桜の下で魔物に会った。


折よく強い風が吹き、桜の花びらがざあ、と舞い散る。
風に巻き上げられた髪を指先で撫でつけた山崎は、そこで初めて土方の気配に気づいたように顔を上げ、いつもと違う顔でちょっと笑った。
「土方さん」
長めの髪を丁寧に撫でつけ、心なしか低い声を出している。
ふわりと香った香は女装をするときほど甘くはなく、奥深くに眠る官能のような色をしている。
「色男風だな」
「あなたには負けますよう」
黒い着流しをいつものように着こなした土方に、山崎は苦笑した。
しかし、土方に負けないくらい颯爽と着物を着流した山崎に、いつもの山崎にある緩さや優しさは見当たらない。少し危険な香りのする、それでも妙に引き付けられる、遊び好きの女ならば目の色を変えて群がるような、そんな気配を身に纏っている。
「女相手か」
「ええ。あなたが殺し損ねた、ね」
いたずらな光を浮かべた目で土方を見上げ、山崎がいつものように首を傾げて見せた。
挑発するような仕草だ。
「……何だ、それは」
「こないだねえ、女を一人逃がしたでしょう」
ひらひら落ちた桜の花を、空中で器用に山崎の指が捕らえる。
「ああいうのは、いけません。あの女が攘夷浪士に繋がりがあると、あなたは知っていたはずでしょう?」
「…………知らねえな」
「……ま、いいですけどね。俺は嘘を見抜くのが得意だし、それがあなたの嘘なら尚更だし。俺をそういう風に育てたのは、あなただし」
ああいうのは、いけませんよ。諭すような声音で山崎が言う。
「あなたは優しすぎるんです。女を殺すのが怖いだなんて、そんなこと」
「別に怖いわけじゃねえよ」
「いいえ、怖いんですよ、あんたは。あんなに脆い生き物を、自分で殺すのが怖いんだ」
だから俺が代わりにやります。事も無げに言って、山崎は懐に隠した短刀を大事そうに撫でる。
撫でつけられた髪、ふわりと色気のある香り、低い声、遠い眼差し。
土方の知らない人間のような山崎が、笑って、何より愛しいとでも言うような目で土方を見上げる。
「……お前も、」
「え?」
「お前だって、俺を、殺せねえだろう」
舌打ちをしながらの土方の言葉に山崎は一瞬目を見開いて、それから楽しそうに笑った。
「ちげえねえや。結局、甘いんです。俺も、あなたも」
ではね。
短い一言の後、山崎の顔からふっと表情が消える。
特徴のない、捕らえどころのない、けれど目の離せない、不思議な印象を与える、土方の知らない男がそこに立っていた。
ざあ、と強い風が吹いて、桜の花を散らし、一瞬土方がそれに目を閉じた隙に山崎はさっさと踵を返して歩き出してしまっている。
今からこれは人を殺しに行くのだ。自分の代わりに女を殺しに行くのだ。
きっともう、名前を呼んでも振り向かない。
短刀を握って迷いなく歩く、あれはもう、土方の知る山崎ではない。

美しく賢く恐ろしい、あれは魔物だ。自分の作った。
煙草を咥え火をつける。ため息の代わりに吐きだした煙が細く立ち昇り、ひらと散る桜の花びらに触れる。
あれは魔物だ。

自分はもう、取り殺されてしまった。