自分以外に弱っているところを見せるな怯えた気配を感じ取らせるなお前は俺の前でだけ悲しい嬉しい楽しい苦しいを露わにすればいいのだそれ以外のときは張見世で笑う遊女のように嘘ばかり振りまいていればいいのだ、それでいい、いや、嘘だ。いつでも笑って苦しいことなどないように幸せであればいい、いや、それも嘘だ、分からない、ただ、こいつが骨の髄まで自分のものになればいいのに、と、醜い執着を、ただ抱いている。
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今まであまりしたこともないようなひどいやり方で山崎を抱いたその日の後、土方は山崎のいる店へ通うのをぱたりとやめた。
もちろん山崎は、陰間として潜入したままだ。通えなくなる、とも、次はいつ来る、とも、土方は告げなかった。何も言わず床に伏したままの山崎をいつものように残して帰り、それきり。壁にかかったカレンダーを眺めて日数を数えれば、ちょうど二週間経とうかと言ったところだった。
そういえば、このカレンダーも山崎が買ってきたのだった。放っておけば際限なく仕事をするんだからたまにはこれ見て休息って言葉を思い出して下さいね、と小言を言って。
(ああ、そういえば、もう一月も休んでないな)
気付いて、苦笑をする。山崎に会っているあの時間が仕事であるならば、だが。
こんなカレンダーを壁に飾っていたって、土方は山崎の小言がなければ上手く仕事を切り上げることもできないのだ。突然疲れを自覚した体が、鈍い頭痛を訴え始めたような気がした。
何のことはない、あれがいないと何もできないのは、自分の方だ。
だからあれも、自分がいなければ何もできなくなればいいと、思ったのに。山崎は割り切ってしまった。このまま土方が通うことをやめ、呼び戻すこともしなければ、山崎はあのままあそこで生きて行くだろうか。山崎は強い。土方がいなくても、多分、生きていける。土方が傍にいない方が、もしかしたら、幸せになれるかもわからない。
(……あれに人を殺させたのも、俺だった)
しかも、相手は、かつての仲間だった。
同じように飯を食い、同じように眠り、同じように笑った、仲間と呼んだ人間だった。
斬れ、と言って、それに山崎は小さく頷いた。刀を一度、手が白くなるほど強く握りしめた後、上手く体の力を抜き、呼吸を整えて、そして殺した。
血の気が失せた顔色、冷えた肌、こめかみを流れる汗、そして、血濡れた手が、かたかたと細かく震えていた。全身に浴びた返り血が、山崎の肌をぬるりと流れ、地面に落ちた。甘い香りがしないのが不思議なほど美しく、淫靡で、陰惨な光景だった。
あれをただ手に入れたくて、自分が独占してしまいたくて、いろいろな理由を付けて抱いた。
山崎は抵抗しなかった。怯えることもなかった。慣れているのだろうかと土方が勘違いするほど、当然のように土方を受け入れた。慣れない体は痛んだろうに、苦しかったろうに、それでも一度も、やめろとは、言わなかった。
一度も拒絶はしなかった。
笑ってさえいた。
あれは自分のものだったはずなのに。
山崎は、怯えているだろうか。土方が通わず、山崎を揚げないことで、他の誰かに買われるのではないかと怯えているだろうか。
そうであればいい。
土方の足音だけ、切に待っていればいい。
悪いとすれば、あれが、全部悪いのだ。
こんな風に自分の心をかき乱し、名前を付けることのできない気持ちばかり植え付けていく、あれが全部悪いのだ。
だからこれは罰なのだ。
土方は苛々と煙草を取り出し、口に銜えて火をつける。煙草の箱はそれで空になってしまった。ぐしゃりと握りつぶしてごみ箱へ捨てる。渇いた音。
新しい煙草も買いに行かせなくてはいけない。
カレンダーでは意味がないから、やはり、山崎は自分の傍にいなくてはいけない。
二週間捨て置いた。山崎は反省しているだろうか。反省しているのなら、許してやろう。
煙を深く吸い込んだ。喉がひりりと痛む。自分でも、ひどい、一貫性のない、意味もない、理不尽なことを言っているとは分かっていた。けれど、どうしようもないのだ。土方ひとりの意志で、この気持ちを、感情を、執着を、衝動を、どうにかすることができない。
どうせならあの美しい姿で自分を斬ってくれればいいのに、とまで考え、さすがに土方は顔を顰めた。
自分の命は、これと捧げた近藤のためにあるはずなのに、これでは、いけない。
やはり山崎が、自分の思考を乱して、おかしくさせているのだ。
あるいは、傍に姿がないからだろうか。
煙草をゆっくり吸いながら、土方は目を閉じる。瞼の裏にはやはり山崎の、美しく煽情的な姿がある。その頬は濡れている。土方が泣かしたのだ。
ひどい執着を、抱いている。
全身の内側に焼きついて消えないような、喉が干上がるような、何かに似ている、そんな。
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