※IN鬼兵隊
真白い紙の袋に無造作に入っているだけの、それは新しい筆だった。
「……何ですか、これ」
「気に入らねえか」
放ってよこされたそれをまじまじと見つめて、山崎はこっそり唾液を呑みこんだ。震える指でまだ硬い毛先を撫でる。それを見て、高杉が笑った。めずらしく、機嫌のよいような笑い声だ。
「どうだ。いい筆だろう」
「はい、あの、……ええと」
「何だ、はっきり言え」
「あの、……ありがとうございます」
気に入ったろう、と高杉は笑って、いつも通りのうつくしい手つきで煙管をくわえて煙を吸った。甘い匂いが部屋に立ちこめている。
「男が女に花を贈る日ってのがあってな」
「え」
ふう、と煙を細く吐き出して、高杉は目を眇め山崎を見た。山崎はまだ、少し震える指で真新しい筆を撫でている。
「好いた女に花を贈って、お前に惚れたとそれで伝える。そういう日があるがな、こっちじゃあ女が男に甘ぇもんを贈る日になっていやがる」
「ああ、バレンタインデー」
「それで、」
お返しの日が、今日なんだろう。
くく、と低く高杉が笑って、煙管が煙草盆にあたり軽い音を立てた。
「男が女に返事を贈る、それが、今日なんだろう」
す、と伸ばされた指がさすのは新しい筆。
お前にやるよ、と高杉の唇が動いた。驚いて、思わず、山崎の手から力が抜ける。するりと落下した筆は膝の上を転がり畳みへと落ちた。ころころころ、と高杉の傍へ。
「あ、あの、え、あ、でも」
「はっきり喋れと俺ァ言ったぜ」
「だ、だって……」
「ん」
「俺、あの、俺、何にも、晋助さんに」
「もらってねえなあ」
「だって、……だって」
そういうの好きじゃないと思ったんです。受け取ってもらえないと思ったんです。男の自分がそんなことしても気持ちが悪いだけだと思ったんです。云々。言葉にならない言葉が全て後悔と共に山崎の胃の奥に飲みこまれて溜まっていく。
それを見透かしたように、高杉が再び低く笑った。
「いい筆だろう。探した」
「……あの、」
「まだ何かあるのか」
「どうして、……どうして俺が、筆が欲しいって、わかったんですか」
山崎は手紙を書く。ただ一人、高杉に当ててだけ手紙を書く。
普段の仕事ではペンを使うが、手紙のときだけ筆を使う。筆の使い方も流れるような文字の書き方も、手紙の定型も何もかも、高杉が教えてくれたのだった。
その筆が先日折れた。もう古くなっていたので、換え時だとは思っていたのだ。はやく買いに行かなければ、そう思う間に、今日。
畳に転がった筆を手に取った高杉が、粗末に扱うんじゃねえよ、と小言を言って、山崎の手にそれを返した。恭しく受け取って、山崎はぎゅっとそれを握りしめる。
「言ったろう」
「え」
「前に会ったとき、言ったろう、お前が」
「…………」
筆が欲しいと?
自分は言っただろうか。本当に?
「……覚えてません」
「そうか。でも言ったぜ。でねえと、お前の考えてることなんざ、俺が知るわけないだろう」
つれないことを言う癖に、高杉の目が機嫌よく細められている。体温の低い手が、山崎の前髪を掬って、額に触れる。それからゆっくり耳に触れ、後頭部を引き寄せられ、気付けばくちづけられている。
「うれしいか」
筆がなのか、くちづけがなのか、問いの真意はわからなかったが山崎は頷いた。どちらも嬉しいので、どちらに対する問いでもよかった。
「そうか」
自分こそうれしそうに高杉は唇の端を上げ、柔らかな手つきで山崎の髪を梳く。撫でられているような、可愛がられているような風だ。
うれしいか、と言われたって。
こうしてきちんと会えることも嬉しくて、声がきけることが嬉しくて、何かを贈られたことももちろん嬉しくて、その理由だって嬉しくて、自分ですら覚えてない些細な言葉を覚えてくれていたのが嬉しくて、それを気にしていい物を探してくれたのも嬉しくて、くちづけされるのもやっぱり嬉しくて、機嫌がよさそうで嬉しくて。
うれしさがすぎて、もう、わけがわからないくらいなのに。
それなのに。
「あの、晋助さん」
「何だ」
「この、筆、使ってもいいですか」
「使わねえでどうするつもりだ。飾っておくのか、部屋に」
「いや、あの、……晋助さんに、文を、」
贈ってもいいでしょうか。
嬉しくて、嬉しさが過ぎて笑いだしたいくらいの思いを必死で押しとどめながらの山崎の言葉に、高杉が少し考え込んで、
「そうだな、上手く書けたら、返事をやろう」
そんな甘い事をいうのでもう、きつく握りしめた筆が、今にも折れてしまいそうでそれだけひどく心配だ。
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