金木犀の香りが部屋の中に満ちている。
開け放した窓のすぐそばに黄色い小さい花が咲いているせいだ。
肌を無遠慮に撫ぜ鼻孔に入り込み喉を塞ぐ香りが沖田の脳髄を痺れさせている。毛穴の隙間から香りが入り込んで、血の中にまでその匂いが残るような錯覚。
真白の床に横たわった山崎は、小さな声で
「秋ですねえ」
呟くように言った。
ひとりごとではなく、沖田に聞かせるための言葉だったろう。
それがひとりごと程度の音量でしか響かないのは、山崎の体をぐるりと巻いている包帯のせいだった。正確には、その下にある傷の、痛みのせい。
黙りこくったままの沖田を不審に思ったのか、山崎が窓の外へやっていた視線を転じる。それから、口を結んで眉間に皺を寄せている沖田へ、呆れたような笑いを向けた。
「眉間の皺、癖になりますよ」
「誰のせいだよ」
「誰かさんみたいになっちゃいますよ」
「だから、誰のせいだよ」
「俺のせいですか? うれしいなあ」
本当に嬉しそうに山崎は言って、ふふ、と細く笑いを零す。
痛むのか、沖田の手を握るその白い手が、ぎゅ、と一瞬力を増した。
ますます沖田が怒ったような顔をするのを、山崎は小さく舌を出して誤魔化す。
それからふっと真顔になって「仕事はいいんですか」やはり小さな声で、そう聞いた。
「……知らね」
「もう、いい加減ここにばっか、いても、怒られますよ」
「別に構うかよ。どうせ、ここにいなくても怒られるんだし」
「怒られるようなことを、するからですよ」
「うるせえよ、お前もう、黙ってろよ。痛えんだろ」
「もう、だいぶ、ましですよ」
「全然痛くないですよって言えるようになってから、喋れ」
「だって、沖田さんが、いるから、喋るんです。仕事してきなさいよ」
諭すようなことを山崎は口にして、怒って見せるように少し眉を上げる。
けれどその白い手は、沖田の手の中だ。
血がすっかり落ちて、ただの被害者となった山崎の白い手は、沖田の傍から逃げ出さない。
「傍にいなくたって、俺は死なないし、大丈夫ですよ」
「誰が、おめえが死ぬのを心配してるって言ったよ。ばぁか」
「じゃあ、なんでそんな、こわい顔してるんです?」
「……だから、」
「何がそんなに、こわいんですか?」
泣かないでくださいね、と山崎は痛みを堪えるようにしながら少し笑った。
そういうのは死んでからにしてね、と、軽口を叩く。
沖田はそれに反論しかけ、けれど結局は何も言うべき言葉を見つけられず、一度開いた口を噤んだ。山崎はそれを見て困ったような顔をする。
降りた沈黙を柔く乱すように、冷たい風が吹き込んで山崎と沖田の肌を冷やした。色付いていないのが不思議な程に、甘い香りが濃く深い。喉の奥がちりちり焼ける、これは、確かに少し、泣き出す前に似ている。
山崎の手が沖田の手をきつく掴んだ。沖田は慌ててその手を握り返す。
「寒いか」
「ううん、大丈夫です」
「窓、閉めるぜ」
「だめ。開けておいてください」
「風邪ひくぞ」
「そしたら、そのときもまた、看病してくれるんでしょう?」
だったら、いいです。短くゆっくりと山崎が言って、笑い、再び窓の外へと視線を向ける。
いつもより色が白く、薄く、細く脆く見える山崎なんて、手を離したらあっという間にどこかに言ってしまいそうで、沖田は山崎を繋ぎとめている手に、きつく力を入れなおした。
山崎は何も言わない。振り向かない。細く、浅い呼吸をしている。
白い包帯が目に痛い。
甘い香りに思考が掠め取られ、包帯の下に滲む赤い血もまた甘い香りがするのではないかと、沖田は一瞬夢想した。
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