監察というのは、人に嫌われる職業だ。人に嫌われるのも仕事の一つ、と言ってもいい。
狗のようにこそこそと人の身辺を嗅ぎ回り、秘密を暴きたて、時には相手を痛めつけてでも人の暗い裏側ばかりを欲しがる。そういう職だから、仲間と呼べる仲間はいないと言っていい。同じ監察同士であったとしても、決して仲間ではない。監察同士とはつまり、互いに監視し合い何かあれば密告し合うような、最悪の関係だ。常に相手の暗い内を暴ける隙を窺っているようなものだ。
そう山崎は思っている。
中には、器が大きいのかそれとも単に頭が悪いのか、山崎が監察だということを気にせず付き合ってくれる者も、いるにはいた。沖田であったり、原田であったりがそうだった。特に沖田などは、何が気に入ったのかころころと山崎に懐いていた。山崎も人の子なので、好かれれば嬉しい。自然、彼らといるときにはよく笑った。
だが、それだけだ。好かれれば嬉しいが、別段好かれずとも構わない。好いてくれる分に拒絶はしないが、無理に好かれようとは思わない。そういう職だ。そういう立場だ。
狗には、主がいればそれでいい。
そう思っていた。
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捕り物は、短時間で終わった。
日時場所人数だけでなく、実際の人名や退路予測まで付けていたのだ。それで捕り逃せば、真選組の名が廃る。加えて「ここ最近暇で腕が鈍っていけねェや」と沖田が立候補したので一番隊が中心となって立ち働いた。たった八人、これで挙げられないわけがない。
血の匂いのする隊服を脱いでさらりとした単衣に着替えた沖田は、山崎の淹れたお茶を一口啜って、こき、と首を鳴らした。
「疲れた」
「お疲れ様です」
にこにこと笑いながら、山崎は沖田の湯呑みに茶を注ぐ。山崎の部屋には、沖田の湯呑みやら沖田の皿やら、果ては沖田用のお菓子まで常備してあった。それだけ沖田が山崎の部屋に遊びに来ることが多いということだ。しばしば、サボリの場所にもなっている。ので、しばしば土方が怒鳴り込みに来ることもあるが、狗だ何だと忌み嫌われている山崎も余程沖田が可愛いのか、甘やかして匿ってやることがよくあった。
「素晴らしいご活躍だったそうで。見れなかったのが残念です」
自分用に注いだお茶を一口飲んで、山崎がにこにこと言う。沖田は賛辞に軽く肩を竦めて、湯呑みに残った茶を一気に飲み干した。
「あんなの、面白くもなんともねェや。もうちょっと骨のある抵抗見せてくれたら遊びようもあるってェのに、結局すぐに斬られちまいやがる」
「そうですか」
「お前の持って帰った情報が、優秀すぎるのも原因でさァ」
沖田は少し恨みがましい目で山崎を見て、しかし渋面を保てずすぐに噴出す。悪ィ悪ィ、と悪びれもなく謝った。
「でも、何か味気なかったのはマジですぜ」
「まあ、そうでしょうねぇ」
「何か知ってんのかィ?」
「知ってるというか、はぁ、まあ」
山崎は言葉を濁して、どこまで言ってもいいのかなぁと虚空を眺める。守秘義務、というものがある。山崎は真選組の隊士であって、隊士でないようなものだから、如何な仲間であって一番隊長であって仲良しであるとは言え、どこまで漏らしていいものやらわからない。
わからないが、山崎は基本的に口が軽いのでこうしてぽろっと零してしまうことがある。いけない癖だな、とは思っているのだが。
「……まあ、きっとそのうち、いいことがありますよ」
結局そう誤魔化して笑った山崎を問い詰めることなく、沖田は「ふぅん」とだけ言って、小さく欠伸をした。
「山崎の話は、信用できるからなァ。大人しく待ってまさァ」
適当なことを言って、その場でごろりと横になる。ええ寝るんですか、と少し慌てた山崎に、ちょっとだけ、とか何とか言って、沖田は結局寝息を立て始めてしまった。
仕方ないなあと山崎は溜息を吐いて、自分の布団を敷いて、沖田をよいしょと抱え上げ布団の半分を譲ってやった。部屋の明かりを落として沖田の隣に寝転ぶ。
自分以外の温もりが傍にあると、本当は上手く眠れなかった。近い場所に暖かいものがあると、どうしても身を引きそうになる。引きそうになる身体を意思で押し留めるところまでも含めて条件反射になっている。
ああ、やだな。と山崎は思う。ああ、やだな。こんなことを思う自分が。
