端を揃えてきちんと揃えられた紙の束が土方の前にそっと差し出された。白い紙に墨色の小さな文字が真っ直ぐ並んでいる。報告書一つ書かせるにしてもここにはパソコンがないのだ。大変だったろうな、というずれた感想しか、土方の頭には浮かばなかった。
山崎は鮮やかに塗った唇を軽く噛みしめる様にして、土方を見つめている。視線の強さに促されるように紙を捲れば、小さく少し乱れがちな文字が綴るのは、長い間真選組が探していた犯罪組織の動向だった。
「……これは?」
「これで許して頂けますか」
震える声で、山崎は言った。
罪を自覚しているはずのない山崎が、だ。
土方は紙を捲り、文字を字で追う。ふわりと甘さが漂うのは、紙にも山崎の、そしてこの部屋の香りが移ってしまっているからだろう。
丹念に調べられた内容に、まさかこいつは抱かれたのだろうか、という疑惑が過った。そうしているのは自分の癖に、小さく過ったその予感だけで、土方はもう耐えられなかった。
「お前、こいつに抱かれたか」
「は……? いいえ、あの」
「どうやってこんな情報拾ってきやがった」
ひどく、冷たい声が出た。紙の束を乱暴に置けば、山崎の肩がびくりと跳ねる。
生半な情報では許さない、と突き放したのは、自分だ。
今のままではまだ許せない、と、山崎を追いつめたのは自分だ。
こんな場所で、遊女ばかりに囲まれて、飢えた視線だけ向けられて、全て割り切ってしまった山崎が体を開かないということの方がおかしいことのように思える、その状況を作り出したのは自分なのに。
大きく開かれた襟元に噛みついて、真っ赤な襦袢を割り裂いて、この白い肌を堪能した自分以外がいるのだったら許せない。
「どうやって調べやがったんだ、言え!」
「え、あ、あの……」
突然の剣幕に山崎はひどく戸惑ったような声を出す。焦りを逃がすように何度も唾液を嚥下して、そのたびに喉が小さく動く。
真白なそれ。
土方は山崎の手首を掴み、その喉元にきつく歯を立てた。
「いっ……!」
ぷつ、と皮膚が切れ、血が滲む。鉄の味を、土方は舌で優しく舐め取った。土方の手の中で、山崎の手首が細かく震える。
「……、あの、俺、」
付けたばかりの傷を舐めながら、体重をかければ山崎は躊躇いながらも従った。
とさりと畳の上に倒れ、広がる着物。寝具は少し遠い。
「組織の、下っ端が、この周辺に通っているという話は聞いていました。この店ではありませんでしたが、この店に興味があるのも知っていました」
「それで?」
「ん、ぁ……っ、…そ、れでっ、……何度か、店の周りをうろうろと、して、こちらにちょっかいを、かけてるときに……っ、ん、あ、」
「誘ったか?」
「違っ、や、あ、あ、……ぁ、…仲良く、なった、いつもいろいろ、噂話を、教えてくれる、人に、組織の、ちょっとした話と、下っ端でも、羽振りがいいことと、……ん、……幹部にまで、繋がれば、相当、…っ、……金が落ちるかもしれない、ことを……ぁ、う……っ」
「教えて、誘わせたか」
「は、い……結果、下っ端が、その人に、入れこんで、通うようになったのでここまで、俺はその情報を流してもらっただけです。下っ端の頭が弱かったことが幸いした。それだけの話です」
手を止めた土方に、息を整えながら山崎が言う。
その目が潤んでいるのは、おそらく与えられた快感のためだろう。けれど、土方に疑われている悲しさが、空しさが、滲んでいればいいと、見下ろす土方は思っている。
「そうか」
短く言って、体を離そうとした土方の着物に、縋るように山崎の手が伸びた。
きれいに整えられた爪の先。薄桃色に染められた、それ。刀を握るのには向かない、似合わない、きれいなだけの。
「……土方さん、ひどい」
甘さを滲ませて喉を震わせ、山崎がそんなことを言う。
中途半端に付けられた火が燻るのだろう、膝がしらを擦り合わせる様にしている。ひどく淫猥な光景だ。
「ちゃんと、最後まで、……可愛がってください。旦那様」
客だ、と言った土方の言葉を、覚えているのだろう。
体をゆっくりと起こした山崎は、動かない土方の肩にそっと手をかけ、自ら土方に唇を寄せた。
