弾痕
年末なので大掃除をしているが実はそんな暇な作業をしている余裕はない。山崎は眉をひそめてためいきをついた。
「もうよしましょうよ。きれいですよこの部屋」
畳に洗剤を吹き付け汚れが浮いた頃合で乾いた雑巾で拭き取る、というルーチンを小一時間は繰り返している上司に声をかけてみる。上司はひどい癇性で、人を手伝いに使うことはあっても肝心なところは自分で仕上げたいらしい。正直かなり面倒臭い。
「何言ってんだ口動かしてるヒマあんなら手ェ動かせ」
嵌め殺しの窓は外からも中からもぴかぴかに磨いた。障子は張り替えた。埃ははたいたしふすまだってはずしてふいたし、山崎にとって考えられるすべての掃除は終わっているのに上司はその斜め上くらいで何かしている。
「おれ仕事に戻っていいすか」
「これが仕事だろ」
「まじすか」
大晦日にテロ行為をたくらんでいる輩がいるとかいう情報が入ってきたので本来そちらで忙しいはずなのに、そうして上司は誰よりも仕事熱心なはずなのに今日に限ってまったく動こうとしない。
「お前アレ気にしてんのか」
「はい」
「世直しをしようって連中が人が平和に年越そうって日にテロやる意味がわからねえなあ。失敗しろ失敗」
「それはちょっとやる気なさすぎませんか副長として」
「うるせえよおれは今この畳にしみてるヤニが憎い。やることねえなら見てろバカ」
憎いも何も自分が吸った煙草の副産物だろうに。
そのまま上司は気のすむまで畳をこすり、あきらかに以前とは色が変わったのを確認してはじめて手を止めた。
「ハイ完了。片づけろ」
掃除は好きというか凝るが片づけには無頓着である。部屋に散らばった掃除用具を拾い集めていると自分だけ手を洗いに行ってしまう。
それでとおくから「やまざきィ、タオル」大声をだした。
「はいよ」
抱きかかえた用具をひとまず隅において立ち上がる。部屋のあちこちから中性洗剤のにおいがする。
自分の手もそうきれいではないので上司のとなりまでかけってから手を洗いハンカチで拭いて私室まで戻りタオルを持って戻った。
「お前のハンカチかしてくれれば済む話じゃね? 遅ェよ」
「それやったらどうせ怒るでしょ」
「まあな」
どうも機嫌がいいらしい。にやにや笑っている。
「もうちょっとさわやかな顔できないんですかァ」
「うるせえ戻る」
と言うので先に戻らせて自分では茶を入れて持っていくと上司は部屋の真中でたばこに火をつけたところだった。
「さっき『ヤニが憎い』って言ってたのに」
「ヤニが憎いんで煙は憎かねえんだよむしろ愛しいんだよ」
隣に座るとまだ頬を緩めている。そのうえ手をのばして前髪を触ってきた。
「なんすか」
「いやいや」
「なんですかって」
「ははは」
およそ無意味に笑っている。
「ちょっとそこのふすま閉めろ。障子も」
「なんでですか」
「さわる」
だらしない顔をしているな。と思う。満足しきった、無邪気な、なのにまだ何かを求める、求めるくせに労力は使いたくない、生き物のわるいところを集めた顔だ。
「だれかに見られますよ」
「そんなわけねえよ。緊急配備はすませた。出払ってる」
「なんでおれはここにいるんですか」
「年の瀬に死にたかねえだろ。いくらバカ犬でも」
この一瞬で失望しきっているのに山崎は笑おうとつとめたので、眉根を寄せたへんな笑顔になった。
「うそでしょ」
「配備は本当だ」
「おれが残ったのは」
「この部屋ん中の物をぜんぶ頭に入れてんのァおれとお前だけだからな。掃除はどうしても今日すませてえし」
それならすこしは意味がある。でもまだ眉が寄る。
「おれ今すげえ土方さんのこときらいだけど、それでもさわりますか」
「お前に意見をきいてもらえるような権利があると思うなよ」
ぺしんと額をはたかれた。山崎の気分はすこしよくなった。
*
土方はしつこい方なので山崎は畳の上に転がされて服を中途半端に剥かれ、ずいぶんと長い間、なでたり、くすぐられたり、こすられたり、噛まれたりしていた。どうしてこんなことをされているのだろうということについては考えないようにしているのでずっと天井を眺めて、眺め続けていると見える幻覚じみた光のゆらめきをみていた。
