優しさだとか温もりだとかそんなことは忘れてしまっていたのだ。いつの間にか、忘れてしまっていたのだ。だから、夢にも思わなかった。ありえない、と、想像をすることすらもできなかった。忘れたときと同じようにいつの間にか慣れてしまった、日の光と、人の声と、体温と。
すう、と目を閉じて、息を吐き闇に沈む。
鋭くなった聴覚がぎしりと鳴る床の音をとらえたので、目を開けて横たえていた身体を起こした。
「山崎?」
からり、と襖が開く。顔を覗かせて、寝てた? と問うその声音が優しい。真選組の沖田と言えばその冷酷さは隊内外、剣を扱うものでは知らぬ者はいないと言うほどなのに、優しいときはこんなにも優しい。足音を立てずに歩くことなど慣れているはずなのに、わざと床を鳴らしたのは、俺を驚かさないためだと、知っている。
「もう、大丈夫です」
「いいから寝てな。病気のときくらい、寝てたって、誰も責めやしませんぜ」
肩を優しく押されて、促されるまま再び横になる。はらりと流れた半端な髪にそっと触れて、それから沖田さんは気遣うような優しい仕草で、俺の額に手を当てた。
「熱は下がりやしたね」
「だから、もう大丈夫ですって」
「って言って、仕事中に倒れられちゃ迷惑でさァ」
態とらしく肩を竦められ、反論しようとして、やめた。
ここのところ仕事が溜まっていて休む時間など滅多になく、頭が重いと思って試しに熱を測ってみれば、案の定発熱していた。薬を煎じて飲もうとしたところを局長に見つかって、人の出入りのある監察の部屋では落ち着かないだろうと思案する言葉に、だったらこっちに、と自分の部屋を明け渡したのが沖田さんだ。
遠慮する俺を有無を言わせず引っ張って、手ずから布団を敷き、寝てなせェ、と言ってくれた。
思いの外優しい言葉に、驚いて、目を見張れば、額を弾かれた。その痛みの所為にして拭った涙を、気付かれたかどうか。
いつの間にか忘れていた。必死すぎて、きっと、忘れているということも忘れていた。
傍に誰かがいるということや、無防備になれる場所があるということ、そんなことを、失ったことも、本当は、忘れていたのだ。
得た場所の暖かさと、心地よさに、気付けばすっかり忘れていたのだ。胸の奥に空いた暗い穴でさえ。
額にかかる髪を払う沖田さんの指が温かくて、やっぱり何も言えずに。
庭で、稽古中なのだろうか、隊士の声がする。柔らかな日差し。
ああ。なんて。
俺の部屋と大差ない天井。それを見つめながら、優しく髪を撫でてくれる人を思う。あまりにも優しい。
寝ててもいいですぜ、と言うので、いいえ、と答えた。邪魔ですかィ、と立ち上がりかけるのに慌てて服を掴めば、驚いたような顔をされた。だってここはあなたの部屋です、と言い訳をしようとするより先、驚いたままの沖田さんが不意に優しく笑ったので。
熱の所為だと声には出さずに自分自身に言い訳をして。
「……傍に、居てください」
うん、と笑った沖田さんがあまりにも嬉しそうだったので、何ですか、と問えば、気にしなさんな、と、また、髪を撫でられた。