さっと壁に黒い影が走ったような気がして、山崎はそちらへ目を向けた。じっとしていたのが急に首を動かしたので、高杉が驚いたように右目を瞠って、「どうした」と短く聞いた。
「いや、なんか影が」
「影?」
「壁に」
す、と指を差して示せば高杉がそちらをちらりと見て、何もないことを知って興味をなくしたように視線を逸らした。
「何にもねェよ」
馬鹿にするようにちょっと笑って、さっきまでしていたのと同じように、抱えていた三味線の弦をびぃんと撥で弾いた。山崎は手元に開いていた本を読む気も殺がれてしまったので小さく溜息を吐いて、弦を押さえる高杉の指を見つめた。
びぃん、と音が響く。高杉の唇が、珍しく楽しそうに歪んでいる。
「何の歌?」
「俺の作った歌」
山崎の耳にあまり馴染まない音がきれいに響いて、高杉の唇が小さく動いた。低い声は小さすぎて、山崎の耳には上手く届かなかった。
「どんな歌?」
「テメェの為に作った歌」
山崎はぴくりと肩を揺らして、それからそろそろと顔を上げる。目が合えば高杉が楽しそうに低く、くくっと笑って、撥でびぃん、と弦を弾いた。
壁に黒い影が走ったような気がして、山崎がびくりとする。するけれどでも、絡んだ視線を逸らせないので、虫がいるのか死神がいるのか自分の気のせいなのか、確認できない。
視界の端が気になりながら、山崎は高杉を見つめて、短い瞬きを繰り返す。
高杉はやっぱり楽しそうに唇を歪めて、きれいな音をはじいてみせた。
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