もし許されるなら告げてしまいたいがそんなことしたら今楽しいのが全部終わってしまうということもわかっているので、どうにも。
(片恋が一番楽しいっつうのは、本当だなぁ)
がやがやと騒がしい食堂で漬物を食べながら山崎はぼんやりと考えごとをしている。先ほど、十番隊隊長が最近気になる花屋の娘のことで相談だかなんだかを話しかけてきたようだったが、自分の考えごとに忙しくて無視していたらいなくなった。ちょっとかわいそうなことをした。今度話を聞いてやろう。ついでに飯でも奢らせよう。
考えごとの先の人は、春の香りの筍ご飯にマヨネーズをぶっかけて近隣の隊士から迷惑がられている。
(あ、)
マヨネーズのかかった筍ご飯を豪快にかっくらうその姿を見つめたまま、箸を置き山崎は立ち上がった。目を離さないでいるせいで他の隊士にぶつかって、ちょっとごめんね、という間も目を離せないのはもう呪いではないかと思う。
見つめたまま近付いて、
「ふくちょお」
声をかければ顔をあげた土方が、唇についたマヨネーズをぺろりと舐めて眉をあげた。
(わあ、卑猥)
「あ?」
「お食事の後って、部屋に戻られますか」
「ああ……戻るけど」
「わかりました」
ぺこり、と頭を下げて踵を返した山崎に、近隣の隊士が胡散臭げな目を向ける。だが山崎は気にせずにそのままぱたぱたと部屋に戻り、土方だって特に山崎を引きとめたり疑問を投げかけたりはしなかった。
(こういうのが、一番いい)
楽しいなぁとか、嬉しいなぁとか思うのはこういうときだ。
俺だけがわかってるし、それをちゃんと、土方さんも知ってくれてる。
そういう特別感さえあれば、別にいいなぁ、と思っている。
部屋に戻り薬箱をひっくり返して白湯を用意し、山崎は頃合いを見計らってゆっくりと土方の部屋へ向かった。
土方はちょうど部屋に戻って来たところらしかった。
換気のために開けていた窓を閉めたばかりだったようで、部屋はうっすらと寒い。失礼します、と室内に踏み入り、部屋に置かれた卓袱台の上に山崎は用意してきた薬と白湯を並べた。
「はい」
「悪いな」
「いいえー」
山崎の用意した胃薬を土方が箱から出す間に、いい感じにぬるくなった白湯を湯呑みに注ぐ。薬を口に含んだのを見計らって手渡して、机に放られた薬のごみを丸めて捨てる。ごくり、と湯が飲み干される音を聞きながら、山崎はうっかり緩みそうになる口元を押さえた。
(うん、こういうのが、いい)
頼られてる感じ? 任されてる感じ? 何も言わずに察して動けちゃう俺ってかっこいい、みたいな?
他の誰にもできないだろう俺だけが、という、一種の優越感だ。
空になった湯呑みに、今度は別に用意していた茶を注ぐ。
「何か悪いもんでも食べましたか」
「いや。つうか最近食ってねえ」
「え、そうなんですか?」
「そうなんですかって。俺が最近食堂行ってねえことくらい、見りゃわかるだろ」
「そりゃ、見かけないなぁとは思ってましたが、外で食べて来られてるものだとばかり」
「連れ出された酒の席で飯なんて食えるかよ」
「締めのラーメンとかないんですか」
「締める頃にゃ酔っぱらった馬鹿どもを送り届けるので精一杯だ」
帰ったら仕事が待ってるしな、と苦々しく言いながら、土方は煙草に火を付ける。山崎は勝手に用意した自分の湯呑みにも茶を注いで、土方が煙を吐き出すタイミングで一口喉を潤した。
「すみません」
「ンでお前が謝んだよ」
「いや、お帰りのときに何か軽いもんでもお持ちすればよかったですね、と思って」
「まったくだ。使えねえ」
「すみません」
「だいたいおめえは詰めが甘えんだよ」
俺は熱い茶の方が好きなんだ、と白湯同様にぬるくなった茶を飲み干して、土方は眉間に皺を寄せる。
「はあ、すみません。俺が猫舌なので」
「何でてめえの都合に俺が合わせなきゃなんねえんだよ」
「一緒に一服したいな、とか」
「うわーうぜー。何こいつ。使えねえ」
「すみません」
軽く頭を下げれば、煙草の煙を吹きかけられた。目と口の中に直接入って、思わず咳き込む。
「吐くなよ」
「……吐きません、けど、調子悪いなら煙草控えたらどうです」
「調子悪ィから吸うんだろーが。馬鹿か、お前」
「いや、頭いいです」
「死ね。馬鹿が。何で分かった」
「はい?」
「不調だって」
「ああ、あの、マヨネーズの、」
そこまで喋って、山崎ははたと口を噤む。
「……何だよ」
「いやぁ、ははは」
飯にかけるマヨネーズの分量がいつもより少なかったからです、なんて言ったら、いつも見てます観察してますって言っているようなものじゃあないのか。それって気持ち悪くないか、さすがに。
それともあれか、好きだからです、とかいうところかな、ここは。
