夜中に何度か、声を殺して泣いていたのを知っている。
夜中に何度か、がばりと起き上がって厠へ駆け込んでいたのを知っている。
泣き喚いて当然だし、吐いても当たり前だと思っていたから、あえて声はかけなかった。
泣いた後や厠から戻った後に、こちらが起きてはいないかと毎回そっと窺っていたようだったので、眠った振りをするようにしていた。
起こしてしまったと知れば気にするだろうと思った。本当は、声をかけていいものかどうか迷って最初から眠れないでいるなどとは、余計に知られたくなかった。
「晋助さん、ご飯できました」
「おう」
元の家の持ち主が残していったのであろう食料を使って、二人は生活をしていた。裏手にあった食料庫にはかなりの食料が残っていたし、近くの井戸は普通に使えた。人がごっそりいなくなっただけで、その集落は特に荒らされた様子もなかった。戦火が広がっているので取るものもとりあえず皆で逃げたのだろう。
戦火を広げているのは俺たちか、と、高杉は苦笑する。
村や町の中を直接戦場にすることはなかったが、帯刀した血気盛んな浪士たちが歩きまわり、血に飢えた天人が近くにいる状況では、逃げ出すのが得策だった。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
きちんと両手を合わせて挨拶をしてから椀を取る。こうして一緒に食事をするようになってから、もう一月経っていた。
そろそろ合流してもいいかな、と仲間のことをちらりと考えながら味噌汁を一口口にして、山崎がこちらを窺うような目でこちらを見ているのに気付く。
「……なんだ?」
「いや、あの、おいしいですか?」
「ああ、普通に美味いぜ」
答えると、にっこりと笑った。よかったぁ、と嬉しそうな声をあげ、本当に嬉しそうな笑顔を見せる。
「あのね、今日はちょっと変わったダシの取りかたしてみたんです。前に、お隣のお姉さんが作ってたお味噌汁がおいしくて、見よう見まねで真似してみたんですけど」
「へえ」
「おいしい味を思い出したら、晋助さんに食べてもらいたくなって」
そう言って、えへへ、と照れたように笑う。それから自分も椀を手にして一口啜り、おいしいーとまたにこにこ笑った。
あまりにも山崎がにこにこしているので、釣られて高杉も小さく笑う。
「お前のメシはいつも美味いよ」
「わ、ありがとうございます!」
「……たまに失敗するけどなぁ?」
箸で摘んだ魚をひょいとひっくり返すと、きれいに焼けているように見えたその裏側が、これまたきれいに焦げている。さくさくとコゲをつつけば、先程まで心底嬉しそうにしていた山崎が一転、慌てたような声を上げた。
「あああああ、それは見ないで下さいよう」
「こんだけきれいに焦げさせるのも、いっそ才能だなぁ?」
「晋助さんのいじわる。自分なんて、ご飯も炊けないくせに」
イーッ、と膨れてみせる山崎。くつくつと笑いながら、高杉は片面が焦げた魚の骨をきれいに取り、口に運ぶ。
「でも、切ったり向いたりは晋助さんの方が上手なんですよね。ずるい」
「そりゃ、刃物の扱いの慣れ方が違うだろうよ」
「そうですよね。俺もはやく、晋助さんみたいに刀が上手に使えるようになりたいです」
「おう。退、メシ終わって片付いたら、刀の手入れの仕方教えてやる」
「ありがとうございます!」
再び、山崎は嬉しそうに笑って、自分の作った食事をぱくぱくと口に運ぶ。
飯と、焼いた魚と、それから味噌汁。最初の約束どおり簡単なものばかりだったが、山崎の作る食事はどれもこれも美味かった。魚のように小さな失敗はするものの、一生懸命作っているのが伝わってくる味だった。
高杉も、まったく食事が作れないわけではない。美味いものは作れないが、こうやって単独行動をする際に飢えない程度の自炊は出来た。それでも、出来ないことにして山崎に全て任せているのは偏に山崎の居場所を作るためだ。
口にはしないが、山崎もそれに気付いている。気付いているから、丁寧に食事を作り、洗濯や掃除など、できることは進んでやりたがる。
夜中に起きて泣くことはあっても、山崎は決して高杉の前で泣かなかった。
名前を聞いたとき、あの一度きり。
あのとき以降、山崎は、何かとにこにこ笑っている。その笑顔が無理をしているものばかりだとは思わなかったが、無理をしていないとも思えなかった。
「退」
「はい?」
「……これ、おかわり」
「はいよっ」
泣いてもいいとは、言えなかった。
言えばきっと、山崎は泣けずに困るのだろうと分かっていた。
食事の出来を褒めれば嬉しそうに笑う。掃除や洗濯に例を言えば、照れたように小さく笑う。剣の扱いを褒めれば嬉しそうな顔をするし、そうでなくて、名前を呼ぶだけでふわりと笑う。
その笑顔をだんだんと愛おしいと思っている自分に、高杉は気付いている。
最初はただ、身寄りがないのは可哀相で、自分もどうせ一人なので一人増えても困らないと思っていただけだったのに、にこにこ笑ってこちらに懐いて、晋助さん晋助さんと名前を呼ぶこの少年を、守りたいと思っている自分がいる。
山崎がそれを望むなら仲間に加えてやることもできるだろうが、彼がそれを望まないとして、傍に置いておきたいというだけで連れて行きたいと願うのは、高杉の勝手に過ぎなかった。彼らがしているのはただでさえ勝手な戦争で、本人の希望もなしに巻き込んでいいものではない。
それでも。
「晋助さん」
「何だよ」
「食べ終わったら、りんご、剥いてください」
「……仕方ねェな」
にこりと、ふわりと、優しく明るく笑うこの少年を。
「…………仕方ねェな、本当に」
勝手だとしても何だとしても、守りたいのだと、思ってしまっている自分がいた。
守りたかった。できれば、この手で。
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