私は彼に毒を飲ませます。毎日少しずつの毒を種類を変えて飲ませます。彼の体も最初のうちは拒否反応を起こしますが、次第にその毒にも慣れ、日に日に毒を中和してその方法を覚えてゆき、そして彼は死なない体になっていきます。危険な仕事だろうと思うので、彼が死なないようにそうさせます。世間には沢山の毒があり、日に日に新しいものが流行るので、私はそれを見つけるたびに彼に与えて飲ませます。知らない毒が入ってくれば彼の体も痛みます。ほんの少しの量を死なない程度に与えるので、最初は苦しむこともあります。
こうして目覚めないこともあります。私は何度も何度も何度も何度も彼の呼吸を確認して、彼が生きているのを確かめます。何度も何度も何度も何度も殺人未遂を犯す私を、彼は許し、苦痛に蝕まれる体を動かし、その手で私を慰めます。
どうして。
逃げてもいいんだと、どうして私は言ってあげれないのか。
「……そんな辛気臭い顔するくらいなら、やめればいいじゃないスか」
何度目かの夜を越えやっと意識を取り戻した彼は私の顔を見て開口一番そう言いました。まったくかわいげがないのです。もうやめてくださいと泣けばいいのに、全て私に委ねてそんなことを言うのです。
「大丈夫ですよ、死なないから」
かける言葉を見つけられない私の顔を見て、彼はちょっと悲しそうな顔をしました。痺れる手を持ち上げて私の手に触れます。冷たい。指の先まで冷たいのです。生きている気がしないのだ。私は思わず彼の手を握りしめました。
大丈夫かとかすまなかったとか気分はどうだとかもうしないとか、いろいろかける言葉はあるはずでした。馬鹿野郎でも情けねえでも正解であったでしょう。けれど私はそのとき一言、どうして、と聞くことしかできませんでした。毒を含んでもいないのに痺れる舌先を動かして、どうして、と。
彼は案の定眉をあげました。それからまた悲しそうな顔をして、力の入らない指を懸命に動かして、私の手を握り返しました。
「本当に信仰心の篤い人は、神様のために人を簡単に殺すそうですよ」
馬鹿げたことを言って、それから彼は少し笑ってみせます。
「自分自身だって例外じゃない。自分の全てを預けてるものが、死ねと言ったら死ぬそうですよ」
私はもう、返す言葉が見つかりませんでした。繋がっているのとは逆の手で彼の額を撫でました。指先とは対照的に驚くほど熱くて私は泣きたくなりました。私の与えた毒が彼の体を蝕んでいる。
死んで欲しくはないのです。手の届かない遠い場所で死んで欲しくはないのです。だから私は彼に、近い場所で毒を与えます。自分の傍で含ませます。血の中に忍び込ませます。どこかで絶えてしまわぬように、彼の体を死に慣らします。
死に慣れ過ぎていつか本当に死んでしまうんじゃないだろうか。こういうことがあるたびに私は何度も後悔をして、彼の呼吸を何度も何度も何度も何度も確認してもまだ足りなくて、白い頬を指で辿って唇を唇で塞いで飽きもせず手を握って何度も何度も何度も何度も繰り返し心臓の音を聞いて、そうしていなければ死にそうなほどなのに、どうして。
どうして私はもうやめだと言えないのでしょうか。
これきりだ悪かったと言えないのでしょうか。
彼が拒否してくれればいいのだ。臆病な私は彼を非難します。彼が全ての選択権を私に与えるから悪いのだ。私は頭がおかしいのだ。自分でも分かるくらいにおかしいのだ。だから私に彼の命など、少しも預けてはいけないのに。
黙りこくった私を暫く見つめたあと、彼は、
「ねえ」
甘えた声を寄越します。彼はこうして時折馴れたような口を聞きます。私はそれに疑問も持たず、むしろとても心地よいような気分になって、なんだ、とぞんざいに返しました。彼はしばらく私を見つめて、それからすい、と視線を逸らし、何にもない天井を暫く見つめて、それからゆっくり目を閉じて、
「好きです」
まったく、脈絡のないことを言いました。
手は繋がれたままでした。
彼はそれきり眠ってしまって、その日はもう目を開けませんでした。
私は泣きました。涙は出ませんでした。声もあげませんでした。でも泣きました。彼の言い草があまりにひどいので泣きました。神様に全てを預けたと彼は平気で口にします。だからそれでいいのだと彼は平気で笑います。好きだと言って眠ります。
ああ、では、全てを預けられたものは、一体何を指針にすればいいのだろう。
預かった命を壊してしまいそうで私は泣きました。涙を流さず泣きました。
それでも私は明日もきっと彼に毒を与えます。
どうせ死ぬなら自分の傍で、自分のせいで死ぬように。
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