いつものように酔った勢いで「生まれ変わっても俺はお前を好きになる」だなんて言うから、どうせまた妙に甘い映画でも見てきたんだろうと呆れながら、幸せすぎて泣きたくなった。
左肩を中心とした上半身、そして頭に巻かれた包帯が白すぎて目に痛かった。
山崎は掌の柔らかい場所へぎりぎりと爪を立てながら目前の布団に柔らかく横たわる人を注視する。ぴくりとも動かないように見えるその体でも、じっと見ていれば胸がわずかに上下しているのが見て取れた。呼吸をしているのだと、それでわかって安心をする。
それでも時々不安で堪らず、そっと顔を近づけて呼吸の音を聞いた。心臓の音が一番聞きたかったが、胸の傷に障ると思えば出来なかった。
三日。もう三日も、土方の意識が戻らない。
「……ばか」
呟いてみても、怒鳴り声は返って来ない。殴る拳が飛んでこない。
「……アンタ本当に、大馬鹿もんだ」
吐き捨てるように言うのに怒られないことが辛くて、山崎はきつく目を瞑った。掌の肉が裂けるのではと思うくらい強く爪を立てれば、傷めた右腕がわずかに痛んだ。
本当は、今ここで眠っているのは自分のはずだった。
もしかしたら眠っているでは済まず、すでに死んでいるのかも知れなかったけれど、深い傷を負っていたのは自分のはずだった。
避けられない間合いだった。刀は、すでに死骸となった男の身体に刺さったまま抜けなかった。逃げようか刀をどこかから奪おうか、その判断が一瞬遅れた。
だからもう死んだ、とそう思ったのに。
「副長のバカ」
土方が守った。庇うようにして刀を差し込んだ。山崎に刀を向けていた男は土方の刀によって切り伏せられたが、それより先に土方と対峙していた男が土方の背を狙う形になった。
山崎の手には刀がなかった。たった今土方に斬られた男の手から刀を奪い、振り上げたときには遅かった。
斬られ、倒れた土方はそのままコンクリートの角で頭を強打する形となった。斬られた左肩からと、黒い髪の間から流れる赤だけが記憶に焼きついて離れない。
そしてそれから土方は、三日間ずっと目を覚まさない。
「……なんで俺なんか庇ったりしたんですか」
土方の傍にずっと付き添いながら何度か口にした恨み言を山崎はまた空に漏らす。
返る言葉のないことに苦しくなるなら喋らなければいいと分かっているのに、沈黙の苦しさにまず負けてしまう。
「ひじかたさん」
僅かに上下する胸元から目が離せない。
生きているのだと、確認せずにはいられない。
胸元を見ていれば、着物の隙間から見える包帯の白が目に痛かった。
と、そのとき、一定の間隔で上下していた胸が、一度大きく膨らんだ。
山崎は目を見開いて、土方の顔に視線を転じる。
ぴくりとも動かなかった瞼が小さく動いて、睫が震えるのが見て取れた。
「土方さん!」
名前を呼べば、ぴくぴくと動いていた瞼がゆっくりと、今度は目を開く方向へ動く。
ぼんやりと天井を見つめたその眼球がちらと動いて、山崎の上で焦点を結んだ。
「あ……きょ、局長! 沖田さん! 土方さんが……!」
声が上ずって変に掠れた。そんな自分を不思議そうな色で土方が見ている。
土方の黒い双眸に自分の姿が映っている。それだけの小さなことで、山崎は呼吸の仕方を忘れた。
何か言わなければ、と考えを巡らすが、頭の中で言葉を作るばかりで一つも声になって出てこない。
バカですか。とか。
どんだけ心配したと思ってるんですか。とか。
アンタが俺を庇ってどうするんですか。とか。
お加減如何ですか。とか。
どこか気持ちの悪いところありませんか。とか。
生きててよかった。とか。
ありがとうございます。とか。
何から言えばいいのか分からない。名前を呼ぼうかと思っても、上手く唇が動かない。土方はじっと山崎を見つめて、それから少し居心地が悪そうに身じろいだ。身体に痛みが走ったのか、少し顔を顰めた。
「だ、」
