黒い学ランから伸びる白い肌を、長い黒髪が隠している。
机にうつ伏せて高杉は、隣に座った山崎を盗み見た。山崎はそんな高杉の視線には気付かず、友人と楽しそうに喋っている。
「え、マジで!? それすげーヤバイじゃん!」
「そうなの、ヤベーんだって。で、俺すげー逃げてさー」
「うんうん」
「でもすぐ捕まったね。瞬殺だったね」
「マジで? 篠原すげー足速いのに、伊東先生どんだけだ」
「マジ焦ってさー」
友人の言葉に手を叩いて笑って、滲んだ涙を拭う。身を乗り出して驚いて、感心して大きく息を吐きながら背もたれに体重を預ける。
見ていてまったく飽きないが、それを観察し続ける自分の視線に一向に気付かないことが、高杉にとって大いなる不満だった。
山崎に近い方の左目は、眼帯が邪魔して使えない。視力の著しく低下している左目は、どうせ眼帯がなくても盗み見には使えなかっただろう。
うつ伏せていた身体を起こして、今度は右手で頬杖を付く。
少し身体を左側を向ければ、格段に山崎の姿が見やすくなった。
話がひと段落したのか、山崎は笑いすぎて溢れそうな涙を指で拭って、おかしかったーと笑っている。同じように呼吸を少し整えた篠原が、そういえば、と話題を変えた。
「全然話変わるんだけどさー」
「うん、何?」
「山崎ってさ」
ちらり、と時計を気にする。授業はもうすぐ始まる時間だ。言うだけ言っておこうかな、とでもいう風に何気なく、篠原は山崎に疑問をぶつけた。
「好きな人とかっていないの?」
ぴたり、と山崎の動きが止まる。
唇をかすかに上下に動かして、視線を左右にさ迷わせる。間を持たせるように零れた髪をゆっくりと右耳にかけて、そこで、再び動きを止めた。
まずは視線だけでゆっくりと。それから首を使って。右側をちらりと見た山崎は、そこで初めて自分をずっと見つめている視線に気付く。
高杉がにやりと口角を上げて、山崎が小さく唸った。
「俺もそれ気になるなー。退の好きな人って、誰?」
高杉の言葉に篠原が身を乗り出す。何々、好きな人いるの? と少し嬉しそうにして、山崎の顔を覗き込もうとした。山崎は高杉を睨みつけて、けれど何を言えばいいのか分からず口をぱくぱくと動かす。
その山崎の様子に何か楽しいことがあると直感的に気付いて、篠原が尚も問い詰めようと口を開きかけた。そのとき、
キーンコーンカーンコーン
「うわ、やべ」
間延びしたチャイムの音が響く。ガラリ、と開いた教室のドアから見えた次の担当教師である伊東の姿に、篠原は慌てて山崎の席を離れた。後で絶対教えろよ、と小声で言って去っていく。
その背中を見て、山崎はほっと溜息を吐いた。いつもの癖で右耳に髪をかけようとして、未だこちらから視線を外さない隣の席の人に気付く。
「…………」
「…………」
「…………いつから聞いてたんですか?」
「さあ?」
「…………」
「……なあ」
「…………授業、始まってますけど」
「なあ」
「…………」
高杉の声から逃げるように山崎は少し乱暴に教科書を開いてノートを開いて授業の準備をする。逸らされない視線から逃げるように、伊東の告げたページをぺらぺらと探した。
その間も、高杉は山崎の方を向いたまま、山崎を見つめた視線を逸らさない。
「退の好きな人って、誰」
決して大きな声ではない、山崎以外には聞き取れないような小さな声で、けれどはっきりと山崎の耳に届いた、低い声。
見つめる高杉の口角が上がっていないことに、山崎は気付いてしまう。
真っ直ぐに真面目な視線で見られていることに困惑して、山崎は眉を下げた。
その様子を、高杉は逐一観察する。
困って、視線をさ迷わせて、口を小さく開閉させて、筆箱を開けてシャーペンを取り出す手が少し震えていて。
「し、知りません……っ」
答えて、がばりと教科書を覗き込んだその首筋と耳が、赤く染まっている。
高杉は小さく肩を竦めて、そこでやっと山崎から視線を逸らし前へと向き直った。山崎があからさまにほっとして緊張を解く。
仕方なく広げたノートの隅に、高杉はシャーペンを走らせた。
白い部分に小さく小さく、決してきれいとは言えない文字で。
「…………まあ、いいか」
呟いて再び山崎を盗み見れば、何故かこちらを見ていた視線とかち合った。
目が合った瞬間勢いよくそらされて、その反応に思わず笑ってしまいそうになる。
「そのうちな」
自分で書いた小さな文字を消しゴムできれいに消してしまって、高杉はにやにやとした口元を隠しもしないまま黒板へと向き直る。
俺はお前が好きだけど。という告白は、やはり山崎が素直になるまで取っておこうと心に決めて、高杉はもう一度、顔を赤くしている山崎へちらりと視線を向けた。