例えばの話。
寂しく思って目を細めればあの人は容易に気がつくのでしょう。
それが不快だとか、そういうわけでは決してないのにただ、どうも見透かされている自分が負けっぱなしのようで、悔しいと思ってしまう。何がそうさせるのか分からない。愛でしょう。そうやって彼は笑うはずだ。笑って目を細めてみせるはずだ。
蹴った小石がころころと転がって、水溜りに落ちた。はねる水が波紋を作る。
「山崎」
かけられた声に振り向くのを躊躇った。悔しすぎて。どうしてこんな、よりにも寄ってあなたのことを考えているときに。不満をぐっと飲み込んで、山崎は振り向く。わざと表情は取り繕わずに。拗ねる態度はよほど幼稚だ。気づいたときには遅かった。
「なーに拗ねてんですかィ?」
おかしそうに笑いながら首を傾げるこの人が憎らしい。
「沖田さん」
「はいよ」
「……の、せいです」
それは心外だ、と、笑って見せる声が明るい。色素の薄い髪がきらきらと光に透けてきれいだ。見るたびに思って、思うたびに気恥ずかしくなる。朱がさした頬に気づいたのか、沖田は再びおかしそうに笑った。
「非番ですかィ?」
「はい。沖田さんは?」
「夕刻から見回り」
それまで暇なんですが、と暗に含む言葉に、山崎は微苦笑する。
「お茶でも淹れましょうか?」
「いや、いい。何してた?」
何かおもしろいものでも見えるのかと山崎の隣に立ちきょろきょろとする沖田に、山崎は視線をさまよわせた。まさかここで、あなたのことを考えてました、だなんてことは、口が裂けても言えるはずがない。適当な言い訳も思いつかずに黙っていると、ぽんと軽く頭をたたかれた。
「困りなさんな」
「はぁ……」
曖昧に頷いて沖田を見た山崎は、あっと口を噤んだ。それに気付いた沖田は苦笑する。
「しまった、と思った?」
いいえ、とも、はい、とも言えずに、曖昧に首を振って唇を噛んだ。そんな山崎を、自分こそがまるきり困ったような顔をして沖田が見る。その視線をどうも受け止められずに、山崎はきょろきょろと地面を見た。答えなんて落ちているわけがないのに。
失敗した。困ってみせるべきではなかった。そして、しまったと狼狽を露にするべきでもなかった。どうして自分は。沖田が声をかける前に考えていたこと。どうして自分はこんなにも。こんなにも、
幼くてちっとも守れやしない。
ちっとも、気付けやしない。寂しいとか悲しいとか、いつだって後になって思い至るのだ。
すぐさま気付いて笑いながら柔らかく不安や寂寥を拭い去ってくれるその腕に、指に、笑顔に、声に。気持ちに。返せるものなど何一つ持っていやしない。
「やーまざき」
「…………」
「何でそんな顔するんでい?」
押し黙り俯いた山崎を覗き込んで沖田がひらひらと手を振った。何か言おうと口を開きかけ、それでも何も言葉が出てこず口を閉ざす、それをぱくぱくと繰り返す山崎の頭をふわりと撫ぜて、沖田は笑った。
「よしよし」
その声に言葉に、ぶわりと泣きそうになって、慌てて再び唇を噛んだ。こうして与えられる優しさに、自分は何を返せているというのだ。どうして。仕事なら真面目にできる。時折力が及ばず悔しい思いもするが、それでも、力になっているという自負はある。自分以外の誰かになりきることも、言葉で相手を誘導しそうとは気付かれず決定的な一言を聞き出すことも、できる。それなのに。それなのにどうして。
どうしてか、この人の前では、何もできない。
「……沖田さん…」
「ん?」
「………ごめんなさい」
謝るべきではないと分かっていて、謝ることしかできない自分に山崎はどうしようもなく悔しくなった。そんな山崎を見透かしたかのように沖田は軽く笑ってみせる。
「そう気にされると、ねぇ」
ごめんなさい。もう一度小さく呟いた山崎に、沖田は何も言わなかった。
沖田はどうしてだか、山崎の、困った表情が苦手だ。嫌いだと言ってもいいかも知れない。故意に困らせようとしたときでなく山崎が困ってしまうと、ああしまった、と沖田は思う。そしてそれを、山崎は知っている。
困った山崎を見たときに、沖田は、ふと寂しそうな顔をする。それに山崎は気付いているのだ。
好きだと言われて困った顔をする。触れられて困った顔をする。それを拒絶と受け取って、沖田は悲しそうに微笑む。それが痛くて、傷つけているというのが痛くて、そうではないのだと必死になる山崎に、沖田はいつも笑って答えた。分かってまさァ、そんなこと。それでも割り切れない。一瞬走る痛みを逃がせない。それを、知っているのに。
困りなさんな。そう言う沖田の顔が、山崎は嫌いだ。
自分の幼さ愚かさを見せ付けられているようで、大嫌いだ。
「…………すきです」
泣きそうになった声に慌てた。慌てて顔を上げたら、沖田が驚いたような顔をしていた。
「……珍しい」
返された言葉に顔がわずかに赤くなるのが分かる。本当に嬉しそうに笑った沖田は、子供にするような山崎を頭を二度ほど叩いて、ありがとう、と言った。
悲しいとか寂しいとか、全部気付いて全部取り除いて、守りたいのだ。この人が自分にそうしてくれるように。沖田を見ながら山崎は思う。
何にも傷つかないで。不可能だと知りながら切に願う。一人では傷つかないで。
「ちゃんと……」
呟いた言葉は風に攫われて消えた。沖田は不思議そうに瞬きをしたが、何でもありません、と山崎は笑ってみせる。風が冷たいので中に入りましょう。お茶を淹れます。夕刻までゆっくりしませんか。
そのうちちゃんと、気付けるようになります。寂しい悲しい苦しいを全部、誰よりも早く気付いて、取り除いてみせます。どうしてと聞かれたら笑ってみせます。
愛でしょう。今気付けないのはまさか愛情が負けてるだなんて、そんな意地悪は言わないで。