外ですよ?」
「構わねえよ」
誕生日だもん、俺の。笑いながら言って、今度は沖田が山崎にキスをする。小さく、触れ合わせるだけの、どこかの国のあいさつのような、子供のおふざけのような、何かの約束のような、そんな。
「生まれて来てくれて、ありがとうございます。俺、沖田さんに出会えて本当によかった」
山崎の言葉に沖田は、大げさだぜ、と照れたように笑った。
ずうっとひとりきりだったから、誰でもいいから、そばにいて欲しかった。
いじわるでも、ひねくれていても、人殺しでも、何でもよかった。
そばにいて、生きていて、あたたかくて、甘えてくれて、甘やかしてくれて、好きだよ、と言ってくれさえしたら、それだけでよかった。
それだけが欲しかった。
だから、神様とか、信じてみたっていいよ。