「成果は上がったか」
 意識してそうしたのだったが、思っていたよりも冷たい声が出た。山崎はほんの少しだけ体を強張らせ、唇を引き結んで弱弱しく首を左右に振る。
「いえ、……あの」
「なんだ」
「ここに、……ここに今まで来ていた、常連だった浪士の情報は、粗方まとまったはずです。この店には、名が通っているような人物は、通って来た形跡がありません。特殊な、店ですし、そう客層が変わるとも、思えません」
「……で?」
「え……」
 土方の、何の感動も映していない瞳に、山崎が戸惑ったような声を小さく上げた。困惑したようにその目が瞬き、土方を見上げる。土方はその困惑を宥める様に小さな笑みを口元に浮かべ、山崎の髪をそっと耳にかけてやった。肌を指先で軽く擽れば、山崎の指先がぴくりと動く。耳の後ろからそっと香る、甘たるい香り。女の香りだ。人を誘う、遊女の香りだ。
「客層が変わると思えないから、常連以外の人間は滅多に来ないから、常連の情報はもう掴んでしまったから。だからもう、潜入捜査は必要ない? 山崎、それはお前が決めることじゃねえよ」
 土方の指の動きに目を伏せていた山崎の睫毛が細かく震え、しばらくして、それは諦めたように絶望の色を残した山崎の瞳を覆い隠した。
「お前がこの前掴んだ情報で、4人検挙した。お前の手柄だ。お前がここで、こうしているから、俺たちは助かっているんだ」
 甘い、砂糖菓子のような言葉を、土方は山崎の耳に吹き込む。山崎はその言葉を心から信じたのか、どうか、細い息を吐いて「はい」と短く答えた。
 賢い山崎は、割り切ったのかも知れない。胸の奥に嫌悪感と恐怖を残しながらも、抵抗すること、抗議することを諦めて、仕事をただ純粋にこなそうと決めたのかもしれない。近くで覗きこんだ顔は薄く青褪めているが、土方の声音ひとつ、挙動ひとつに怯えたりはしなくなった。
 それが土方には、少し、おもしろくない。
 耳朶に軽く歯を立てながら、小さく囁く。
「もう、誰かに買われたか」
 少し歯に力を込める。痛みにか、山崎がきつく拳を握る。
「いいえ」
 色をなくした唇が小さく動く。
 目は、開かない。
 土方は山崎の肩を乱暴に掴み、その体を荒く布団の上に押し倒した。
 真っ赤な寝具が柔らかく山崎と土方の体重を受け止める。ふわりと舞ったのは、部屋に焚かれた香だろうか、山崎の香りだろうか。
「副長」
 怯えるような目を少しして、山崎が土方を見返した。声音は怯えというよりも、抗議に近い。やめてください、と小さく震える声が言う。
 誰が。
 誰が、お前が他の奴らに買われずに済むようにしてやっているのだ、という気持ちが、土方の喉奥までせり上がる。喉を塞ぐ。身勝手だ、わかっている。それを口にすれば山崎はきっと呆れたような目をするだろう。わかっている。
 美しく着飾って、良い香りを纏って、男を誘うような仕草で、目に鮮やかな柔かい寝具に押し倒されている、山崎を見下ろす。抵抗を塞ぐように握った手首は、細いといえば細く、そうでないといえば、さして細くもないように思える。
 誰のために、こうしているのだったか。わからない。私費を投じて部下を買っている。酔狂だ。わかっている。
 跡が残るほどきつく手首を掴んだまま、荒々しく唇に歯を立てた。唇の柔からさと舌の冷たさを一方的に土方だけが楽しむようなくちづけだった。山崎は緩く抵抗をする。逃げようとして足を動かすたびに、さやさやと高価な着物が音を立てる。血の色の襦袢が山崎の白い足に絡み付く。冷たそうな足の先がむき出しになっている。外の冷たい廊下、これでは逃げられないだろう、と思うくらい。
 やめてください、という小さな拒絶の声が土方の耳に届く。
 土方はけれど、聞かず、山崎の首筋に顔をうずめ、じゃれるように歯を立てた。肌にかかる吐息に山崎の肌が震える。かわいそうに、条件反射だろう、山崎の唇から、甘く小さな声が上がる。
「俺はお前の客だ。抵抗してんじゃねえよ」
 ぞっとするほど低い声が出た。山崎の体がびくりと一度動いて、それからゆっくり力を抜いた。だらりと投げ出された手を取って、指先に口づける。山崎は抵抗しない。何も言わない。軽く指先を噛む。山崎は何も言わない。
 嘘だ。
 客でなくても、同じようなことをするのだ。
 連れ込んで、嫌がっても、無理矢理抱くのだ。泣き顔が見たくてひどいことをする。自分だけに依存すればいいと思って、檻で囲んで閉じ込める。
 青褪めた冷たい白い肌が赤い襦袢に映えて美しい。山崎の睫毛が震えながら持ち上がって、少し涙の滲んだ目が土方の姿を映した。「土方さん」呼ぶ声が、甘い。
 これが全て悪いのだ。
 こいつが全て、悪いのだ。
 土方はその視線から逃れる様に、山崎の肌に顔をうずめた。山崎の指先が、土方の髪を緩く梳く。優しく梳く。
 全部、全部、これが自分の心を奪っているから、きっとそれが悪いのだ。