真っ白に浄化された世界をたくさんの人が踏み荒らして、きれいな雪は、あっというまに濁った色になった。茶色く汚れてぐちゃぐちゃのどろどろになった雪を踏みしめて、山崎は歩く。刀は曲がってしまって鞘に収まらない。
べちゃべちゃとした雪の上を歩いて、やっと見つけた目当ての人は、ほとんど踏み荒らされていない真白な雪の上にひとりぽつんと立っていた。
「沖田さん!」
寒さにやられた舌を動かして、寒さにやられた喉から声を振り絞って、なるべく大きな声で呼んだ。びく、と驚いたように沖田の体が揺れ、ゆっくりと振り返り、こちらを見返す瞳孔が開いている。殺気。血の匂い。白い世界にひとりで立つ金の髪をした、
(……天使みたい)
薄茶色の沖田の髪は日の光に透け、金色のように輝いて見えた。
沖田の周りの雪が少しも荒らされていないので、近づくのだって躊躇われる。少しも動かず斬ったのか、斬ったあとにここまで来たのか。周りに人間が転がっていないことを見ると、おそらくは後者だろう。
(よほど、後味の悪い殺し方をしたな。最近ではこんなこと、なかったのに)
呼吸をするように簡単に、花を手折るように単純に、舞い踊るように鮮やかに、人を殺して見せるから山崎はそんな沖田が好きで、沖田はきっと、自分自身のことを嫌っている。
だからこうしてひとりになりたがる。
(それをこちらに引き戻す、俺は、残酷だろうか)
さく、と足を進め、きれいなままの雪を汚した。山崎をじっと見据えたままの沖田は、刀をきつく握ったままで細く息をしている。
気の立っている獣のようなものだ。不用意に近づくと殺されるかもしれない。
考えながら山崎は歩みを止めない。さく、さく、と雪が鳴る。尖ったような血の匂い。
「沖田さん」
近づいて、手を伸ばし、刀を握った手に触れた。沖田の肩が揺れて、睨みつけられ、山崎は呼吸を落ちつかせたまま沖田の目を覗きこむ。ひとつ、ふたつ、呼吸を合わせて、沖田の手から力が抜けた。
だらりとぶら下げた刀をぼんやりと見やり、ああ、と気付いたかのように、沖田はやっとそれを鞘へおさめる。
「……お前」
「大丈夫ですか?」
「斬りにきたのかと思った。俺を」
「なんで?」
「刀。なんでしまわねえの?」
抜き身でぶら下げっぱなしの山崎の刀を不審げに見つめ、唇を尖らせて沖田が言う。ああ、これのせいだったか。迂闊な自分に呆れながら、山崎は肩をすくめて見せた。
「だって曲がっちゃった」
「じゃあ、そのまま差しとけよ。ぶらさげて持ってんな」
「はい、ごめんなさい」
「終わった?」
「こっちは全部。沖田さんは?」
「終わらせたよ。全部」
帰ろうか。沖田の方から山崎の手をぎゅ、と握って、にこりと笑う顔がまだ青い。
山崎は思わず手を伸ばし、薄い色の髪を撫でた。さらさら、指の合間から零れる髪が、冷たい。暦はもう春だというのに、雪も積もって、寒さが消えない。
「お前、もうこれで終わり?」
「俺は検分があるからもうちょっと」
「じゃあ待ってる」
「え」
「一緒に帰ろう」
握った手をひいて、沖田が先に歩き出す。それに連れて行かれるような形で山崎は、つんのめるように足を踏み出した。さく、と雪が鳴り、すぐに茶色く汚れてしまう。
「あ」
「なんだよ」
「雪。きれいだったのに」
「あ? ……ああ、本当だ、ごめん」
「いや、いいんですけど。沖田さん、すっげきれいでしたよ」
「ん?」
「きれいな雪の真ん中で立ってるの、すっげえきれいでした。天使みたいだった」
「はは、俺が? 天使?」
「うん」
「まー、俺ってかっこいいからな」
「うん」
「……つっこめよ。照れるだろ」