「あなたはおれにもっとつめたくすればいいと思うんですが」
これはやさしすぎると思っている。
たとえいまが冬でこの部屋に火鉢以外の暖房がなくてかっちり隊服を着ている土方はともかく自分はすごく寒くても、こんなふうにされるのは自分にはふさわしくないやさしさを行使されている気がして仕方がない。
「なんでこういうやりかたなんですか」
なんともこたえがかえってこないので、自分の胸の上にある頭をかるく押した。
「ねえ」
「何ぐずってんだよ。おれはおれのやりてえようにやってんの」
「だって最初のうちはもっとひどくしなかったですか」
「趣味が変わったんだ」
意欲を削がれたのか土方は仏頂面で起き上がり、自分で脱がせた上着を放ってきた。
「じゃあおまえが何かしろ。めんどくせえやつだなほんとに」
「えっとじゃあ、肩でもお揉みしましょうか」
「殺してえ」
けれど別に殺されもしなかった。
このひとはもしやおれをすきになってしまったのではないだろうかと、山崎は考えて、ぎゅっと一瞬目をつむった。
「あ、肩じゃなくて脚がいい。冷えると痛え気がする」
「はあ。揉んでいいんですかそんなの」
「いいんじゃね? 傷ふさがってっし」
軽く言っているが銃創である。しかも貫通している。
いつついた傷かは本人が忘れたふりをしているので指摘しないが、焦がれすぎてろくにさわれもしなかったほどの女が死んだ日にやらかしたもので、おそらく土方の精神にとっては非常にデリケートな問題を含んでいるだろう。
「まじすか……」
頭の悪そうな口調で山崎は反芻した。
「脚ってどっちでしたっけ」
「は? 真ん中」
「それは脚とか言うほど長くないでしょう」
「見たことあんのかお前」
「あるよ」
そういえば。という感じの、気まずそうな顔を土方はした。
「いやお前は全長は見たことねえよ。普段はベジータの尻尾みてえに腹に巻いてんだもんよ」
「や、それ面白くないです全然」
土方は喉の奥で笑ってスラックスをめくりあげ、肉が陥没しその上を皮膚でかろうじて覆った、爆ぜた記憶がなまなましい傷を露出した。
「えらいことになってますね」
「切り傷とは見た目がだいぶ違うよな」
「そういえばおれの刺し傷、見た目わりと大丈夫ですよ」
「刺したやつがうまかったんだな。昔ブラックジャックでさあ」
「刺青の入った皮膚を繊維に沿って切って手術痕が残らなかった話がありましたよね」
「天才じゃんお前。そうそれ」
「ありがとうございます恐れ入ります」
「あいつ医者とかなったほうがよかったんじゃね?」
「バカそうだったし無理っすよ」
お前そのバカにこてんぱんにやられてんじゃねえかよと言ってなお機嫌はわるくなさそうなのが不可解だ。
へらへらしながら数十分吸わないでいたたばこを一本とりだした。
「あっ」
「なんだよ。煙は憎くねえんだって」
「じゃなくて、体にわるい的な感じで」
ときどきものすごく、喫煙が体にわるい気がしてくる。一般的に言われているよりもずっとつよいはやい作用がある気がしてならないときがあり、強迫的に、土方に禁煙させなくては! という信念にとらわれる。
「たばこ吸うと死にますよ」
「それもうパッケージに書いてあっから」
「即日死にますよ」
「……えっ何そんな? 食っても死なねえかもしれねえくらいニコチン摂取してっけどふだんから」
「いや死ぬやめて」
「なんで片言。お前がいま一本とめても5分後にお前を追い出して吸うだけなんだけど」
そうか。と思うが口がとまらないので「土方さんが死ぬとかおれどうしたらいいんすか」訊いた。
「おれにきくなよお前の人生だよ。っつか何? いやがらせ?」
「いやがらせじゃないっすよ。たばこやめてください」
「無理」
即答だ。当然かもしれない山崎にだってわけがわからない。
「お前のそれは何なんだ毎度毎度。ほら脚揉め。冷えた痛い」
「はい……」
消沈しながら硬い脚を揉んだ。骨と筋肉と皮でできているなあ。という気がする、たしかな生き物のパーツである。
