目を開ければ、障子から差し込む明かりはすでに橙色だった。
 まだぼんやりとした頭で目を擦り、ごろんと寝返りを打つ。畳の香り。何で俺はここで寝てたんだろう。
 思考を巡らせて、慌てて飛び起きたのと障子が開いたのがほぼ同時。
「山崎ぃー。あ、起きましたかィ?」
「お、おき…おきたさ…」
「……それは、起きたっていう返事なのか、俺の名前を呼んでるのか、どっち?」
「……沖田さん」
「ああ」
 笑って沖田さんは、俺に湯飲みを差し出した。
「おら」
「あ、どうも…」
 受け取って、口を付ける。俺が猫舌だと知っているのは沖田さんだけで、この人は俺にいつもぬるめのお茶をくれる。
 沖田総悟が自ら淹れたお茶を飲めるのは、俺と副長くらいだろう。副長へのお茶には九割の確率で悪戯程度の薬が入っているのだけれど。
「あの…俺って……」
「俺を起こしに来て、そのまま寝ちまったんですぜ」
 ずずっとお茶を啜りながら、平然とそんな事を言う。俺が沖田さんを起こしに来たのが確か昼過ぎだったから、多分二刻は寝ていた計算になるだろう。いつものうたた寝だったら副長も小突くくらいにしておいてくれるが、こんなにも仕事をさぼったとばれれば、場合によっては恐ろしいことになるかも知れない。
 そもそも副長は俺にばかり厳しすぎるんだ。他の隊士がさぼっていても何も言わない癖に、俺がさぼっているのを見つけると問答無用で叱る。真面目にやらないのが悪いと言われたらそれまでだが、だからといって酷すぎやしないか。
「山崎」
「うー……」
「山崎」
「………」
「やーまーざーきっ」
 こつん、と額を小突かれた。
「った」
「眉間に皺が寄ってますぜ」
 沖田さんはにやりと笑って、中身を飲み干した湯飲みを少し離れたところにそっと置いた。小突いたばかりの俺の眉間を指で撫でる。
「何ぞ、考え事ですかィ?」
「副長に怒られるのが嫌だなぁと思って」
「怒られる?」
「沖田さんを起こしてこいって言われたのに、俺が寝ちまいました…」
「あはは」
 沖田さんは俺の手から湯飲みを奪って、自分の湯飲みと同じように座っている場所から少し離れた所に置いた。そのまま俺の膝を枕にしてごろんと横になる。柔らかい髪が俺の膝の上でさらりと流れた。沖田さんはそのまま手を伸ばして肩に掛かる長さの俺の髪にそっと触れたりするので、何だか恥ずかしくなってその手を取ったら指を絡ませられる。
「まあ、いつものことでしょ」
「……それもそうですね」
「山崎は二回に一回は俺と一緒に寝ますしねェ」
「三回に一回です」
「それを分かってて山崎を寄越すんだから、いいと思うけどなァ」
「でも沖田さん、俺じゃないと不機嫌になるらしいじゃないですか」
「まあね」
「新入隊士がビビってましたぜ」
「なめられるよりマシでさァ」
「局長は沖田さんが寝てても笑ってる様なお人だし、副長は怯えて来たがらないし」
「はは」
 副長は実際、自分の手が空いているときでも俺に沖田さんを起こしに行かせる。過去に何度か副長自身が起こしに来て、眠りを邪魔された沖田さんに斬りかかられたからだという噂だが、沖田さんは寝起きが不機嫌だという振りをして副長をからかったに違いない。
 沖田さんは副長の座を狙って、土方副長の命を狙っていると言われているが、それはこの人なりのお茶目なのだと思う。
 屈折した人の屈折した愛情は判りにくいもので、沖田さんは副長を信頼していると同時に、遊ぶための格好のおもちゃだと思っているんだろう。多分。
「で?」
「へ?」
「山崎が寝転けたことに関してはいつものことだとするとして」
「するとして、って、あの、具体的な解決策とかは……」
「ない」
「ああ……」
「で。考え事は済みましたかィ?」
「あー……そうですね」
 済んだのだろうか。何も解決してないけれど。まあいいか、と思う。障子の外の橙はだんだん色を濃くして、もうすぐ夕餉の時間だ。
 絡めた指はそのままで、沖田さんは時折その手に力を込めたりする。
「なら」
 手を握ったまま身体を器用に起こして、沖田さんは俺の髪を掻き上げた。そのまま指を頬に滑らされるので、ふっと笑えば沖田さんも笑った。

 何人が知っているだろう。
 沖田さんの嬉しそうな優しい笑顔は、とてもとても綺麗だ。

「他の男のこと、考えんな」
 笑ってふざけてそういって、そのまま口吻けられる。絡めた指はそのままで。それが何だか気恥ずかしい。
 離れた唇は、今度はその絡めたままの指に落ちた。唇をつけたままで俺を見つめて、
「好き」
 そんなことを真剣な目で言うので、俺は咄嗟に言葉を返せずに目を逸らす。
「…そう、困った顔をしなさんな」
「困ってないです」
「そ?」
「俺も」
 一瞬躊躇ってから、やっぱり顔を見て言うものだろうかと思って視線を戻せば、沖田さんこそが困った顔をしている。
 ああ、別にこうされることが嫌なわけでも本当に困っているわけでもなくて、ただどんな顔をしてその言葉を受け止めればいいのかがまだ分からないだけなのだと、そう教えてあげたい。けれど、教える言葉すら俺はちゃんと見つけられない。
「俺も、好きです、よ」
 どうも躊躇ったような言い方になってしまう。もっとちゃんと言いたいのに。
 沖田さんがくすりと笑って、絡めた指を解いた。
 それに慌てれば、何かを言う間もなく今度は抱き締められる。
 耳元でもう一度、好きと言われた。
 それが恥ずかしいけれど嬉しかったので、そろそろと腕を回して同じように沖田さんを抱き締めみる。抱き締める、というより、抱きつく、のだろうか。この場合は。
 いい加減痺れを切らした副長が別の人間を呼びに寄越すまで、このままでいたいと、口に出す勇気は、まだないけれど。

     (04.07.09)