青褪めていたはずの頬を少し赤くして、言葉通り照れたように繋いだ手をぶんぶんと大きく振るので、山崎は思わず声をあげて笑った。それを見て沖田も笑う。笑ったあと、少し眉をひそめて、それからふいに足を止めた。
「沖田さん?」
「ん、……」
眉間に皺を寄せ、口元を押さえる。軽く咳き込んだと思ったら、沖田は背を丸めて口から血を吐き出した。
ぼた。
落ちた血が、まだ踏まれていない雪の上に、落ちる。真白に映える真っ赤なそれが、じわじわと雪に染みて、音もなく広がった。
「……沖田さん」
「…っ、……うえー、気持ちわり」
「喀血ですか?」
「は? ばか、んなわけあるか。口ん中切れただけだァ」
ぐい、と口元を袖で拭って、沖田が嫌そうな顔をする。血の落ちた部分を足で踏んで消してしまうので、白にきれいな赤色はすぐに汚れて見えなくなった。
「殴んのは、反則だよなァ。侍なんだったら、刀持って向かって来いってんだ」
「え、殴られたんですか」
「うん。でも、まあ、それで斬っちまう俺も、どうかな。刀使われてねえのに、刀使って殺すのは、やっぱ、反則かなァ」
侍じゃねえかなァ。
ぎゅ、ぎゅ、と執拗に雪を踏みつけながら沖田は暗い声を出した。考えこむように目を伏せているので、山崎は繋いだままの手をぐい、と引く。顔を上げた沖田の頬を少し撫でた。山崎の手も十分冷たく冷えているので、沖田の肌の冷たさは、あまり、わからなかった。
「手ェ出されて、喧嘩吹っかけられて、相手を倒さず逃げんのは、士道不覚悟ですよ。侍じゃあ、ありません。そういうことになってます。俺たちの間では、少なくとも」
「……そうか」
「そうです。俺たちに喧嘩売った時点で、斬り殺されても、文句言えません。言わせません、絶対」
「……うん」
頬に触れている山崎の手を、沖田が上から包み込むようにする。そのままてのひらにくちづけられて、指先にくちづけられて、冷えた指先が吐息で温まり痺れたと思ったら引き寄せられて、山崎の唇は、沖田の冷たい唇に塞がれていた。
熱い吐息が冷たい唇の熱をあげていく。
唇を離したときには、山崎の唇も沖田の唇も、熱を持って赤くなっていた。
「……労咳だったら、移っちまいますね」
「移っちまえばいいんだ。俺が死ぬなら、お前も死ななきゃ、いやだぜ」
「俺が死んだら泣くくせに」
「はっ」
鼻で笑い飛ばして、沖田は山崎の頭をひとつ撫でた。それから繋いだ手に力をこめ「帰ろう」笑って背を向ける。
さくさくと雪を踏んで再び歩き出す沖田に促され、山崎もその足跡を辿って歩いた。繋いだ手が少しずつ体温を分け合って、少しずつ温かくなっていく。
キスをしたときの血の匂い。
舌を口の中で動かして反芻をして、山崎は唇の端を上げた。
「ねえ」
「あー?」
「俺が死んだら、泣きますか?」
さくさくさくさく。白いきれいに積もった雪を二人の足で汚しながら、沖田と山崎は真っ直ぐ歩く。山崎の問いにも沖田は足を止めない。ただ少し、手が握りなおされる。指を絡められるようにするので、自然と距離が近くなる。横並び。
「ねえってば」
薄い笑みを浮かべたまま答えない沖田に焦れて山崎が言い募れば、沖田は少し困ったような顔をして、ちらりと横目で山崎を見た。
「お前、ばかだなぁ」
「なんでですか」
「泣けねえよ。悲しすぎて」
涙なんか出る前に、心が壊れちまわァな。
ぎゅ、と握った手に力がこもる。これ以上ないくらい。痛いくらいだ。
山崎の舌の上には、まだ少し、血の味が残っている。沖田は少し速度を落とし、再び軽く血を吐いた。本当に口の中が切れただけのような唾液のようなそれは、じゅん、と雪に滲んですぐに色を淡くする。
「だからお前が死ぬときは、俺と一緒じゃなきゃ、いやだぜ」
天使の顔でそんな我儘。もう山崎は、頷くしかない。