バカだなあと自分を笑いながら、大きく息を吸い込んだ。近くですやすやと子供のように安心しきって眠っている沖田から、場違いに血の匂いがした。落としきれていないのか、それとも染み付いてしまっているのかは分からないが、ふわりと自然に血が香った。
穏やかな寝息とそぐわないそれを胸いっぱいに吸い込んで、それから山崎はやっと目を閉じた。
人の温もりが恐ろしく、血の香りで安心するなど、自分はいよいよ気持ちが悪いなと闇の中でこっそり自嘲した。
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(この人も、常に血の匂いのする人だ)
煙草の煙を燻らしながら眉間に皺を寄せて歩く土方の背を見て、ぼんやりと山崎は思っている。
(人を斬らない間も、血の匂いがしている)
それは、苦いような苦しいような煙草の匂いよりもはっきりと山崎には感じられた。人を当たり前のように斬ることのできる人間には、自然と血の匂いが染み込むものなのかも知れない。と、どうでもいいことを考えている。
近藤からは、そういった生臭い匂いはしなかった。あれはただ暖かいだけの人だった。人を斬るにもあまりに真っ直ぐすぎて、血の匂いなどすぐに落ちてしまうのかも知れなかった。
目の前を歩く人や、今朝山崎よりも遅く起き出したくせに先程も昼寝をしていて怒られていた人などは、躊躇いもなく無遠慮に斬るから、血の匂いがするのだろうか。
(じゃあ、)
自分は。と、考えようとして、あまりにぼんやりしていたのでいつの間にか立ち止まっていた土方にぼすんとぶつかった。
「った……!」
「ンなに痛くねーだろうが」
「鼻打ちました、鼻。つーかなんですか。いきなり立ち止まらんで下さいよ」
見上げれば、土方は山崎を見下ろすようにこちら側を見ている。背にぶつかったのでなく、胸にぶつかったのだ。そのせいで、丁度鼻が隊服の金具にぶつかった。痛い。
「テメェがぼやーっとした顔で歩いてるからだろ」
「なんですかそれ。別にちゃんと着いてったじゃないですか」
「仕事中なんだよ今はよォ。しゃきっとしろ、しゃきっと!」
ごつん、と拳が垂直に脳天に落ちる。あいたっ、と声を上げれば土方が、うるせェ、ともう一発拳を落とした。横暴で、ひどく理不尽だ。
「パワハラですよこれ、パワハラ」
「あァ?ふざけたこと言ってんじゃねーぞ」
苛々とした口調で言って、三度腕を上げる。舌を噛まないように口を閉じた山崎の頭に、しかし衝撃の代わりにふわりと優しい掌が落ちた。
「副長?」
「……テメェの部屋から、今朝総悟が出てきたろ」
「はぁ」
「あれァ、どういうことだ」
「はぁ?」
「お前、監察の癖にほいほい人を部屋に連れ込んでんじゃねーよ。テメェの部屋に何枚機密書類があると思ってんだ、あァ?」
「つったって、沖田隊長ですよ?」
「沖田隊長も牧田隊長もクソもあるか、つーか口答えすんなウゼェ」
苛々と言いながら、手の動きだけは優しく山崎の髪を掻き回す。感触が楽しいのか、それとも首を竦める山崎の様子がおかしいのか、口調とは裏腹に表情が優しかった。
廊下で何やってんだかなぁ、と思いながらも、山崎には払いのけられない。
上司だから、なのか、心地よいから、なのか、分からない。
「副長。今夜」
「あ?」
「ちょっと出てきます」
「……どこだ」
「昨夜の那須野屋の続きです。あれで幾分かまた、動き出します」
「そうか」
分かった、と鷹揚に頷いて、土方はやっと山崎の頭から手を離した。
「その件はお前に任す。好きなように動け。報告だけは逐一寄越せ」
「はいよ」
その会話で、今までのじゃれあいもなかったことになったのか、土方はくるりと踵を返して歩き出した。山崎もその背中を追うように歩く。
手を乗せられたときと、退けられるとき、やはり微かに血の匂いがした。
(どちらが、……)
一体、先なのだろう。真っ直ぐ歩く背中を真っ直ぐ追いながら考える。
血の匂いで安心するから、触れられてほっとするのか、触れられてほっとするから、血の匂いで安心を思い出すのか。
どちらだろうか。
どちらでもいいが、どちらにしても気持ちが悪いな、と、思いながら山崎は、土方の背中を躊躇わず追いかけた。
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