真白な雪に転々と茶色の足跡が付いていた。
明け切らない空は白く、吐く息もまた白い。一面白の世界であるような中、それは転々と雪の上に続く。屯所の裏手に向かうそれを気まぐれで追おうと思い立った。
まだ眠っているだろう大半の人間を起こさないように足音を潜めながら廊下を小走りに進む。靴をひっかけ外へ出れば、全身の冷たい空気が包み、上着を着てこなかったことを今更ながらに後悔した。
足の下で雪が、さくりと音を立てた。
雪の上の茶色を、何故だか踏みつけないように辿る。まだ白いままの雪を踏み進み、ふと振り向けば、小さな茶色の点の横に、自分の足跡もまた、茶色く残っていた。
真選組に庭師は居ない。すぐ裏の庭は広いだけの、何もない場所だった。隊士の訓練に使われるそこは、今は真っ白な雪に覆われている。
一面白の、雪の敷かれたその場所にいたのは、一匹の黒猫だった。
――――にゃあ
小さく鳴いた猫が自分をじっと見つめる。しゃがんで手を伸ばせば、もう一度小さく、にゃあ、と鳴く。
「おいで」
呼んだ言葉に猫は首を傾げたよう。もう一度、おいで、と呼ぼうとしたとき、後ろでさくりと足音がした。黒猫はぴくりと耳を動かし、白雪に茶の足跡を残しながら走り去ってしまった。
「あ……」
「おや。黒猫がいる」
聞き慣れた声に振り向けば、起き抜けの姿にそのまま羽織を着ただけのひどく寒そうな姿で、沖田が首を傾げていた。
山崎はしゃがんだまま、彼を仰ぎ見た。
「おきたさん」
声を出し、あ、と思う。寒さのせいか、舌が上手く回らない。舌足らずな言葉に沖田は片眉を器用にあげて、肩を竦めた。自分の羽織をばさりと脱いで山崎の肩にかける。
「この黒猫は、こんな時間にこんな薄着で、何をしてるんだろうね」
「くろねこ…?」
「アンタのことでさァ」
呆れた様子を隠さずに目線を合わせるようしゃがんだ沖田は、きょとんとする山崎の額を指ではじく。痛、という山崎に溜息を吐いて、冷たくなった頬に触れ眉根を寄せた。
「冷たい」
「沖田さんこそ、そんな薄着でこんな時間に何をしてるんですか」
冷たいと感じる程度温もりに差はあったが、触れた沖田の指も冷たかった。山崎の問いに、不意に沖田はくすりと笑う。
「黒猫が庭に行くのが見えたから」
言って、沖田は立ち上がった。ほら、と山崎に手を差し出し、山崎はそれを掴んで立ち上がる。
握っていれば温かくなるだろう。二人は手を繋いだまま、部屋に雪の上を戻り歩いた。
「徹夜ですかい?」
唐突な沖田の言葉に、隈でもできているだろうかと山崎は首を傾げる。
「そうですけど…」
「隊服。早起きしたからって、早々に着替えることないんじゃないかとね」
あ、と気付いた山崎は、くすぐったそうに笑った。そうだ、隊服。昨日の夜からの仕事がどうも片付かずに、そのまま朝を迎えたから着替えていない。そんなこと意識していなかったので、山崎はやっと納得した。
だから、黒猫。
笑いながら自分の姿を見下ろす。黒のズボンは雪が付いて、ところどころ白くなっている。
猫と自分と沖田の足跡のついた、もうきれいではない雪を踏みながら山崎は、そういえば、と自分にかけられた羽織を手に取った。隊服をきっちり着ている自分とは違い、この雪の中羽織を自分に渡してしまってはよほど寒いだろうと沖田を見る。
「これ、ありがとうございました」
「着てなせェ」
「でも、」
「いいから。それで、部屋に戻ったら熱いお茶を淹れてくだせェ」
真白な息を吐きながら、寒そうに首を竦めてそんなことを言う。山崎は言われたとおり羽織を肩にかけ、合わせをきゅっと握り、はい、と笑った。
縁側の窓をからりと開けて室内に入れば、とろりとした温かな空気が身を包んだ。羽織を沖田に返し、沖田の部屋でお茶を入れる。
太陽はもう昇っているようで、閉められた障子越しの光が眩しい。雪が光をはじいている。
もう少しすればみんなが起き出すだろう。そしたら少し眠ろうか、と考えながら、山崎は少しぬるめに淹れた自分のお茶を啜った。
そうだ。と思い至って、沖田を見る。すっかりお茶を飲み終わった沖田は、ぼんやりと光る障子を見ている。
「黒猫を、見たんです」
だから庭に行ったんです。白の中に黒い猫がぽつんと居てね、不思議でしたよ。
そう微笑む山崎に視線を転じた沖田は小さく笑って、山崎の髪についた小さな雪を指で払った。
「連れて行かれなくて良かった」