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「まあ、聞けないことはないけどね」
 煙管を軽く吸った女は、言いながら軽く眉を顰めた。あからさまに迷惑だという態度だが、本当に断わるとき彼女は言葉を濁したりしないと知っている土方は、懐から取り出した写真を無言で女に押しやった。
 そっとそれを手に取った女は、ほう、と感心したような声を出す。
「なかなか、なかなか。地味だが、飾れば光るタイプだ」
「人の目を引く術も心がけてるし、化け方の上手は俺が保障する。どうだ、客寄せ程度にはなるだろう」
「客寄せどころか、お前さん、こんなのうちに置いておいたら、すぐに指名が入っちまうよ」
 笑って、女は写真を土方へ返す。土方はそれを丁寧に受け取り懐へ仕舞うと、代わりに小ぶりな布包みを持ち出した。女の前へ置き、はらりと布を取る。女の目が驚きに丸く開かれた。
「居続けの金だ。売約済みなら、文句ないだろう」
「……呆れた。とんだ酔狂だ」
 差し出された金額に女は言葉通り呆れたような声を出し、土方の顔を怪訝そうに見上げた。にこりともしない土方の顔色から理由を探ろうとしばらく見つめ、やがて諦めたのか、そっと視線を布の上に鎮座する札束へ戻す。
「こんなことをしなくたって、もっといい手があるだろう。人さまの税金使って、贅沢な仕事だねえ」
「公費じゃねえよ、私費だ。誰に文句言われる筋合いも、ないだろう」
 その言葉に、女は顔を上げた。
 これ以上ないというくらい驚きをあらわにしてから、土方の胸元を視線で探る。土方が写真を仕舞ったあたりだ。黒い、少し長い髪の、少しばかり印象の薄い、ただそれだけの青年の写真。中性的な顔立ちと雰囲気で、なるほど女の装いをしても違和感はないだろうということと、自分の店に来るような客はさぞ食いつきがいいだろう、と思った程度の、ただそれだけの。
「…………わかった。この話、受けよう」
「悪いな。頼む」
「それで、あたしはどうすればいいんだい。その子をお姫様のように扱ってやればいいのかい?」
 カン、と煙管を煙草盆に打ちつけながら聞いた女に、土方は低く笑った。顔を合わせてから最初の笑いがそれだったので、女は軽く顔を顰める。
「なんだい、不満かい」
「そうさな。どうせなら、本当の遊女のように扱ってやってくれ」
「……いいのかい」
「ただし、指名は受けさせん。そのための金だ」
「それは構やしないけど……」
「いいのさ。あいつは『仕事』で忍びこむんだ。特別なことしてばれちゃならねえし、他の遊女とだって、なるべく自然に近づく必要がある」
 言って、何が楽しいのか、土方は再び笑い声をあげた。
 女は顔を顰め、煙管の吸い口を唇に当てる。
 ぞっとしたものが背中を滑り落ちて行くが、それが何なのか、女にはよく分からなかった。




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 何故こんなことをするのだろう、という顔を、女はしていた。それを思い返しながら、土方は煙草に火を付ける。深く吸って吐きながら、店の周りをぐるりと回り表通りに出た。
 太陽のない常夜の国。飾られた提灯でまぶしいくらいに照らしだされた極楽浄土の紛いもの。朱塗りの檻に入れられた遊女たちが、色とりどりの着物を纏い誘うように煙管を吸う。
 何故こんなことをするのだろう、と、そういう顔をしていた。昔恩義を売ったことがある女主人だ。さして重要な縁であるとも思われなかったが、人脈というのは決して無駄になりはしない。
 仕事という大義名分を押しつけられて、次の週にでも山崎はここに並ぶだろう。
 黒い髪の、白い肌の、印象の薄い、中性的な顔立ちの。
 美しいうつくしい彼の恋人は、青の簪を髪に挿し、さぞ完璧に化けて見せるだろう。想像するだけで喉が震える。
 誰にも触らせたくないと思うのに、同時に、誰かれ構わず見せびらかしたくもある。その気持ちひとつが、土方をして酔狂な行動に至らしめているのだ。他に理由など、ありはしない。
 ただ、山崎はそれで悲しむだろう。ひどく傷つくだろう。恨むような目を、するかも知れない。土方の肌が泡立った。恐怖か、後悔か、喜びかは、わからない。
 山崎は、あれはあれで優秀だから、格子の中にいる間は怯えた素振り一つ見せないだろう。艶然と微笑み、完璧なまでに陰間を演じて見せるだろう。何人か山崎を買いたいと言うやつがいるかも知れない。その中には、有益な情報を持っている人間だとているかも知れず、そういう人間に山崎が本当に抱かれれば、仕事の成果は伸びるかも知れない。
(……が、それは承知できんな)
 細く煙を吐き出して、土方はその場を離れた。
 肌も露わに派手な着物を纏った女たちが格子の中からかけてくる声を黙殺して、土方は大門へと向かう。
(あれは、俺のものだ)
 あの肌に触れていいのは、あの唇を噛み切っても許されるのは、あの体を開くことができるのは、唯一自分だけだ。
 それは執着だ。
 信仰に似ている。