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 ばさりと畳の上に放られた資料を丁寧に拾い集め手に取った山崎は、書かれた文字をざっと読みとり怪訝そうな顔をした。
「これは?」
「お前の次の仕事だ」
「仕事って……」
「そこに忍びこんで来い」
 煙草に火を付けながらぞんざいに言い放つ土方に、山崎はぎょっとしたような目を向ける。土方を見て、書面を見て、土方を見て。それを三度繰り返し、
「遊女屋」
 書面に書かれた事実をそのまま、短く山崎は口にした。
「……どうして、また?」
「お前も知ってるだろうが、最近の攘夷志士共は羽振りがよくてな」
 土方は言葉の合間に、煙を肺の奥深くまで送り込む。
「ほとんど遊び歩いてるだけのちっせえ小物だ。だが、たまに大物が紛れ込む。誰が誰と会って、どういう会話をして、何を匂わせて、次はどこで会うのか。一番知ってるのは、傍で酌をしてる遊女だ」
 そっから話聞きだして来い、商売女の噂話は馬鹿にできねえからな。煙を吐き出しながら言う。山崎は顔にかかる煙に顔を顰めたりはしなかった。ただ、土方の言葉に、少し顔を強張らせる。
「はあ。でも、そう都合よく話が捕まるんでしょうか」
「捕まるでしょうか、じゃなくて、捕まえるんだよ、お前が。何、別に大物じゃなくてもいい。最近組の働きは鈍りっぱなしだからな。派手な動きのわりに成果が上がっていないとあっちゃあ、善良な市民様が黙っちゃいねえからな」
 灰皿を引き寄せ、煙草の灰を軽く落とす。土方のその動きを、山崎の目が追う。
「……なるほど」
「でかさがねえなら数で補え。そのための場所でもあるんだ。犯罪者じみた奴らなら、いくらでも見つかるだろう」
 饒舌に説明をする土方をじっと見て、山崎は口を開き、赤い舌をちろりと覗かせ渇いた唇を少し舐めた。白い喉が上下する様を、土方は煙を吐き出す振りでじっと見つめる。
「それで、……」
 喉に言葉が引っかかったのか、山崎は再び喉を上下させた。その拳が、膝の上でぎゅっと握られている。触れたら、震えているのだろうか。土方は体に悪い煙を肺の奥深くまで吸い込みながら、そんなことを考える。
「忍びこむ、ってえのは」
 丁稚としてですか。聞く、山崎の声が、思った通りに震えていた。
 土方はゆっくりと煙を吐き出して、まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付け火を消した。山崎へと手を伸ばす。唇をきゅっと閉じている山崎の手首に、優しく指を絡ませる。
「遊郭は浮世、この世の外、絶対に秘密の漏れぬ場所。甘く見てんじゃねえぞ。遊女たちは、丁稚ごときに閨での話を漏らしたりしねえ」
「じゃあ……」
 手首を絡め取ったまま、反対の手を頬へと滑らせる。指先にその肌が少し冷たいのは、土方の体温が高いせいなのか、山崎の血の気が失せているからなのかはわからない。
「障りがあるだろうからな、単なる遊女屋に送り込むわけにはいかねえ。お前は男だし、そんなことしてもすぐばれるだろう」
 指を、山崎の喉へ滑らせる。一見してそれとは分かりづらい喉仏を軽く押さえてやれば、山崎がそこを震わせた。低く笑って土方は、そのまま指で肌を撫で、鎖骨を擽り、平らな胸を辿る。
「副長」
 少し安心したような顔を、山崎はした。
 それを目の端でとらえて、土方は笑う。声もなく。
「……後で資料を読んでおけ。遊女の簪の色は赤。陰間の簪の色は青」
「…………」
「張見世には並んで出るそうだ。男でも女でも好みであったら構わねえ、……世の中にはいろんな趣味の人間がいるもんだな」
 自分自身も、広義ではきっと、その中に組み込まれるのだろう。自分の言葉に自分で笑いながら、土方は山崎をそっと引き寄せた。緊張で強張った山崎の体は、それでも意外にあっさりと土方へ近づく。
「……副長」
 見上げる顔がさっと青くなる。渇いた唇が呆然と薄く開き、微かに震えた。
「わかってるだろう、山崎」
 零れた笑いは、震える山崎を馬鹿にするようなそれに見えただろうか。
 笑みに歪んだ唇を、土方は山崎の渇いた唇に押し当てる。山崎の指先が軽く震える。ゆっくりと瞼が降りて、山崎の唇が薄く開く。その隙間に舌を差し込みながら、土方は山崎の手首を握った手に力を込めた。反対の手では優しく、山崎の髪を耳にかけてやる。
 白く冷たく美しい。唇を合わせながら、土方 は薄く目を開ける。焦点が合わないほど近くで、山崎の睫毛が震えている。
 山崎の、絶望しきった顔は、美しい。
 土方以外には、きっと、させることのできない顔だ。