考えながらちら、と盗み見れば、土方は二本目の煙草に火をつけるところだった。
「……吸いすぎです」
「関係ねえだろ、てめえには」
「関係ありますよ」
「何で」
「え、だって、」
「つうか、答えまだ、聞いてねえけど。何が理由で気付いたよ」
俺そんな顔色悪いか? と言って、土方は顎の辺りをつるりと撫でる。普段から顔色がいい方ではないので、不調だからと言って顔色でわかるような質ではない。けれどこの際そういうことにしておこう。
「ええ、まあ、そんなとこです。寝た方がいいっすよ、実際」
「じゃあ俺の仕事てめえが代わりにやってくれんのか」
「できることがあるなら、そりゃ手伝いますけど」
「ねえよ、馬鹿。馬鹿に任せられる仕事なんてあるわけねえだろ」
使えねえなぁ、と煙を吹きかけられ、すみません、と謝る他ない。
「まあいいや、布団敷け」
「はいよ。風呂は」
「いい。マジでだるい」
「大丈夫っすか。体拭きますか」
「いい、いい。朝適当にすっから。さっさと布団敷けよ」
「はい」
言われるままに立ちあがって、押し入れから布団を出しばさばさと定位置に敷く。枕をきちんと置き終わって顔をあげた山崎は、ずっとこちらを見ていたらしい土方の視線とかち合って、少なからず動揺した。
「な、なんです……?」
「体拭けっつったら、拭いてくれんの?」
「え、あ、拭き、ますけど」
「ふうん」
「拭きますか……?」
「一緒に寝てくれっつったら、寝てくれんの」
「は、……はあ?」
吸い終わった煙草を灰皿でもみ消し、立ちあがった土方が一歩、二歩、山崎に近づく。反射的に後ろに下がれば、腕を掴んで引き寄せられた。煙草の匂いが近くなる。
「え、え、え、ふくちょお……?」
「お前、俺のことほんっとに好きなのな」
表情一つ変えずにそんなことを言われて、この状況で、うろたえるなと言う方がどうかしている。
山崎は土方の鋭い視線から逃げようと身を捩り、もがいて、ずるりと布団の上で足を滑らせた。どん、とそのまま倒れるのに、山崎の腕を握ったままの土方も付いてくる。
「あ、あの、ふくちょ、」
半ば押し倒されるような形になった山崎の唇に、土方の指が軽く触れた。
心臓が跳ね上がる。息の仕方を一瞬忘れる。
「俺が好きか」
「え、あ、あの、……そ、」
「あ?」
「そ、尊敬、してます。もちろん」
乾ききった喉を何とかして潤したいのに、口の中まで干上がって叶わない。
殴られるだろうか、怒られるだろうか、つうかこの状況はそもそも何だ? 何が正解なの? どうなってんの? 焦る山崎の腕から、するりと土方の腕が解かれた。
(あ、……)
一瞬、惜しい、と思ってしまう。
「ふうん。あっそ」
山崎の手を掴んでいたその手でがしがしと頭をかいて、土方は山崎をしっしと追い払った。
「邪魔」
「あ、はい、すいません」
「俺ァ寝る。片付けてけよ」
「はい、おやすみなさい。お大事に」
「ん」
ごそごそと布団に潜り込む土方から山崎はそうっと離れて、手早く湯呑みや急須などを纏めると逃げるような速さで土方の部屋を後にした。逃げるようにというか、逃げたのだけれど。
(やばい、やばい、やばい、何だあれ!)
ほとんど走るような速さで廊下を歩いて部屋に飛び込み、ずるずるとその場に座り込む。
唇に触れる。熱い。指の感触を思い出して顔が熱い。近かった煙草の匂い。声。
(う、わァ……)
顔を押さえてごろんと横になる。畳の冷たさが火照った体に気持ちいい。深呼吸。
「……何だあれ、俺のこと、すきみたいじゃん」
口に出したら余計に恥ずかしくなって、顔を押さえて山崎は低く唸った。苦しい。恥ずかしい。嬉しい。楽しい。何だったんだあれ。
俺が好きかと聞いた、低い声。
「……好き、です。俺は、副長のことが、」
好きです。
もし許されるのなら告げてしまいたいが、許されるなんてことないのだ、きっと、絶対。だって土方は普通に女が好きだし山崎だって本来なら女の子の方が好きだ。基本関係は上司と部下だしそうじゃなくたって主君と家来だ。調子に乗って告げようものなら引かれて、嫌われて、捨てられてしまうに決まっている。
(今くらいが、一番、ちょうどいい)
副長って俺のこと好きなのかなあ! と、はしゃいでいられるくらいの距離。
目を閉じて、唇に触れてみる。唇に触れた指が、熱かったなと思い出す。
調子が悪いと言っていたから熱でもあるのかも知れない。明日朝一で様子を見に行かなければ。冷静に考えながら頭の半分はぐるぐる、ぐるぐる。
好きですと素直に答えていたらそのあとどうなっただろうか、という、現実には到底ありえない妄想劇場を、繰り広げ、繰り広げ、まだ少し顔が熱い。