遊女というものは客よりも早く起き出し客の身支度を手伝い名残惜しそうに見送ってから二度寝をするといったものではなかったろうか。
 着物に袖を通しながら、土方は半ばあきれた気持ちでぴくりとも動かない山崎を見つめた。睫毛の先まで死んだように沈黙している。肌が青白い。本当に死んでいるのではないかと一瞬錯覚するほど大人しい。
 あまりに動かないので馬鹿馬鹿しいことだが少し心配になって、土方は山崎の上に屈みこんだ。近づけば少し呼吸の音がする。生きていた。安心ついでにくちづけをする。山崎は少しも動かない。深く深く眠っている。見送る気配がないどころか、土方が起き出したことにだって、きっと気づいていないだろう。
(あるいは、これでいいのかも知れない)
 髪を一度緩く梳いてから、土方は立ち上がった。箪笥の上に控えめに置かれた時計に目をやる。そろそろ出なければいけない。山崎は目を覚まさない。
(こいつがきちんと起きて俺の身支度を手伝い、その上名残惜しそうな面まで見せたら、俺はこいつを殺したくなるだろう)
 そんな遊女の真似ごとを完璧にこなされたら、許せないだろう。
 土方は苦い顔をしたまま山崎に背を向け、音を立てずに部屋を出た。
 薄暗い明け方の空気の中、少しざわざわとした気配がするのは、客たちが遊女に見送られ帰る時間だからだろう。一度自分が閉ざした襖を振りかえり、その中を見透かすようにしばらくじっと見つめてから、土方は一人で歩きだした。





     +++





 最近山崎の姿を見ねえけど一体どこに隠したんですかい。
 不機嫌そうな、と言えばそうだがどちらかと言えば拗ねているような顔で沖田が言ったのは、その日の夕方のことだった。
 手をぶらぶらとさせながら、土方を見上げてしかめっ面を作っている。
「ああ?」
「山崎でさァ、山崎。どこに隠しちまったんですかィ。ひとりじめはよくねえよ」
 言いながら、土方の背の後ろを覗きこんだりする。まるでそこに山崎が隠れてはいないか、というようにだ。
「何だそれァ。仕事だよ、仕事」
「あんたの仕事は、本当に仕事だかわかったもんじゃねえや」
「さぼってばっかのお前に言われたかねえよ」
「公私混同より、正々堂々とサボる方がマシってもんでさ」
 全然自慢できないことを胸を張って言ってみせてから、沖田はわざとらしく肩を竦めた。
「でも本当、どこやったんですかィ。こんなに長く姿見せねえなんて、よっぽど面倒な案件ですか」
「機密だ、機密。教えられっか」
 突き放すように答えに、沖田はむっとしたような顔をした。それを見ながら、土方は内心首をかしげる。
 沖田は山崎になついている。まるで昔から仲の良い友人同士のようにじゃれあったり、年相応に喧嘩をすることのできる、唯一の相手だと言ってもいい。まさか子供のようにどこへ行くのも一緒なわけではないが、くだらないことで盛り上がったり一緒に遊んでいるのをよく見かけた。
 だが、山崎が屯所を留守にするのは、別段これがはじめてではない。もっと長期間不在だったこともあるし、何も気に留めることは、ないはずなのである。いかな沖田が心配性で山崎を可愛がっていると言っても、仕事のことに口を出すような性格では、ないはずだ。
「やけに突っかかるな。何かあんのか」
「いや、ね。何かあるっていうか……」
 その先、沖田は一瞬ごまかそうと意識を巡らしたようだった。が、うまい言い訳を思いつくより先に、土方が「言え」と短く言ったので、諦めたように深く息を吐く。
「……山崎の様子がねェ、おかしかったんでさァ」
 大きな目を瞬いて首を傾げながら、沖田は土方を見上げる。
「なんか暗いつーか、なんつーか。何かあったのかって言っても答えねえし。これァあんた絡みかと思ったんですがね。そしたらそのちょっと後から、長く姿を見せねえし。ひどい上司にひどいこと言われて、どっかに逃げたか、そうでなけりゃその上司に閉じ込められてんじゃねえのかと」
 ひやり、とした冷たいものが、土方の胸のあたりを重たく滑り落ちた。
 沖田は若干責めるような目で土方を見上げている。
 じ、と見つめられ、先に根負けし視線をはずしたのは土方の方だった。
「……知るか」
「は、何それ」
「お前の見間違えなんじゃねえのか。暗いとかどうとか。閉じ込めるだァ? あるわけねえだろ、そんなこと。何が楽しいんだよ、あんなん閉じ込めて」
「さあ? 俺はあんたみたいに変態じゃねえから、わかりませんけど」
「何だそりゃ」
「あんたも最近帰りが遅いし。なんか変なことしてんじゃないでしょうね」
 じとりと睨みつけるような沖田の視線から逃れる様に、土方は背を向けた。「仕事だ」短く放って歩きだす。
 沖田は付いては来なかった。軽い舌打ちだけが聞こえた。



 そうだ仕事さ、これは。
 逃げる様に部屋へと向かいながら、土方は自分の言葉を反芻する。
 仕事さ、これは。誰に何を、責められる言われもない。蛇の道は蛇という、その蛇に、山崎を仕立てあげようというだけの話だ。あれはそういう役割を持っていて、そしてそれを、自分は効果的に使用するのが仕事だ。
 言い聞かせる様に繰り返し考える。沖田の姿はとうに見えなくなっているのに、それでも何かに追い立てられるかのように足早に部屋へと向かい、廊下と隔てる襖を閉めてやっと安心した。
(そうだ、何も、悪いことなどありゃしねえよ)
 あれがやっているのは仕事なのだ。それが証拠に、土方の部屋には、山崎が探り出した幾人かの浪士の情報がある。山崎が本当に傷つかないように、私費を投じてまで予防線を張っている。何も悪いことはない。
(ただ、……)
 ただ確かに、山崎は絶望している。
 潜入捜査に入る直前、沖田の前で暗い顔を見せたということは、そうなのだろう。
 決まっている。土方がそう、仕向けたのだ。あれが絶望しているところを見たくてそうした。土方が一言、何も心配することはない、お前は俺が買っているのだと言えば、山崎は安心するだろうのに、土方がそれを黙っているので山崎は死にそうになっている。
 肌を青くし、冷たくさせ、小さく震えて怯えている。
 まるではじめて人を殺した時のように。
(あのときも、きれいだったな)
 土方のせいで、山崎は怯えて、呼吸もうまくできなくなっている。それはやはり悪いことなのだろうか。責められるべきことだろうか。
 ずるずると襖に背を預ける様にして座り込み、軽く目を閉じた。黒に塗りつぶされた視界の中でちらちらと光が踊る。脳裏に描く、山崎の姿。
 鮮やかな色の襦袢を身にまとい、白い体を無防備に投げ出し、土方の言うことだけを聞いて、そうでなければ死んでしまうとでもいうように、ただ従順に生きている。肌に纏わりつく長い着物は血の色。
 浮かぶ煽情的な情景に脳の奥が痺れて、体が静かに、熱を持つ。
(あれは、俺のものだ。俺が好きにしても、構わねえのだ)