なんでお前、呼ばねえの。
 喉の奥から絞り出すような声で沖田が言った。山崎は閉じていた目を薄く明け、枕元に正座した沖田へと視線を向ける。膝の上で握った拳が細かく震えている。怒りだろうか。
「……ごめんなさい」
「悪いと思ってねえくせに謝んじゃねえよ」
 きつく睨まれ、山崎は口を噤む。それでも他に言葉が見つからず、ごめんなさい、ともう一度口の中でもごもご言えば、少し表情を和らげた沖田が溜息をついたのがわかった。体温の高い手が、山崎の額に触れる。
「まだ、気分悪ぃの」
「はあ、まあ、ちょっと。でもそんな、死ぬような毒でもないですし」
「馬鹿だとは思ってたけど拾い食いって、ほんと、お前、馬鹿じゃねえのか」
「はは、そうですねえ。馬鹿です。拾い食いっつうか、なんつうか。馬鹿ですよねえ」
「だから願掛けとか無意味だっつったろ、ばか」
 沖田の指が優しく山崎の前髪を払い、頬に触れ、唇に触れる。それからそっと手を握り、両手で大事に包み込むものだから山崎は困惑してしまう。
 枕元に座り込んで神妙にそうする沖田の顔が少し青褪めているので、まるで自分が今すぐにでも死んでしまいそうな錯覚に陥っていけない。
「沖田さんだって、してんじゃん、いろいろ。お守りとか、持ってんじゃん」
「お守り持ったって死にゃしねえだろ。あんパンばっかとか死ぬぞ、お前」
「はは、うん、確かにちょっと死にかけた」
「そんで拾い食いとか、お前ほんと……」
 いい加減にしろよ。
 唸るように言って、沖田は大事に包み込んだ山崎の手に額を押し当てる。
 死ぬような毒ではないけれど、その後に無理をしたせいで山崎の体はまだ少し動きが鈍い。だから起き上がって、そうして俯いてしまった沖田を宥める術がわからない。
 ごめんなさい、ともう一度言った。
 ふざけんなよ、という声が返る。
「なんで、お前、呼ばねえの、俺を。しんどいときとか、駄目だって思ったときとか、俺のことちゃんと、呼ばねえの。何で俺に頼んねえの。俺じゃだめなの」
「沖田さん」
「おめえの仕事は俺の管轄じゃねえし俺がほいほい行けないことなんてわかってるだろ。それでも俺がほいほい行きたいことなんてお前ちゃんとわかってんだろ。呼べよ。お前が呼んだらすぐに行ったよ。お前がお前のルール崩す気がねえなら、気を紛らわすくらいしてやったよ。なんでひとりでおかしくなるまで、ひとりで、なんで、俺のこと思い出さねえの、ちゃんと、お前、なんだよ、ふざけんな、どうして俺じゃねえの、お前が、」
 ぐ、と手を握る力を込められて、皮膚に軽く爪が立つ。
 沖田は俯いてしまっていて、その表情は山崎からではうまく見えない。
「お前が、起きた時、どうしているのが、俺じゃねえの。俺はそれが、悔しい。お前が無茶すんの止めたり、許したりするのが、俺じゃねえのが悔しい。お前が頼るのが俺じゃなくて悔しい。なんで、こんなになった後なんだよ。なんで全部終わって、こうやってお前が起き上がれなくなった後なんだよ、いつも、」
 いっつもそうだ、と落ちた声が震えていて、山崎は少し慌てた。沖田の手に包まれているのとは反対の手を伸ばして、沖田の髪に触れる。ちら、と顔を上げた沖田が一瞬泣きそうに顔を歪めて、それから少し笑った。頬はやはり少し、青褪めている。
「……おっまえ、変な顔。何泣きそうな顔してんの」
 馬鹿にするような声で言って、沖田はぱっと山崎の手を離した。あたたかい両手に包まれていた山崎の手は、冷たい布団の上にぽすりと落ちる。それを寂しいと山崎が思うより前に、沖田が山崎の顔を覗きこんで、色素の薄い髪が山崎の額をくすぐった。吐息が混ざりあう距離。唇がすこし、震えているのがわかるほどの。
「泣きてえのは、俺だよ。お前、俺がお前を好きだっていうの、どういうことか、全然わかってねえだろう」
「おきたさ、」
 山崎が名前を呼びきるより先に、唇がぶつかって言葉は閉じ込められてしまう。やわく触れるだけの唇が、やはり少しだけ震えている。

 泣くだろうか。もし本当に、こうして帰って来れなくなったら。

「……なあ、ちゅーで毒って移んの?」
「いや、風邪じゃないし。移るとか意味わかんないでしょう」
「ふうん。つまんねえの」
「……意味がわからない」
「わかんなくてもいいよ。つうかお前馬鹿だからわかんねえよ」
 にい、と口の端を上げた沖田はそのまま山崎の隣に横たわり、甘えるように山崎に擦り寄ってみせた。困惑する山崎の顔をちらりと見て、楽しそうに笑う。
「仕方ねえから添寝してやらァ」
「はぁ……ありがとうございます」
 首を傾げながらの山崎の返事に、沖田はやはり楽しそうに小さく笑って、山崎との距離を詰めそのまま顔を隠してしまった。お前ほんと馬鹿だなぁ、という声は、やはり少し笑っている。けれど、山崎の手を手探りでたぐりよせ握ったその指が、やはり少し、震えているのだ。
「……お前が起きたとき、今度は俺が傍にいてやるよ。お前が嫌だっつっても、俺じゃ意味ねえっつっても、聞いてなんかやらねえ。俺はお前が好きなんだ」

 死ぬような毒ではないから、きっと少し休んだら山崎はすぐに元気になる。
 普通に沖田を宥めることも、いつも通り仕事をすることも、できるだろう。
 けれど、死ぬような毒ではないのに今ここで沖田のことを抱きしめられないのは、こわいからだ。自分の手を握る沖田の指が震えていることがこわくて、そんな沖田が顔を隠してしまっていることがこわい。

(この人はきっと泣くだろう)
(俺が死んだら、泣くだろう)
(けれど俺は、)

「……沖田さんだって、全然わかってないでしょう。俺が沖田さんを好きっていうのが、どういうことか」
 沖田は答えない。眠ってしまったとも思えないのに、眠ったかのように黙りこくっている。山崎は少し震える指で、沖田の髪に手を伸ばす。梳いて、零して。
(際限なく、呼んじまうでしょう。もういいやって、思っちまうでしょ。俺はそんな自分嫌いだし、そうなりたくないから、あんたを捨ててしまいたいのに、そうさせてくれない沖田さんはずるい。ずるいです。ひどい)
 動きの鈍い体を叱咤して、山崎は沖田の顔を覗きこむ。眠ってしまったように目を閉じているけれど、その睫毛が小さく動いている。ひどいひと。口の中だけでつぶやいて、山崎は沖田の額に自分の額を合わせた。吐息が混ざりそうで、でも、唇は届かない距離。
「呼べるわけが、ねえでしょう。俺はあんたが好きなんだ」



 それでも今は傍にいてほしいから眠っている間は手を離さないでいてください。

      (10.05.14)