君は野に咲くあざみの花よ





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 自分の身体の上に覆いかぶさるようにして腰を振る男を、山崎は冷ややかな目で見ていた。
 腰を振りながらの視線が絡まりそうになったので恥らう振りで瞼を伏せる。頬を指でなぞられ目を開けるよう促されたので、ゆっくりと瞼を開いた。先ほどまでの冷ややかさをすっかり押し隠し、眼差しに浮かべた熱に男は満足そうに唇の端をにやりと上げる。赤く染まった目尻に浮かぶ涙を拭って、それから再び無心に腰を揺らし始めた。
(単純だなぁ……)
 山崎が思うとほぼ同時、男が息を呑むのが分かる。それを確認して、山崎は畳に投げ捨てられた簪に手を伸ばした。指先だけでカチリと操作をして、手の中に隠すようにする。甘えるように腕を伸ばして、男の首筋にその簪を当てた。
 瞬間、男の身体が弛緩する。
――――――ッ!」
 それと同時に山崎は素早く、簪の中に仕込ませた刃を男の首に埋め込んだ。
 刃の埋まる傷口を抉るようにして手首を回転させ、腕を引く。
 噴出す鮮血が、山崎の手と頬を濡らす。
 どさり、と落ちて来た男の体を蹴り上げて、山崎は億劫そうに身体を起こした。
 剥かれ投げ捨てられた自分の着物を手繰り寄せ、その内側に縫い付けられた袋から小さな録音用の機械を取り出す。きちんと動いていることを確認してから録音を停止。元のように袋の中にそれを戻して、山崎は身体を清めるために部屋に備え付けられた浴室へと向かった。





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「十日、二十時より那須野屋、扇の間。人数は八人。いずれも過激派です」
 山崎の報告に顔を上げた土方は、咥えていた煙草の灰を灰皿に落としながら紫煙を吐き出した。
「ご苦労だった」
 労いの言葉に、山崎が頭を小さく下げる。
 畳の上に置かれた報告書に手を伸ばして、それをぱらぱらと捲った土方は詳細に綴られた内容に薄い唇の端を引き上げた。
 密会の場所に始まりその目的、具体的な浪士の名前とその特徴。予定される退路と、手助けをする仲間の有無まで。報告書には丁寧に調べ上げたことが記載されている。
 未だ長い煙草を灰皿に押し付け、土方は報告書を閉じた。軽く視線を落としたまま座している山崎を、指先を動かして呼ぶ。
「何でしょう?」
 不思議そうに首をわずかに傾げた山崎の髪が、隊服の上をながられて微かに音を立てた。
 膝をすっと滑らせて近づいた山崎の頭に、土方は手を乗せる。髪をぐしゃぐしゃと掻き回すようにして頭を撫でられて、山崎が身を引きながら抗議の声を上げた。
「ちょっ、副長! 痛い、痛いですって!」
 何なんですか、と軽い悲鳴のように問う山崎の頭を乱暴に撫でたまま、土方は満足そうな笑みを浮かべている。
「よく調べてあるから褒めてんだ。喜べ」
「喜べっ、ませんよ! ちょっと! マジで痛いって!」
 土方の指が髪を縺れさせて、しかも縺れて絡んだままの髪を引っ張るようにするものだから山崎としては堪らない。かと言って上司の手を叩き落すこともできず、山崎がされるがままで眉根を寄せると、やっと土方の手が浮いた。
 離れる寸前、今まで乱暴に掻き乱していたその髪を、柔らかく梳くようにして撫でる。
「今日の午後と、明日は非番だ。ゆっくり休め」
「ありがとうございます」
 下がった山崎の頭に、ぽんと軽く掌が乗る。
「無理はするな」
 柔らかい声音が耳に届いて、山崎はこそりと唇を歪めた。
「……大丈夫です。無理など、しませんよ」
 顔を上げて、笑みの形に顔を崩す。それでは失礼します、と挨拶をして、すっと立ち上がる。立ち上がり、ああ、と思いついたように声をあげた。
「非番なら、買出しにでも行きましょう。マヨと煙草と、他に何かありますか?」
「お前なぁ、それじゃ休みになんねェだろうが」
「何気持ち悪いこと言ってんですか今更」
「あァ?」
「特にないなら、マヨと煙草だけ買ってきます」
 では、と勝手に言い置いて退室しようとする山崎の背に声が掛かる。何ですか、と首だけで振り向けば、土方は眉間に皺を寄せていた。
「……無理すんじゃねェぞ」
「だから、無理などしませんってば」
 俺は仕事熱心な方じゃないですから。笑って、山崎はそのままするりと副長室を出た。

 青い空の眩しさにちょっと目を細めて、眠たいなァ、と呟く。
 眠たいけれど、このまま部屋に戻って眠ってしまうのが怖かったので、自分で言い出したとおり買い物へ行くことにした。眩しい空の下で江戸の汚れた空気をいつものように胸いっぱい吸えば、収まるはずだ。いろんなことが。
 小さく駆け出して山崎は唇をきゅっと閉じた。

(アンタの為にすることに、無理なんてことありゃしません)

 報告書をまとめる間、ずっと聞いていた音がまだ耳に残っている。
 密会の話や仲間の話の合間にある熱っぽい言葉や、自分の甘ったるい声や、荒々しい息遣いや、自分の甘えるような言葉や、卑猥な言葉や、それによがる自分の声や、そんなものが。

(……無理なんてこと、何一つない)

 それでも部屋に戻るのが怖いので、やはり山崎は、唇を僅かに噛んだままぱたぱたと屯所の廊下を気配を殺さず駆けた。頭にまだあたたかな掌の感触が残っているようで、首を振って落とそうとした。



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