沖田の嗜虐趣味は偽者だ。最初から、趣味でなんかない。
好んでそうするわけでもないのに、何故か一部の女は沖田の目を見るだけで勝手に犬になりたがる。自分はなにやらひどい呪いにかかっているんじゃなかろうか、と一時期悩んだことすら、ある。
悩んでもしかたないと迷路から脱却する頃には、もうそれが当たり前のようになっていた。
土方に対してだって、そうだ。最初はただ好かなくて、嫌いで、嫌いで、嫌いだから距離を置こうと思うのにあちらからずかずかと踏み込んでくるものだから逃げられず、抵抗するために暴れていたら、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
殺す、とか、死ね、と言ったり、刀を平気で向けたりすることが、だ。
沖田はただの子どもではないので、本当に殺したいと思えば相手を殺すことができる。向ける刀はおもちゃではないので、手元が狂えば、あるいはなんらか事故があれば、沖田が望むと望まざるとに関わらず土方は死んでしまうだろう。
それはこわいことだ、と思うことも、確かにある。
けれど、そうすることが当たり前になっているのだから、もう沖田は、どうすればそれをやめられるのかがわからない。
それが沖田総悟だ、ということに、なってしまっているからだ。
けれど本当は、好きなものには優しくしたい。
いつの間にか本当になってしまった沖田総悟像はそんなこと絶対認めようとしないだろうが、本心は、優しくしたいのだ。傷つけたくない、というよりも、傷つけて嫌われるのが、怖い。
特に今目の前にいる、狗と呼ばれているヒトには、絶対に嫌われたくないのだと、最近特に強く思うようになっている。
嫌われたら死んでしまうんじゃあないのか、と疑うほどだ。
嫌われて死んでしまったらかなわないので、いっそ最初から遠ざけてしまおうかと思ったこともあるが、無駄だった。笑っている顔はなるべく近くで見たかったし悲しそうなら慰めてやりたい。ありていに言えば、ずっと傍にいたかった。嫌われて死んでしまうより、傍にいられないことのほうが辛かった。
嫌われたくないし、優しくしたい。
俺なら優しくしてやれるのに、と、どうにもできないことを、沖田は嘆いている。嘆きながら、水で冷やした布を山崎の頬にそっと当ててやった。
「いってえ!」
「我慢しろィ。優しくしてやってんだろ」
「うう……」
「まったく、こんなとこに傷つくりやがって。女だったら裁判沙汰だぜ」
「はは、俺は生憎女ではないのでねえ」
「にしたって、ちったあ怒れよ、お前もよォ。殴られても蹴られても文句言わねえから、あの人だって図に乗るんでィ」
恨みを込めた沖田の言葉に、
「あ、これ副長じゃないっスよ」
慌てて手を振って、山崎が答えた。
本当の忠犬のように素早い反応だったので、沖田は少し腹が立った。
「じゃあ、誰」
「押し込み強盗、の、犯人?」
「語尾上げてんじゃねえよ、うぜえ」
「副長のような怒り方、せんでくださいよう。見回りの最中見つけてさぁ、取り押さえるときに、こう」
ぶん、と刀を振り回すような動きを山崎はしてみせる。
「避けろよ」
「いや、結構避けた方なんですよ、これでも。避けなかったら首が飛んでます」
「そんなにか」
「そんなに。結構な手錬だったみたいでねえ、まあ、でも、強盗になんてなっちゃあおしまいですけど」
廃刀令っつうのは犯罪者育成法ですねえ、と知った風なことを言って、山崎はへらりと笑った。
頬に一本刀傷が付いている。
「副長はね」
やめておけばいいのに、山崎は続けて余計なことを言い出した。
「跡が残るようなこたァ、しませんよ。俺は監察だから、目立つ傷が残っちゃ困りますものね」
「……そうかよ」
「やるときゃ、腹とか、背とか、服で隠れそうなとこばっかです」
「イジメだな」
ですよね、と山崎は朗らかに笑った。消毒液を傷口に押し当てれば、びくっと動いて顔を顰める。
「痛い」
「だァってろ。優しくしてやってんだって」
「本当かなぁ……」
「本当だよ」
口には出さず、もう一回、
(……本当だよ)
心の中だけで唱えて沖田はそっと目を伏せた。
できうる限り、優しくしている。できうる限り優しくしたい。
俺なら腹にも背にも傷なんて付けないのに、と思いながら、沖田は血に汚れた脱脂綿をくずかごの中に放り入れた。
こんな血が流れるようなことだって、しないのに。
ずっと優しくしてやれるのに。
なのに山崎は、望んであの人の狗でいるのだ。
「……山崎」
どうしようもない。
「はい」
「お前、いつか死ぬんじゃねえの」
「はは、俺が死んだら、泣きますか?」
「うん」
「そっかあ。じゃあ、気をつけますね」
「うん、気をつけろ」
「沖田さん」
「ンだよ」
「……俺が死んでも、泣かないでね」
泣く、と、言ったじゃないか。
ぐ、と歯を噛み締めてじろりと山崎を睨んだ沖田に、山崎は困ったように小さく笑った。泣かないでね、ともう一度念を押すように言って、沖田の髪をあやすように撫でる。
「お前、ほんと、馬鹿だな」
溜息と一緒に吐き出して、沖田は軽く頭を振った。絆創膏を手にとって、山崎の頬へあててやる。
「……お前が女だったら、俺が犯人殴ってやんのになァ。俺の女に手ぇ出してんじゃねえぞ、つって」
言いながら、ちらりと山崎の方を見れば、山崎は何でもないように笑っていて、そうですねえ、と、ひどくてきとうな返事を寄越した。
沖田にとっては、一世一代の告白だったのに。
やっぱり山崎は馬鹿なのだ。馬鹿には馬鹿用に分かりよい言葉で伝えなくてはならないのだ。落胆して、沖田は山崎の頬から手を離す。絆創膏はいびつに歪んでいた。沖田の手は、もしかしたら震えていたのかも知れない。
「俺はね、沖田さんが好きですよ」
その歪んだ絆創膏を指で撫でながら、視線を落として山崎がぽつりと言った。
平坦で、どういう意味を持つのかわからないような、声だった。
そうか、と沖田は短く返す。好きです、と絆創膏を撫でながら、平坦な声で山崎はもう一度言う。
たとえ本当にそうだったとしても、山崎の腹や背には土方が付けた痣があるのだろう、と思って、沖田は固くこぶしを握った。
山崎が女だったら、沖田が何かするより先に、俺の女に手ぇ出すなと土方こそが言うだろう。
(俺にできることと言えば、いじめられたこいつを後から、優しく甘やかしてやることしかねえんだ、きっと)
あるいは、今ここで山崎の首筋に噛み付いて、見える場所に目立つ痕を残すことができれば土方に勝てるだろうかと、仕様のないことを考えて、考えるだけで、全部を嘘で塗り固めた沖田はどうにも、山崎に優しくすることしかできない。