「最近よ、走ると息きれんだよな。攣りそうになるわ」
「たばこやめたほうがいいっすよ」
「またそれかよ。んでな、攣りそうなのはふくらはぎとか腿なんだけど、事前によく揉んどくと大丈夫ってことが判明したんだ」
「てことはこれから仕事行くつもりなんすか」
「そらそうだろうよ。他のやつ働かしといて自分で行かねえとかないだろ」
「えっじゃあ土方さん死んじゃう」
拳固で頭を殴られた。
「どうあってもおれを殺してえらしいな」
「そうじゃないんですけど、そうなったらどうしたらいいのかなって」
土方は奥二重の目でやぶにらみ気味に山崎を見ながら意外なほど真面目にこたえた。
「近藤さんが生きてたら近藤さんに訊け。近藤さんもいなかったら総悟に訊け。総悟もダメだったら組のことァ忘れろ」
「はい」
忘れるというのはどういう方法をもってそうするのだろうと山崎は考えた。筋にへんな力をかけてしまったのか、土方が顔をゆがめた。
「お前な、口で抗議しねえで体にゆうこときかすのはよくねえよ」
「すいません」
「わかりゃいいけどよ。で、お前はいろいろ不満だと思うんだけど」
「なにがですか」
「おれもお前も女じゃねえから何の約束ができるでもねえし、忘れろ。としか言えねえこととか」
「……いえ」
もういいという手振りをされたので脚から手をはなした。女はここで泣けて自分のきもちを開放できるだろうからきっと楽だなと考えて気をまぎらしている。
「ただ、お前も女でも子供でもねえんだから、人ひとりいなくなるくれえで『どうしていいかわからねえ』なんて言うな」
「すいません」
人ひとりいなくなるなんていう素っ気ねえ言い方もどうかと思うが、山崎にとってそれほど軽い意味ですまないことがさらにどうかと思う。著しく常識や人としてのあたりまえの営みからずれている。
年もいくらも離れていない、頭だってさほどよくない、人を引っ張る力はあるがあくまで仕事上のもので人間性は最悪だ、なんだってそんなものをこうまで思い込んでしまったろう。
「でも土方さんは、おれには……」
続きはどうにも思い浮かばず、そもそも言葉にしてしまうことじたいがひでえ罪悪のように感じた。
黙ったままでいると、薄気味悪い思いでもしたのか、土方はすこしばかり沈んだ声で
「おれがいなくなったらお前はとりあえず女さがせよ。お前の血が途切れんのァ勿体ねえ」益体もないことを言った。
いてもさがせとは言わないのが土方らしい。見つめあうというよりかにらみあいながら「ひとでなし」「ばか犬」どちらからともなく詰りあった。
「おれが死んだらお前も死ねって、言いなよ」
土方の唇がひくりと動き、山崎はしばらくそこから望んだ言葉がでてくるのを待ったが、ああっと一言うめいたあとにいつもどおりに罵倒されて頬をぶたれた。平手だったのが気持ちがわるい、山崎は女でも子供でもないのに。
*
ところでその年末はだれも死ななかった。
土方は年明け二日目までたばこの本数を減らそうとしていたようだったがすぐに忘れた。
山崎の不安もいつかうすれてしまった。また次に発作のような波がくるまでは穏やかにしていられるだろう。
念入りに掃除をされた部屋で殴られて畳に頬をこすりつけられるたびに、揮発しきらない洗剤がちりちりと肌を刺す。ひとつきもすればまたヤニがしみつくはずなのに。
ほんとうにあとひとつきも自分は世界を失わずにいられるのか?
肝心なことは考えないようにしている。麻痺したように、安穏としている。うすい皮膚で傷を覆い隠したあの銃創にもあるだろう、にぶい、間断なくつづく痛みを無視して、のたりとした、やすらぎに似た何か。
おにさんこちら!の赤井さとり様より頂きました。88888hit記念リクエスト企画の際に、リクエストさせていただきました。
山崎のことが無意識に大切な土方さんすごく萌える。土方さんがいないと少しも生きていかれないだろう山崎もすごく萌える。そんな山崎のことをちっとも知らず、無意識に大切すぎて死ぬときだってちっとも連れて行く気がない土方さんとかすごい、いいと、思います!
転載許可ありがとうございました!