足に細い筒を付けた鳥がばさりと音をさせて飛び立った。空の高くまで飛び上がり、すぐに見えなくなる。それを見送って高杉は頭をかいた。
「これァ……からかわれるな……」
一人連れが増えた、と、知らせておこうかとして結局やめた。道中同じ志を持った仲間が自然と増えるのは珍しいことではなかったからだが、告げずにおいて山崎を連れて行けば、どんな詮索をされることかと思い至り、せめて一言でも書いておけば良かったかと後悔する。
もとより、面倒見のよい方ではなかった。仲間にしてくれと付いて来たものに進んで声をかけたことも、剣を指南したこともなかった。そもそも高杉の剣の筋は流派に適ったものではないので、人に教えるには適さない。
それが、だ。
身寄りのない子供を拾っただけでは済まず、2ヶ月余りもの間共に暮らし、剣を教え、更に自ら連れて行くとなれば、これはもう珍しいことに他ならない。
溜息を一つついて踵を返し、家の裏手へと向かう。
「退」
そこで一人懸命に小さな薪を振っている山崎に声をかけた。
「晋助さん」
手を止め、くるりと振り返る。
肩より少し伸びている髪が、風に吹かれてふわりと舞った。嬉しそうな笑顔でこちらを見て、嬉しそうな声で名前を呼ぶ。
それに高杉は目を細め、近寄って山崎の髪を指で梳いた。汗で少し湿った髪が指の間を抜けていく感覚。
「晋助さん……?」
「髪、邪魔だろ」
「あ、はい。少し……」
汗で頬に張り付く髪を払った山崎の指を、高杉の手が握った。思わず息を呑む山崎の目を、3秒ほど見つめて高杉は自然に目を逸らす。何、と目を瞬く間に指を取っていた手は離れ、代わりに髪を絡め取られて山崎はいっそううろたえた。
「え、なに……」
「括ってやるよ」
それだけ告げて高杉は山崎の背後に回る。伸びた髪を耳にかけるてやるような所作で掬い、後頭部の後ろで丁寧にまとめる。懐から取り出した細い紐を器用に結ぶその間、山崎は息も出来ない。
指が、肌を掠めて。
まとめるために柔らかく引っ張られる髪が。
「…………ッ」
たまらず、ぎゅっと目を閉じると同時、まとめられた髪から指が離れ代わりに、旋毛に何やら温かいものが触れた。
閉じていた目を大きく見開く。
「さがる」
吐息が、肌を、掠めて。
声が、名前を呼ぶから。
呼吸が出来ない。
ぽん、と優しく頭を叩かれて我に返る。
「これですっきりしただろ?」
何もなかったかのように高杉は笑って、そのまま背を向けて家の中へと向かってしまった。
呆然と立ち竦んだまま、山崎はそっと自分の手で自分の頭に触れる。
何か、温かいものが触れたと思ったあれは、自分の勘違いだったのだろうか。そうでなければ、何だったのだろう。
ツキリ、と胸が痛んだ。
すっきりしただろう、と言う言葉が、違う意味を伴って山崎の心中によみがえる。
「…………うん」
これで思い残すことは、確かにないかも知れないなぁ。
その日の夜は、ひどく雨が降っていた。
地面を叩く雨音を聞きながら天井を見つめ、高杉はぼんやりと考える。
隣で静かに眠る彼を、そもそも何故拾ったのか。
元より、面倒見の良い方ではない。剣の指南も得意ではない。気心の知れない人間が傍にいると安心できないような質で、身寄りがないという理由だけで何故こんなにも長い間傍に置いてしまったのか分からない。
引力でも、あるのかも知れない。そう考えて薄く笑った。
最初に血溜まりの中で怯える彼を見つけたときから、彼の傍へ自然と足が向かったそのときから、もしかしたら引き寄せられずにいられない何かの力が、働いているのかも知れない。
薄く笑って、目を閉じる。
髪に、口づけるだけで、その場を離れずにはどうしようもならなかったほど溺れているなんてどうかしている。
あのまま後ろから抱きしめてしまいたかったなんて、まったくどうかしている。
好きになってごめんなさい、と彼は言ったが、謝るのはこちらの方だと思いながら、高杉はゆっくりと眠りの中へ沈んだ。
明日の朝に、この先も一緒に来いと言えば、山崎はどんな顔をするのだろうかと楽しみに思いながら。
その日の夜は、ひどく雨が降っていて。
山崎がそっと起き上がっても、高杉は目を覚まさなかった。
雨が地面を叩く音で目を覚ました山崎は布団を抜け出して外へと向かう。妙な胸騒ぎがして玄関を静かに開ければ、昼間に干した布が取り残されて雨に濡れているのが見えた。
慌てて外へ駆け出して布を取る。すでにぐっしょり濡れているそれは、朝まで放っておいても同じことだっただろうのに。自分自身も雨に濡れながら布を手にした山崎は、これが気になっていたんだなぁ、と安心して、
「――――――――――ッ!!」
ひらり、と腕から布が落ちた。
雨に濡れた地面に落ちた白いそれは、茶色く汚れ、ますます雨に濡れていく。
月明かりのない雨の夜、その様は山崎には見えない。
口を塞ぐ、大きな手がある。
身体を拘束する、何者かの腕がある。
「おいっ、早くしろ!」
「わかってるって! おい、暴れんなッ」
腕に力を入れて動かし身をよじり、懸命にもがく間に知らない声が2人分聞こえた。両手両足を使って暴れる。足ががつんと転がっていた桶を蹴った。風に攫われそのまま転がっていくそれを絶望した心持で見やる。
抵抗によって、口へ当てられていた手が外れた。息を吸って助けを呼ぼうとした瞬間、腹部に鈍痛が走る。続いて首の後ろへ落ちる衝撃。
「…っ……し…すけさ……」
ぐらり、と身体が傾ぐのが分かった。
その身体を誰かが、どさりと受け止めたことが分かった。
雨が、ひどく降っていて。
掠れた悲鳴も物音も雨に紛れて掻き消され。
名を呼ぶ声すら、届かない。
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