ぽったりとした山崎の唇には、薄紅色がよく似合う。
薄く開いた唇で土方の唇を塞ぎ、軽く啄み、舌で軽く舐め、少しだけ吸いつく。許すように土方が唇を開いてやれば、山崎の舌が入り込み、土方の舌を捉える。絡まった唾液が少し冷く、それが妙に心地いい。
なされるがままに体重を後ろにかけ、背中を畳に預ければ、上に乗る形になった山崎が少しだけ笑った。久しぶりに見る笑顔だった。土方は手を伸ばし、山崎の頬を撫でる。それだけで、うれしそうな、顔をする。
大きく開かれた深紅の襦袢と、そこから伸びる太股に、少し眩暈がしそうだ。
柔らかく、たわむれる様に土方の首筋に噛みついた山崎の髪を、土方は、なるべく優しさが滲むように撫でてやった。
+++
「許して、いただけるでしょうか」
甘さの残る、掠れた声で山崎が言った。土方の腕に頭を預け、擦り寄るようにして。
罪を罪だと自覚しているはずのない山崎が、そんなことを言う。土方は妙な気分で、その黒髪を指で弄ぶ。
「俺が来ずに、不安だったか」
こくり、と山崎が頷く。
「他の誰かに抱かれたか」
今度は勢いよく、首を横に振って、山崎は不安そうな目で土方を見上げる。
それをあやすように額にくちづければ、不安そうな顔はすぐさま溶けて笑顔になった。
「お前はさして美しくもないから、誰の目にも止まらなかったのだろう」
馬鹿にするように言いながら、露わになったままの腰を軽く指先でなぞれば、土方の腕の中で山崎の体がわずかに緊張した。
触れれば素直な反応を返す。
ひどいことを言えば、傷ついたような顔をする。
捨てられまいと必死になって、優しくしてやれば、嬉しそうな顔をする。
もう拒絶されない。土方は安堵のため息をついた。
「もう、帰ってもよろしいでしょうか」
顔を土方の胸元に押し付け隠すようにして、小さな声で山崎が言った。手を探り当てて握ってやれば、体に入れていた力を抜く。
「帰りたいか」
「はい」
「なかなかその格好も似合ってるし、所作も板についてきたじゃねえか」
「帰りたいです」
「……そうか」
優しく抱きしめてやる。帰りたいです、と山崎が言う。土方さんのところに。と可愛いことをいうので、満足をする。
これは自分がいないと生きていけないのだ。きっとそうだ。
「……俺はあなたに本当に捨てられるのではないかと思っていました」
土方の腕の中で、土方に最大限近づくようにして、山崎が言った。どんな顔で、そんなことを言うのだろう。見られないように隠されてしまって分からない。
「捨てられるのではないかと思って。あなたが一言いらないと言えば、俺はここから出られないのだと思って、……本当にこわかった」
縋りつくような仕草で、縋りつくような声で、そんなことを言う。
土方の中にある疑惑を全て否定して、土方の中にある望みを全て叶えるような、そんなことを。
「……俺が好きか」
「はい」
「やっとわかったか」
「俺は、ずっとあなたが好きです。最初から、土方さんだけ好きです。何度だって言ってるじゃないですか」
「……お前は、俺のものだ」
言えば、顔をあげた山崎は嬉しそうな顔をした。
きれいに塗られていたはずの紅は少しはげている。が、情交の後の山崎は、絶望しているときと同じくらいかそれ以上、美しい。全て許してやりたいような気持になる。
そっとくちづけをした。
山崎が嬉しそうに笑う。
思いきり、抱きしめてやりたいような気持になる。腕にきつく力を込めて逃がしたくないような気持ちでもあり、ただ優しく、不安がらなくてもいいと安心させるようにそうしたいような気持でもある。
「土方さん、好きです」
清々しくて、いとおしくて、見せびらかしたいし触れさせたくない。自分の手の中でだけ自由になる、きれいで美しい生き物。
離したくない。誰にも渡さない。逃げることなど許せない。ひどい執着を、抱いている。
全身の内側に焼きついて消えないような、喉が干上がるような、
(ああ、そうか、これは)
まるで、そう、まるで恋をしているような、そんな気分だ。
前 (09.10.24 - 09.11.26)