「失敗したら、死ぬな、お前」
低い声が背中にぶつかった。どんな顔で、どんな意図で今更そんなことを言いだすのだろう。
きゅっと唇に筆を滑らせて、ぱちんと音を立てて紅入れの蓋を閉める。覗きこんだ丸い小さな鏡では、後ろにいる土方の顔は伺えない。鏡が小さいからでもあるし、土方が、顔を伏せてしまっているせいでもある。
「あまり時間はかけられないので、最長三日で戻ります」
「ああ」
「戻らなかったときのことは、篠原に任せてありますので」
鮮やかな色の着物の襟を正して、山崎は一呼吸の後振りかえった。壁に背中を預け座り込み、顔を伏せている土方へ真っ直ぐ向きあう。しゅる、と高く響く衣擦れの音に、土方がわずかに視線をあげた。
「行ってまいります、副長」
真っ直ぐな黒い前髪の隙間から向けられた視線が山崎の肌を射ぬく。
言葉で返る答えはない。山崎はひとつ笑みを浮かべて、それから静かに立ちあがった。
「山崎」
「……はい」
低い、頼りない声だ。山崎は唇を引き結ぶ。きつく目を閉じれば目元に塗った色が落ちてしまいそうで、目を見開くことで堪える。
「…………好きだ」
震える声が背中にぶつかり、音はそのまま部屋に落ちた。
背を向けた山崎は受け止める術を持たない。奥歯をきつく噛みしめる。整えた爪を掌へ突き刺すように拳を握る。
「俺は、あなたの……道具ですよ、土方さん」
山崎、と細い声だけまた背中に投げられる。それを無視して山崎は、部屋の襖をするりと開けた。冷たい空気が暖かい部屋へと入り込む。ぎし、と踏んだ廊下は冷たい。
引きとめる言葉も腕もない。言葉は部屋に散らばったまま、もう山崎を打たなかった。
軽い音で襖を閉めて、深く息を吐いて、吸う。少し目を閉じる。指先が冷たい。
(俺は、きっと、覚えておこう)
(俺を見つめたあの目も、声も。言葉も。きっと覚えて、帰ってこよう)
(好きです、好きです……俺の方が、ずっと好きだ。……愚かな人だ)
歩きだした廊下は冷たい。白い足袋を伝って足先から全身を凍らせて行く。
軽く振った頭から僅かに煙草の匂いがして、山崎は少し口角をあげた。