(眠い……)
春の日差しが暖かく窓から入り込んで、昼食後の教室に眠気を振りまく。
一番後ろの窓際という最も眠気を覚える席で山崎は必死であくびを噛み殺して、隣の席に座る高杉をちらりと盗み見た。
何の因果か席替えで隣同志になってしまった幼馴染のお兄さんは、憚ることなく机に突っ伏して眠っている。黒い髪が机の上にさらりと零れていて、それに触れたい衝動。耳にかかった眼帯の紐が鮮明な白で、山崎は視線を逸らした。
教室の前方では教師がぼそぼそとした声で教科書を読んでいる。生徒に聞かせる気があるのかどうかいまいち怪しいくらいの声だ。教室のそこここで、頬杖をついたり俯いたり、中には高杉のように机に伏せて眠っている生徒たちの姿。
(……ノート、取らなきゃ……)
眠たさでぼんやりとする目を擦って、山崎はシャーペンを握りなおした。黒板に書かれたこれまた生徒に本当に読ませる気があるのかと思うほど読みづらい文字を、懸命にノートへ写して行く。
自分ひとりなら別に、ノートなど放っておいて眠ってしまってもよかった。
けれど、隣で高杉がぐっすりと眠っているようなので、彼の為に山崎はノートを少しずつ埋めていく。
別に高杉に頼まれたわけではない。
むしろ高杉は、山崎がノートを渡すと少し嫌そうな顔さえした。
けれど。と山崎は溜息を吐く。
けれど、これは、自分の我侭だから。
(俺って健気だなァ……)
涙が出そうになるな。と、あくびを噛み殺して生まれた涙を拭って、ノートを埋める。その横で、高杉が顔も上げずに眠っていた。
――――――……
――――――――――――……
髪をつんと引っ張られる感覚。次いで、柔らかく頭を撫でられる感覚。
ぼんやりとした思考の中で、山崎は何とも言えない居心地の良さを覚える。
頭を撫でる手の暖かさが心地よくて、もっと撫でて欲しくなる。ぽやぽやとした感覚の中、撫でてくれる手に頭をこすり付けるようにすれば、優しい動きがぴたりと止まった。
窺うように経つ数秒。何故撫でることをやめてしまったのかと不満に思いながら、山崎は眠りと覚醒の狭間で遊ぶ。
撫でることをやめた手がそっと頭を離れて、残念に思うと同時に、今度は何かが頭に押し当てられた。
吐息が、間近にかかる。
「…………っ!」
ガタンと机が音を立てて、その拍子に筆箱がガシャンと机から落ちる。
がばりと身体を起こして呆然とする山崎を近くで見下ろして、高杉は「おはよう」と笑った。
その顔半分を、夕焼けが照らしている。
「え、……あれ……?」
きょろきょろと辺りを見回す山崎の代わりに、高杉がしゃがみ込んで落ちた筆箱とその中身を拾う。散らばった筆記用具を適当に筆箱の中に押し込んで、高杉はそれをずいと山崎に差し出した。
「あ、ありがと……」
「帰んねーの? 俺は帰りたいんだけど」
どこかぼんやりとしたまま高杉を見上げる山崎に、高杉は少し苦笑する。その言葉ではっと我に返った山崎は、もう一度辺りを見回した。
「え、え、授業は?」
「もう終わった」
「み、みんなは?」
「もう帰った」
「今、何時?」
「6時」
おろおろとする山崎の質問に一つひとつ答えながら、高杉はまたも山崎の代わりにノートや教科書を山崎の鞄に詰め込んでいく。これ持って帰んの? などという質問に頷いたり首を振ったりしながら、山崎は髪をかき回した。
「……俺、寝ちゃったんだ……」
「気持ち良さそうな寝息立てて思いっきり寝てたぜ」
「ノート取ってたのに……」
悔しそうな山崎の言葉に、高杉は先ほど鞄に投げ入れた山崎のノートを一冊取り出す。ぱらぱらと中身を見て笑った。綴られた文字が徐々に這うような字になり最後には力尽きたのであろう様子に、授業中の山崎の葛藤が見えるようだ。
「これ?」
「うん。高杉先……高杉に貸そうと思ってたんだけど。……ごめんなさい」
項垂れる山崎のつむじを見下ろして、高杉は目を細めた。ノートに視線を戻して、ぱらりと捲っていく。
「ふうん」
「ていうか、待っててくれてたんだね。ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいけど。……なあ、これ、借りてってもいい?」
「え」
ひらり、と高杉が振って見せたのは、途中で文字の途切れているノートだった。いいけど、と口篭って山崎は首を傾げる。
頑張ってとっては見たが、どこまできちんと文字になっているのか怪しいところだ。人に見せられるようなノートではないだろう。
「明日返すわ」
「あ、うん」
ノートを自分の鞄に仕舞い、チャックを閉めた山崎の鞄を投げ渡して
「帰ろうぜ」
促し教室のドアへと向かう高杉を山崎は慌てて追いかける。ところが教室を出る直前で高杉が突然足を止めたので、その背中に危うくぶつかりそうになって今度は慌てて立ち止まった。
「何? どうかした?」
忘れ物でもしたのかと机を振り返った山崎の後ろ髪を、高杉が一房掬った。
何事かと山崎が向き直るより先に、山崎の頭に何かが押し当てられる。
吐息が、熱が、近い。
「…………」
何が起こったのかと振り向き確認するより先に、山崎の視界に、夕焼けに照らされて伸びた影が映った。
自分の影と、高杉の影が、重なって、その光景に息を呑む。
吐息の熱と同時に影が離れて、振り向こうとして振り向けないまま俯く山崎の頭がぽんと優しく叩かれた。
「帰ろうぜ、退」
頷いて、深呼吸。山崎が振り向いたときにはすでに、高杉は廊下へと出ていて、何事もなかったかのように「早く」と一言山崎を急かした。
教室に、真っ直ぐ入り込んだ夕日が、長く黒く影を伸ばす。
振り向かない高杉の背中を追いかけながら、山崎は、先ほど熱が触れていた部分へそっと手を当てた。
それすらも、影に暴かれる夕暮れの中。
借りたノートを家で眺めてニヤニヤする高杉