大丈夫ですか、とやっと言葉にするより先に、さ、と音をさせて背後の襖が開いた。
「おや、やっと目が覚めましたかィ。そのまま死んどきゃよかったのに」
気配もさせずやってきた沖田が、意識を取り戻した土方を見て安堵の溜息を零した後軽口を叩く。いつものように死んどきゃよかったのにと言った後、少し気まずそうな顔になって山崎を見た。
「悪ィ」
「いいえ」
山崎の心痛を知っている沖田が、いつもと違いしおらしく謝罪をするので、少し緊張が解けて山崎は小さく笑う。その笑顔にほっとした沖田は、今度は厳しい顔になって少し青ざめた山崎の顔色を窺った。
「山崎ィ、お前もう寝ろ。な。ここんとこ全然寝てねェんだろ」
「はぁ。でも一応職務中なんで」
「バカヤロ、お前、職務中も何も仕事与えるはずのヤツが三日も寝こけてたんだ。その間一睡もしてねェお前が、今から寝たって構うもんか」
「でも、」
「安心したろ、とりあえずはさ。おい土方コノヤロー。コイツはテメェが眠ってる間ずっとテメェに付いてたんですぜ。感謝の言葉くらい述べてみろってんだ」
労わるように山崎の頭に触れて言った沖田の言葉に、しかし土方は眉を寄せた。
「おい総悟、誰だそいつ」
「はあ?」
やっと喋ったその言葉に沖田は耳を疑って素っ頓狂な声を上げる。
「何ですかィ、照れてんのかよ気持ちワリーな」
「何言ってんだァてめぇは。うちにそんなヤツいたか?新入り?つーか、俺何でこんな怪我してんだ。お前の仕業か総悟」
「何でィアンタ、寝ぼけてんですかィ」
呆れたような沖田の言葉に山崎も納得して苦笑をする。あまりに長い間意識を失っていたのだ。いろいろ混乱しているのだろう。
しかし続けられた言葉に、その苦笑も引き攣った。
「お前、何でそんなゴテゴテした格好してんだ。仮装大会でもあんのか?」
その言葉に山崎は沖田を見る。沖田も自分の姿を見下ろした。隊服だった。普通の。毎日着ている、見慣れ過ぎた幹部服だった。
確かにゴテゴテしてるなぁ、と山崎は止まる思考の片隅でぼんやり思う。
自分の姿を確認した沖田はわざとらしいほどゆっくりと顔を上げて、不機嫌そうな顔のまま横たわっている土方を見て、それから、隣で表情を硬くしている山崎を見た。
「総悟?」
重ねられた疑問系に、もう一度首を巡らして土方に視線を合わせる。
「山崎が今にもぶっ倒れそうな顔してんのにそんな冗談言うような最低野郎じゃないと思ってたんですが、買いかぶりだったんですかね」
「はァ?」
「それとも」
そこで一旦言葉を切って、沖田は土方を真っ直ぐと見る。
正確には、その頭に巻かれた真っ白な包帯を。
「まさかとは思うけど、アンタどこまでベタなんですかィ死ねよコノヤロー」
山崎は、妙に真面目な顔をしている沖田を見て、それから沖田に何か言い返そうとしている土方を見た。
何か言いたいが、口が少しも動かない。
妙に硬い空気が漂う中バタバタと廊下を駆ける大きな音がして、続いてすぱんと勢いよく襖が開く。何故か固まってしまった身体を不自然に動かして山崎が後ろを見れば、余程急いで来たのか肩で息をしながら、今にも泣きそうな勢いで近藤が土方を見つめているところだった。
「トシイイイィィィ! 無事だったか! よかったよかった!」
大きな声でそう叫んで、部屋に入った近藤は土方の横へどかりと座る。嬉しそうに何度もうんうんと頷く近藤をじっと見つめ返した土方は、心底不思議そうにこう言った。
「アンタ、何でいきなりそんな老けたんだ?」
感涙に咽んでいた近藤は固形物を喉に詰まらせたみたいな変な顔をして、聞いていた沖田は深く大きな溜息を吐く。
山崎は呼吸の仕方をすっかり忘れ、吐いた後は吸うんだっけ、どうだっけ、などと考えながら、硬くなった表情の中唯一自由になる瞼で、大きくぱちりと瞬きをした。
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